第Ⅴ章 無敵の護送船団(8)

「――おかしい……なんか変だな……」


 さてその頃、イサベリーナとともに船長室に隠れていたマリオは、聞き耳を立てながら訝しげに首を傾げていた。


「何がおかしいんですの?」


 目をキョロキョロと周囲に向けるマリオの傍らで、提督の椅子を借りて座るイサベリーナがやはり怪訝そうに尋ねる。


「……あ、いえ、先程からこちらの撃つ大砲の音はずっとしているのに、どうにも船の揺れが少ないんです。まあ、このサント・エルスムス号は他のガレオン船に守られているからかもしれませんが、それでも砲撃戦をしているのなら敵の弾が当たることもあるでしょうし、当たらなくても着水した砲弾で波が大きくなるように思えるのですが……」


 確かにマリオの言う通り、砲撃の音はまだドン! ドン…! と一定の間隔を持って聞こえ続けているにも関わらず、船自体は大きく揺れ動くこともなく、海賊に襲われているとは思えないくらい、いたって静かで穏やかなものだ。


「そう言われてみればぜんぜん揺れないですけれど……それがそんなにおかしなことですの? きっとこちらの大砲に恐れをなして、海賊が近づけないのではなくて?」


「いえ、遠くまで飛ぶ大砲といっても命中精度が悪いんで、普通はお互いにかなり近づいてから撃ち合うものなんです。それが一発も飛んでこないほど遠くで撃ち合うなんてことは……すみません。僕、ちょっと様子を見に行ってきます」


 なんだか妙に気になりだしたマリオは、まだピンときていないらしいイサベリーナにそう断りを入れて、いそいそと船長室を出て行こうとする。


「ええ? ま、待ってマリオ! わたくしを一人にしないで! 一人は嫌ですわ!」


 すると、彼女は驚きと不安に目を見開き、彼の腕にしがみつかんばかりの勢いでまたも引き留めようとする。


「大丈夫ですよ。すぐに戻ってきますから。ほんのちょっとだけ辛抱していてください」


「ああっ! 待ってマリオ! わたくしを置いて行かないで!」


 それでも、どうしても気になってしようがないマリオはイサベリーナの必死に呼び止める声も無視し、駆け足気味に廊下へと急いで飛び出して行く……。




「――ハァ……ハァ……っ? こ、これは……?」


 そして、船尾楼を一目散に駆け抜け、上甲板に出た彼が目にしたものは、なんとも圧倒的な、まるで赤子の手を捻るような護送船団優勢の海戦だった。


「ハーハハハハっ! どんどん撃て! もっとどんどんと撃ち込んでやるのだ!」


「すばらしい! さすがは我がエルドラニアの誇るヒッポカムポス艦隊。なんとも圧倒的ではないか! ハハハハハハ!」


 パトロ提督とクルロス新総督の勝ち誇ったバカ笑いの響く中、サント・エルスムス号の船殻ハルに穿たれた無数の砲門から、また、その旗艦を囲んで護る各ガレオン船からも、緑の尾を引く砲弾が遥か遠くの海賊船目がけて次々と飛んで行っている。


 その標的となっている海賊船は夜の海の上でも簡単に見つけることができる……


 なぜならば、波間に浮かぶ7隻のそれはすべて爆破炎上し、宵闇の中でオレンジ色に燃えているからだ。


 だが、それでもなお砲撃のやむ気配はなく、まるでその炎が消え去るまで満足しないとでも言うかのように、次々に砲口から放たれる緑の大蛇達は虫の息の得物を襲い続けている。


「……こんなの……こんなのもう砲撃戦じゃない……」


 一見、それがなんであるかを知らなければ美しい光景のようにも見えてしまうが、それゆえにいっそう無惨で哀れな海賊達の有様に、マリオは思わず船縁にへばりつくと瞬きもせずに呆然と呟いた。


「……ん? なんだおまえは? 戦闘中だというのに持ち場はどうしたのだ?」


「ああ、おまえは娘の遊び相手の……確か名はマリオだったか……」


 その呟きに気づき、振り返ってパトロが見咎めると、クルロスもその見覚えのある顔に彼のことを思い出す。


「提督、新型の大砲ってこんなに遠くまで狙い撃てるんですか? そんな大砲、常識的に考えてありえないような……」


「なんだ、仕事をサボっておいて言い訳もせずに質問か? フン。まあいい。そんなにこの圧倒的威力を誇る新兵器に興味があるんなら教えてやる。これはな、有効射程6バラのカノン砲に対し、21バラ(約1800メートル)先の的まで狙い撃てる最新鋭のカルバリン砲だ。射程を稼ぐために砲身を細くした分、威力はカノン砲よりも少々劣るがな。相手よりも遥かに遠くから砲弾を撃ち込める」


 提督を前にしても好奇心の方が先に立ち、戦闘中、持ち場を離れたことも謝らない太々しい水夫見習いのマリオだったが、完全勝利に気をよくしているパトロは怒ることなく、それどころか律儀にも丁寧に答えてくれる。


「その上、さらにそこへ蛇の緒を持つソロモン王の72柱の悪魔序列18番・蒼白公バシンの魔力を宿し、物体を一瞬にして遠方へ運ぶ魔術も施してある。あえて名付けるならば、バシン・カルバリン砲だな」


「なるほど。この燐光の軌跡はその悪魔のせいか……」


 自慢げに語るパトロに対し、その艦隊で最も偉い提督の方を振り返ることもなく、闇の中を伸びて行く無数の光線をマリオは眺めながら頷く。


「ハハハ、このヒッポカムポス艦隊の強さはそればかりではないぞ? 〝海運の守護聖人〟と名高きエルドニア随一の乗船魔法修士コラーオ・デ・ミュッラ殿が、ヤツらの射程まで近づけないよう、海賊船を魔術で遠退けてくれているのだ!」


「序列41番の悪魔・水域の公爵フォカロルを呼び出し、この海域の風と潮を自在に操ってな」


 続けて提督に負けじと自分のことのようにふんぞり返るクルロス新総督を、パトロも補足して再び鼻高々に嘯く。


「海運の守護聖人、コラーオ・デ・ミュッラ……」


 その言葉に今度は後を振り返ると、マリオはその魔法修士がいるであろう船尾楼の方を見つめた――。

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