第Ⅵ章 偽りの船影(8)

「――よし。急速反転の後、すぐさま船首カノン砲発射!」


「了解! 取舵いっぱーいっ!」


 さて、月夜の洋上に煙幕をぶちまけたそのレヴィアタン号はというと、マルクの指示のもとサウロが操舵輪を思いっきり回し、煙幕に紛れて180度、船の方向を変えていた。


「さあ、二次会パーリーの始まりだぜっ!」


 そして、急速反転すると船主のカノン砲から、リュカが目標も定めず砲弾をドォォォーン…! とぶちかます。


 すると、ヒュゥゥゥゥ~… という風切音の後、ボシャァァァァーンっ…! と鳴り響く派手な水音。


 その弾は命中こそしなかったものの、追走するアルゴナウタイ号のすぐ左脇の海面に着弾し、巨大な水柱を噴き上げると銀色の船体を大きく波間に揺らした――。




「――うわあぁっ! 撃って来たぞぉっ!」


「うぐっ…やはり待ち伏せだったか……駐留艦隊に戦列を組んで砲撃するよう伝えろ! 我らはレヴィアタン号目がけてこのまま突っ込むぞ!」


 その大きく右に傾くアルゴナウタイ号の上では、ハーソンが船縁に掴まりながら、上甲板でよろめく騎士団員達に檄を飛ばす。


 その指示に、ミンズマストの檣楼しょうろうに立つ団員は掲げたランプを大きく振って、後方に続く駐留艦隊へと光信号を送る。


「全艦、全速前進! 有効射程に到達の後、左に旋回して単縦陣を組め!」


 すると、ピンクと青のジョストコールに黒い三角帽をかぶる、口髭を生やしたダンディな中年男性――旗艦サント・ドミニコ号に乗るサント・ミゲル駐留艦隊提督エルナンドロス・コルデーロ指揮の下、6隻の重武装ガレオンはそのまま前方の船団との距離を詰めて行く。


 各々4本のマストに張られた横帆はめいっぱいに順風を孕み、潮も彼らに味方するかの如く、後方から進行方向へ向けて流れている……。


 今回も護送船団側では魔法修士コラーオ・デ・ミュッラが〝水域の公爵フォカロル〟を用い、その魔力によって敵艦の接近を妨害しているはずなのであるが、今宵は海賊連合の時と違ってその影響は皆無である。


 その違いの理由……それは無論、駐留艦隊側にもそれ相応の魔法修士が乗船しているからだ――。




「――永遠に終わりなき第一者、アドナイの名によりて! フォカロルよ、我らを阻む荒波を静め、我らを運ぶ潮風を与えよ!」


 サント・エルスムス号同様、サント・ドミニコ号にもある船内礼拝所では、白い修道士服に銀の五芒星ペンタグラムと仔牛革の六芒星ヘキサグラムを着け、白い探検向きの三角帽をかぶったブレンディーノ・クロンフェルタが、長い猛獣使いの革鞭を手にして召喚した悪魔と対峙していた。


 彼もまた、コラーオに負けず劣らずの腕を持つ、駐留艦隊付きの高名な魔法修士である。


 こちらの床にもとぐろを巻く蛇の魔法円と深緑の円を持つ三角形が描かれ、三角形の中にはグリフォンに跨った銀色の鱗を持つ長髪の男――水域の公爵フォカロルが浮かんでいる。


 即ち、コラーオと同じ悪魔を使役して、同じ海を支配する力を駐留艦隊側でも用いているわけだ。


 ちなみにそれは同時刻に同様の悪魔を双方で召喚していることになるが、〝悪魔〟とは〝その物〟の性質や概念、それが持っている力の象徴的存在であり、人間的な人格とはまるで異なる情報体のため、それはけしておかしなことでも矛盾するようなことでもない――。




「――よおし! 取舵いっぱーい!」


 そうして両者の魔術的影響が相殺する中、駐留艦隊は難なく黒い霧の向こうにいる護送船団へと近付き、その巨大な艦影がはっきり目視できるようになると、左に旋回して徐々に右弦側を向けた縦一列に並んでゆく。


 その時、夜の海に間断なく響き始める、ヒュゥゥゥ~…という砲弾の夜気を裂く音と、ガコォォォーン…! という見事、目標を捕らえたその着弾音。


「この命中精度……向こうはかなり有効射程が長い砲を使っているようだな……が、その分、魔術武装された船体を貫くまでの威力はないと見える……」


 船列を作る間に護送船団からの砲撃も始まり、緑の尾を引く大蛇の砲弾は駐留艦隊のガレオンを的確に捉えるが、口径の小さなカルバリン砲では当たってもその進行を阻むまでには至らず、駐留艦隊の有効射程への侵入を許してしまう。


「それに、ここまで近づけば条件は同じこと……いや、威力で勝るこちらのカノン砲の方が有利! 目標、前方の海賊船団! 全砲、放てぇいっ!」


 そして、ドン! ドン! ド、ドン…! と同時に鳴り響く、雷鳴が如き激しい無数の轟音……。


 船列が完成すると間髪入れず、エルナンドロス提督の号令一下、一斉に6隻のガレオン船による単縦陣砲撃が開始された――。




「――うくっ……なぜだ? なぜ接近を許した? コラーオ殿がフォカロルの力で波風を支配しているのではないのか?」


 帰って護送船団のサイドでは、いつの間にやら間近に迫っている〝海賊船〟の戦列と、すぐ目と鼻の先にまで飛来しては水柱を上げる無数の砲弾に、それまで余裕綽々の表情でいたパトロ提督が驚きと焦りに目を丸くしていた。


 ご自慢の超長距離射程を誇る新兵器も、近づかれてはその真価を発揮できないのだ。


「そうか! 魔術師船長マゴ・カピタンの仕業か? ヤツらも海の悪魔を味方につけたな……しかし、よもや〝海運の守護聖人〟と互角に渡り合えるとは……」

 

 微妙に外れてはいるが、ちょうどその原因にパトロが思い当った瞬間。


 ヒュゥゥゥゥゥ~…という不吉な音が聞こえたかと思うと、右どなりにいるガレオン船の縁に砲弾が命中し、轟音とともに木材を吹き飛ばすばかりか真っ赤な炎も燃え上がらせる。


「チッ…魔力を込めた砲弾か……炎上に注意しろ! 着弾したら消火を急げっ!」


 見れば、漂う煙幕を切って飛んで来る砲弾は皆、真っ赤に焼けた鉄のようにオレンジ色の軌跡を水面の上に描いている。


 パトロ提督が推測した通り、駐留艦隊のそれも護送船団の〝バシン・カルバリン砲〟同様、砲身に悪魔の力を宿したものなのだ。


 ただし、護送船団のそれが射程距離に重きを置いているのに対し、こちらはソロモン王の悪魔序列23番〝火炎公アイム〟を宿した破壊力重視のカノン砲である。


「ひぃぃぃぃ……て、敵の弾は届かんのではなかったのか?」


 まるで雨霰のように降り注ぎ、時に海面を叩き、時に味方の船をかすめては炎を上げる無数の砲弾に、パトロのとなりでうずくまるクルロスは怯えきった顔で頭を抱えている。


「フン! こうなったら正々堂々、砲撃戦で勝負だ! 無敵を誇る我がヒッポカムポス艦隊の火力、思う存分見せてやろうではないか! 全艦、撃って、撃って、撃ちまくれぇーっ!」


 そんな戦争を知らない軟弱な貴族さまの泣き言など無視し、パトロ総督はサーベルを抜いて天に掲げると、少々やけっぱち気味に大声を張り上げた――。





 さて、そうこうしてマルクの目論見通り、味方同士で激しい砲撃戦を開始した両艦隊のど真ん中にいるレヴィアタン号では……。


「……おい、これってぢつはヤバくねえか? なんか俺達……両方から砲撃される感じになってるじゃねえか?」


 絶えず飛んで来ては傍らの海面で水飛沫を上げる双方の砲弾を見て、今さらながらにそのことに気づいたリュカが慌てた様子で文句を口にしていた。


「ナンダカ、『イソップ物語』のコウモリみたいネ……」


「まあ、見物するにはよい特等席でござる……うむ、絶景かな!」


 対してマストの上の露華と索具を引っ張るドン・キホルテスは、前後左右から無数に飛び交う緑とオレンジに輝く流星のような砲弾を眺め、ある種、幻想的でもあるその光景になんとも暢気な感想を述べている。


「なに悠長なこと言ってんだ! んなこと言ってる内にマジで砲弾食らうぞ!」


 そんな二人に声を荒げるリュカであるが、そう言っている端から……。


 …ヒュゥゥゥ~……ゴォォォーン…! と船腹に砲弾が見事命中する。


「ほら、当たった!」


 〝サブノック〟の魔術的強化で破損は免れたものの、その直撃は銅板の鱗で覆われた船体を大きく波間に揺らす。


「そうですよ! このまんまじゃ、どの船よりも先に私達が沈んじゃいます!」


「うーん…この危機的状況は考えに入れてなかったなあ……ま、なんとか切り抜けてよ。幸運を祈るブエナ・スエルテ!」


 必死に揺れを堪え、操舵輪にしがみつくサウロもリュカと同意見であるが、その背後でどしりと椅子に腰を下ろす船長カピタンマルクは、やはりいつものように他人事である。


「てめーはほんと他人事だな、おい!」


「と、とにかく、手薄な船団の裏側に回り込んで、早くお目当ての船に乗り込みましょう! 取舵いっぱあ~いっ!」


 相手が船長でも遠慮なく悪態を吐くリュカの傍ら、サウロはそう叫んで操舵輪を大きく回すと、その砲弾飛び交う嵐の中からの早々の離脱を図った――。

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