第Ⅲ章 船上の宗教談義(4)

 一方その頃、国章入りの大きな横帆を偏西風に膨らませ、さらに後方の航路を新天地へと向かう護送船団では……。


「――いつ何時、海賊が襲って来るとも限りませんものね。常日頃からしっかり点検をしておかないと」


 そう嘯くイサベリーナに強引につき合わされ、マリオは船内の武装を見て回るという、なんとも酔狂な散歩のお供をさせられていた。


「さすが、エルドラニアの誇るヒッポカムポス艦隊。すごい数の大砲ですわね!」


 二人がやって来たのは上甲板の下に潜り込んだ船内にある広い空間。向こうの先からあちらの先まで、見渡す限り無数の大砲を両舷に並べた主甲板(※砲列甲板)である。


 換気のためにすべての砲門を全開にしているため、船板の下ではあるものの今は意外と明るい。


「皆さま、今日も大変なお仕事、ごくろうさまですわ」


 現在、そこでは大勢の水夫達が湿った羊皮を巻きつけた棒を大砲の口に突っ込み、力いっぱいに何度も突いたり引いたりしている。


 無論、もしもの時に大砲が詰まって撃てなくなるなどというお粗末なことがないよう、砲身内の煤を取っておくための大切な整備作業である。


「……ん? なんだマリオじゃねえか。仕事サボってお嬢さまとおデートとはいいご身分だな」


 そんな重労働に従事する水夫達の中に、玉のように汗を吹き出した茹でダコ同然のアントニョのハゲ頭もあった。


「ち、違いますよ! やだな、アントニョさん。これはお嬢さまにお供を仰せつかって仕方なくなんですって!」


 本気なのか冗談なのか? 白い眼を向けて人聞きの悪い皮肉を言うアントニョに、マリオは首をプルプルと横に振って全身全霊でそれを否定する。


「仕方なくとは聞き捨てなりませんわねえ。わたくしとの見回りがお気に召しませんの?」


「あ、いやあ、そういうわけじゃあ……」


 すると、今度はイサベリーナの方がツンと澄ました顔で嫌味を口にし、マリオはさらにあたふたとしてしまう。


「ま、許して差し上げますわ。というわけで、アントニョさんだったかしら? マリオを少々借りますけどお許しになって」


 だが、どうやら本気で怒ってはいないらしく、高飛車な態度ながらもニコリとカワイらしい笑顔を見せると、アントニョの方を向いて礼儀正しく許可を求める。


「ええ。総督のお嬢さまのお頼みとあれば、こんなのの一人や二人よろこんで。遠慮なく使ってやってくだせえ。なんなら1ダースほどお貸ししましょうか?」


 そんな、澄ました言葉使いに反して意外と気さくなお嬢さまに、別に彼の上役というわけでもないのだが、アントニョは調子よくマリオの身をイサベリーナに差し出す。


「1ダースって……僕は12人もいませんよ。それより、ずいぶんと砲身の長い大砲ですね。その代わり口径は普通のカノン砲に比べて小さいみたいですけど……新型ですか?」


 アントニョの冗談に顔をしかめるマリオだったが、すぐにその興味を彼が整備する大砲の方へと向けて尋ねる。ずらりと主甲板に並ぶ大砲はすべてそれと同型のものだ。


「おうよ。見習いのわりにはよくわかってるじゃねえか。こいつはな、今回、新たに装備された〝カルバリン砲〟っていう最新鋭の大砲だ。カノン砲より威力は小せえが、射程は長えって話だ」


 すると、アントニョは今回も自分のことのようにぶ厚い胸板を張り、その青銅でできた最新兵器について自慢げに語る。


「へえ、カルバリン砲ですか……初めて見ました。どうやら魔術も施されているみたいですね」


 マリオが顔を近づけてよく見ると、その砲身の根元には何やら悪魔を呼び出すための円形をした印章が刻まれている。


「僕、別に大砲のこと詳しいわけじゃないんでよくわからないんですが、どのくらいスゴイ威力なんですかねえ……」


 青銅の塊に線刻された怪しげな印章を見つめながら、その未知の兵器の威力を想像してマリオは顔の色をわずかに青くする。


「そりゃあ最新鋭だからな。俺もまだ撃ったことねえからわからねえが、きっとすげえに違えねえぜ」


「ええ、その通りですわ。この新型の大砲があれば、どんな海賊や異国の艦隊が襲って来たって敵ではありませんことよ。瞬く間にけちょんけちょんに蹴散らしてさしあげますわ!」


 マリオの呟きに、アントニョばかりかイサベリーナまでもが、知ったような口振りで新型大砲の威力を褒め讃える。


「………………」


 しかし、どこか愉しげに語る彼女のその言動に、マリオは人知れず表情を曇らせていた。


「さ、マリオ、行きますわよ。すべての大砲をしっかり見て回らないと。アントニョさん、ごきげんよう」


「へい。見回りご苦労さまです」


 そんなマリオの微かな変化に気づくこともなく、イサベリーナは上機嫌にそう告げると、アントニョに見送られながら意気揚々と船内を再び歩き出す。


「……お嬢さま、いくら海賊や敵国の兵士が相手とは言え、大砲は人を殺すための道具です。お嬢さまのようなご令嬢が、そのように愉しげな声で語るものではありませんよ」


 言われた通り、その後に従うマリオだったが、これまで見せたことのないような暗く沈んだ顔つきのまま、声をひそめて彼女に苦言を呈する。


「あら、敵をやっつける道具のどこが悪いんですの? 怪物からか弱き乙女を救ってくださる騎士さまのようなものじゃない」


 すると、その予期せぬ下の者からのお説教に若干の驚きを覚えながら、イサベリーナはツンと澄ました態度で不満げに反論する。


「海賊も敵兵も怪物ではありません。恐ろしくはありますが、それでも僕らと同じ人間です。戦争は怪物を倒す英雄譚ではなく、人間同士の殺し合いなんです」


 だが、今回のマリオは身分高き令嬢を前にしても、なぜだかなかなか退こうとはしない。


「人間同士だからどうだっていいますの? 怪物じゃなくたって、わたくし達を襲って命を奪う凶暴な悪党に違いありませんわ。海賊も、アングラントやフランクルのような敵国も、みんなエルドラニアの富を狙っている野蛮なケダモノですし、教会を攻撃するビーブリストは神にあだなす悪魔の手先。そんな悪者を倒すののどこがいけないんですの?」


 その屈せぬ態度がさらに癇に障ったのか? イサベリーナの方も意地になって、彼の意見を理詰めでねじ伏せようとする。


「もちろん、襲って来る敵を倒すのは致し方ありませんし、悪いことでもありません……ですが、海賊にしろ敵国にしろ、またはレジティマム教会と反目するビーブリストにしったって、皆、こちらがそうであるように向こう側にもそれなりの戦う理由というものがあるんです。戦争というものは往々にして、どちらが悪でもどちらが善でもないんですよ」


「ふーん……なかなか言いますわね。そんな知ってる風な口を利いていますけれど、そもそもマリオ、あなたは戦争を経験したことがありまして?」


 それでもなおしつこく噛みついてくるいつにないマリオに、すっかり不機嫌になってしまったご令嬢は意地悪くそんな質問をしてみる。


「ええ。もちろん。今の時代、戦争を知らずに暮らせる人間なんて、ほんのごく一握りですよ。特に僕らのような下々の一般庶民はね」


 だが、自分と同じ年頃のその少年は彼女の予想に反し、妙にあっさりとその問いに頷いてみせるのだった。


「国と国との戦争に加えて、最近はあちこちでレジティマムとビーブリストの争いも起きていますし……僕の故郷も子供の頃に戦争で焼け野原になりました。両親と兄弟もその戦争で……あ、前に話した一緒に旅してたってのは、その後お世話になった育ての父でして……」


 そして、答える内に話題に引っ張られ、自身の育った環境についてもマリオは思わず口に上らせる。


「まあ、そうだったんですの……ごめんなさい。わたくし、少々はしゃぎすぎていたようですわね……」


 〝上流階級〟という名の、現世うつしよから隔離された場所で育った彼女には知らない世界の話……しかも、自分と同じだと思っていた年若い友人が淡々と語る過酷な現実に、イサベリーナは楽しそうに戦争の道具について語っていた自分が不意に恥ずかしくなった。


「ああいえ、わかっていただければ……僕も出すぎたこと言ってすみません。ただ、お嬢さまにはそういう表に見えているカッコイイとこだけでなく、その裏に隠された暗い部分についても知っておいてほしかったんです。将来、立派な淑女レディになっていただくために」


 それまでと一転、自己嫌悪でひどく落ち込んで暗くなる彼女に、気まずくなったマリオは慌てて申し訳なさそうに言い繕う。


「フフ…いいえ。将来ではなく、今でももう立派な淑女レディでしてよ? 確かに、このように物騒な場所は淑女レディにふさわしくないかもしれませんわね……そういえば、そろそろお茶の時間ですわ。さ、コーヒーでも飲みにまいりましょう。マリオ、コーヒーは飲んだことありまして? 新天地から伝わった、オトナな味の飲み物ですのよ」


 心優しいマリオのそんなさりげない気遣いに、イサベリーナはいつもの小生意気で明るい笑顔を取り戻すと、ちょっと背伸びをしてマリオをお茶に誘った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る