第Ⅵ章 偽りの船影(2)

 それより一時の後、勝利に沸いたまま、一路、夜の海を新天地へと向かう護送船団では……。


「――ふぁあ~あ…見張りなんて必要ないだろ? ついさっき海賊をコテンパンに討ち払ったところだ。さすがにもう襲って来るようなアホウなんか…」


 東の空の白み始めた頃でもあり、旗艦サント・エルスムス号のフォアマスト上部に設えられた物見用檣楼しょうろうで、油断しきった当直の者が大あくびを上げていたのであるが……。


「ああん? なんだぁ…うごっ…!」


 突如、バサバサと忙しなく羽ばたきながら、前方より高速で飛んできた白い何かが、彼の顔にクリティカルヒットしたのだった。


「…んぐっ……ててててて…な、なんだ? 海鳥か?」


 顔にへばり付いたそれを慌てて引き剥がし、彼は驚愕の表情を浮かべてそれを見つめる……


 するとそれは、紙を折って作られたハトのような鳥の模型だった。


 ついさっきまでは生きているように思えたのであるが、今はピクリとも動くことなく、ただの紙細工にしか見えない。


「……ん? なんか字が書いてあるな……手紙か?」


 だが、その表面に浮かぶ文字の列を薄明りの中で認め、朝方とはいえまだまだ光源が足りないため、手摺りにかけたランプにかざしてもう一度、目を凝らして確かめてみる。


「……ああ、やっぱ手紙だな。えっと、なになに……さっきはよくもやってくれたな。エルドラニアのくせして生意気だ! すぐにもっとスゴイ大艦隊引き連れて、この借りを必ず返しに行ってやるからな。待っていろ、このバカの一つ憶えの護送船団方式しか能のないチキン野郎どもめが! 禁書の秘鍵団 船長カピタンマルク・デ・スファラニア……て、なんだってえ~っ!?」


 どうやらそれが手紙を折ったものであるらしいことに気づき、なんとなく興味を持った水夫が何気に開いてみると、そこにはそんな文面が記されていた。


「た、大変だ~っ! 魔術師船長マゴ・カピタンからの襲撃予告状だあ~っ!」


 先程まで紙の〝鳥だったもの〟の正体を真に悟った見張りの水夫は、慌てて大声を張り上げると、足下の上甲板にいる他の者達へその一大事を伝達する。


「なにっ? 魔術師船長マゴ・カピタンだって?」


「また海賊の襲撃かっ?」


 彼の報告に、そろそろ眠気の襲って来ていた当直組の者達も眼をシャッキリと騒ぎ出し、わらわらと水夫達がフォアマストの下へ集まり出す。


 数分と時を置かずして、上甲板にはパトロ提督やクルロス新総督をはじめとするほとんどの乗船員が、文字通りの黒山の人だかりを作っていた。


「――ほお…手紙自体を使い魔にして、風に乗せて飛ばして来たようですな。考えたな……」


「くううっ…誰がバカの一つ憶えのチキン野郎だっ! あれだけコテンパンに叩きのめされたクセしおってぇえっ!」


 見張りの水夫から話を聞き、その魔術利用法に関心を寄せる魔法修士コラーオのとなりで、まんまとこどもっぽい挑発に乗せられたパトロ提督は、怒りに顔を真っ赤にして手にした予告状をクシャクシャに握り潰す。


「予告状というよりも挑発状ですな……にしても、先程の海賊は魔術師船長マゴ・カピタンの一味だったか。なるほど、それで『大奥義書』の載ったこの船を……」


 対してクルロス新総督は苛立つこともなく、予期せず知ることのできた海賊の正体に納得といった様子でうんうんと頷いている。


「フン! どうやら逃げおおせたようですが、件の魔術師船長マゴ・カピタンも大したことありませんなあ。性懲りもなくまた襲って来るそうですが、なあに、もう一度返り討ちにしてやりますよ」


 そんな立場や性格に少々違いのあるクルロスを横目に眺め、まだなお怒りの収まらぬパトロ提督は、その挑発に対抗するかの如く悪態を吐いてふんぞり返った。


「……大艦隊を引き連れて……か……」


 一方、その野次馬の中には、なにやら難しい顔をして、ぽつりと呟くマリオの姿もあった。


「マリオ、そんなに心配しなくても大丈夫ですわ。きっと今度も提督さん達が海賊を追い払ってくださいます。それはまあ、海に沈む海賊さん達には申し訳ないですけれど……でも、この船やわたくし達は無事に新天地へ辿り着けますわ」


 同じくマリオのとなりで事態を見守っていたイサベリーナは先程の彼の言動を思い出し、その表情を戦争への恐れと不安からのものであると判断して、そんな言葉を投げかける。


「そうですわ。あんな海賊、エルドラニアのイケメンズなら恐れるに足りませんことよ」


「ええ。海の男はもっと勇敢なオレ様系でないと女の子にモテなくってよ」


 また、イサベリーナの背後に控える侍女のマリアーとジェイヌの二人も、マリオを気弱で心配性の頼りない軟弱者と見下して、好みのタイプを基準に勝手な批判を口にしている。


「…あ、いえ、別にそういうわけじゃ……ただちょっと、さっきあんなに沈められたのに、今度は〝どこの〟艦隊を連れて来るのかなあと思いまして……」


 だが、どうやら彼女達の見立ては間違っているらしく、マリオは苦笑いを浮かべてそう答えると、鳥の形をした予告状が飛んで来たであろう、その先に新天地を隠す白み始めた水平線の向こう側を眺めた――。

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