第Ⅲ章 船上の宗教談義(3)

「――〝はじまりの預言者イェホシア・ガリール〟の後継者として、唯一、神の言葉を預かる存在であった預言皇も今では有名無実。レオポルドゥス十世とて、フィレニック公国の名家メディカーメン家の出身であるがゆえにその地位を得られたのであって、優れた聖職者でも、ましてや清貧な隠修士でもない。徳の高い信仰の人どころか、むしろ神の教えとは程遠い、権力欲の塊のような俗物だ」


 一目、拝謁しただけでもその強欲さだけが印象に残る預言皇を思い出しながら、ハーソンはメデイアになおも語る。


「錬金術師の教訓じゃないが、下のものは上のものの如く……上がそんななら当然、下もそれに倣う。プロフェシア教の教えからかけ離れ、金と権力しか頭にない腐敗した今のレジティマム教会を見れば、それに異を唱えるビーブリスト達の気持ちもわからんではないというものだ」


「団長、それは…」


 他の誰かに聞かれれば、異端者扱いされかねないその過激な物言いに、さすがに慌てて口を挟もうとするメデイア。


「おまえは、マルク・デ・スファラニアの出自を知っているか?」


 だが、ハーソンは何を考えているのか? またしてもそれまでの会話とまったく関係のなさそうな質問を彼女に投げかけた。


「えっ? ……あ、はい。10年ほど前、エルドラニアが滅ぼしたスファラーニャ王国の第4王子であるということくらいは……彼の高等魔術は家庭教師であった高名な大魔術師イサーク・ルシオ・アシュタリアーノから学んだそうですね」


 再び不意打ちを食らったメデイアは彼の言葉を理解するまでにわずかな時間差を置いて、その悪名高き海賊について、自身の知っている限りのことを今度も律儀に答える。


「うむ。祖国滅亡の折はそのイサークとともに辛くも落ち延び、どういう経緯をたどったものか、数年後には新世界に渡って海賊ウルフガング・キッドマンの船で船医をしていたらしい……ま、魔術師は薬学の知識も持ってるからな。そこら辺をキッドマンに買われたんだろう。そして、キッドマンの死後は彼のレヴィアタン・デル・パライソ号を譲り受け、今のように独り立ちしたといったところだ」


「彼がエルドラニアの船から魔導書を奪うのは、故郷を奪われた恨みからでしょうか?」


 わずかしか持ち合わせない自身の情報を補足する、いつになく雄弁なハーソンに今度はメデイアが尋ねた。


「ヤツばかりじゃない。禁書の秘鍵団の者達は全員、少なからずエルドラニアやプロフェシア教会の布く現体制に恨みを抱いている……」


 対してハーソンは、またもやメデイアの求めていた答えとは違った言葉でそれに応じる。


「そういうバカに同情する気もないが、ドン・キホルテスはその騎士道に対する憧れゆえに火器を主戦力とした新しい軍制をよしとせず、剣のみを頼みとしてエルドラニア国軍を去った。その従者サウロ・ポンサもそうした時代の変化に翻弄され、主人の理想につき合うことしか生きる術を持たなかった。リュカ・ド・サンマルジュは教会に背いた罪でオオカミの皮をかぶらされて追放刑に処され、森の中を彷徨う内に本当に人狼となってしまった……」


 掲げた愛剣の白刃に映る自身の瞳を見つめ返しながら、ハーソンはまるで自分のことを話すかのように彼らの過去を語ってゆく。


「マリアンネ・バルシュミーゲは長い歴史の中で迫害されてきたダーマ(※戒律)教徒だし、よくは知らんが辰国出身の陳露華も、異邦人としてこの国や教会を中心とする社会に疎外されていたことは容易に想像がつく……つまりは、俺達と同じこの世界に違和感を持つ〝はぐれ者〟ということだ。俺が騎士団を改編する前の貴族の甘ったれたお坊ちゃん団員連中なんかよりは遥かに親近感が湧く。ヤツらが教会と帝国に叛意を抱き、独占使用する魔導書を狙うのもわからんではない……」


「では、団長は彼らのしていることをお許しになるおつもりなんですか?」


 何が言いたいのか? 今日はどうにも海賊達に同情的な上官の言動に、メデイアは彼の職務遂行に疑いを持つ。


「いや。そうは言っていない。おまえは充分すぎるほど知っているだろうが、この世界のあらゆる事象はそこに宿る力――天使や悪魔、星々の精や精霊達によって支配されている。そうした存在を思い通りに呼び出し、自由自在に操る方法の書かれたものが魔導書だ。農耕も牧畜も製鉄も海運も、この世のありとあらゆる人の営みがその力なくしては成り立たないと言っても過言ではない。即ち、その術を知るということは世界を統べるということと同義……」


 だが、ハーソンはメデイアの誤解をきっぱり否定すると、魔女である彼女には不必要と思われる、魔導書についての講釈をなぜか改めて垂れる。


「つまり、魔導書の規制はこのエルドラニア帝国…いや、ひいてはエウロパ世界全体の安定した王権支配の根幹だ。たとえどんなに歪んでいようとも、その支配によってこの世界の秩序は保たれている。もしもそれが失われてみろ? ただでさえレジティマムとビーブリストの争いが散発している中、この世は混沌と不正義に満ち満ちて、各地で未曽有の騒乱が巻き起こるだろう……ヤツらは、自分達が世界の滅亡の手助けをしていることに気づいていないのだ」


「ああ……」


 長い横道ではあったが、その横道が求めていた回答へたどり着くための道程であったことにメデイアはようやくにして気づく。


「我欲に塗れた預言皇に従う気はないが、皇帝陛下の方は優れた帝王としての資質を持っておられる。善人かどうかはともかくとしても、忠誠を誓うのに充分値する人物だ。ゆえに俺は皇帝陛下に従い、世界の根幹を揺るがすヤツらの蛮行を食い止める……それが、俺の正義だ」


 そして、これまでしっかりとは聞いたことのなかった、心の内に秘めた行動理念をハーソンはメデイアに明かすのだった。


「団長、食事の用意が整いました」


 その時、二人の背後でそんな畏まった男の声が不意に聞こえる。副団長のアウグストが昼食に呼びに来たのだ。


 振り返ってみれば、アウグストの後方、兜に牛角を生やしたヴィキンガーの末裔が操舵輪を握り、羽根付きのつば広帽をかぶった吟遊詩人が船縁に腰かけて竪琴を奏でている。


 また、マストの頂にある見張り用檣楼しょうろうではオカッパ頭の宣教師が海鳥を見て鳥占いをし、船尾楼の入口にはやはり皆を呼びに来たのだろう、団員の健康を考える者として料理も担当する白髭の船医が薬草の汁に汚れたエプロン姿で鍋を片手に突っ立っている。


「ああ、わかった。今行く」


 そんな少々風変りな騎士団員達の姿を細めた眼で眺め、ハーソンは魔法の剣を鞘に戻すと、メデイアとともにアウグストの後に従った――。

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