第Ⅷ章 海賊の理由(9)
直後、みるみる内に強い風と黒い雲が天に渦巻き、それまでのよく晴れた月夜が嘘であったかのように、辺りは暗転して真っ暗な闇に包まれてしまう。
「なんでござる?」
「何が起こっている?」
「なんか、嫌な予感が……」
その異変にキホルテスやサウロ、ハーソン達の他、船上で戦っていたすべての者達がその動きを止め、一変した空模様を不安げな表情で覗い出した矢先。
ドドオォォォォーン…! と耳を
再びピカっ! と稲光が走ったかと思うと、サント・エルスムス号のメインマストに雷が落ち、縦に避けたその柱はメラメラとオレンジ色の炎に燃え上がる。
「ああっ! マストに雷が落ちたぞ!」
「マストが燃えてる! 急いで火を消せっ!」
刹那の静寂から一転。
再び騒がしくなる船上であるが、その内にも立て続けに雷光が雨雲を輝かせ、護送船団・駐留艦隊双方のガレオンのマストに次々と落雷して炎上する。
また、ポツ、ポツ…と上空から落ちて来た雨粒は次第にその量と間隔を増してゆき、瞬く間にザァザァと降り注ぐスコールのような豪雨へと変化する。
「……なんだ? 新天地名物の突然の嵐か?」
「いや、嵐にしても突然すぎやしないかい?」
「お頭が超スゲー悪魔呼びやがったな……こいつはヤベぇ。ここらが潮時ってもんか……」
さらに強風による高波で巨大なガレオンの船体も大きく揺れ始める中、雨空を見上げて呟くパウロスとオルペにリュカが答えるようにして呟いた。
「早く火をなんとかしろ! このままでは船が動かなくなるぞ! コラーオ殿は海の悪魔を使役しておらんのか?」
「マストを守れ! とにかく消火が最優先だ! ブレンディーノ神父は何をしている?」
すべてのマストが雷火に見舞われ、〝神の眼差しと十字剣〟の描かれた大帆が赤々と燃え上がる様を前にして、パトロ提督とエルナンドロス提督は各々異口同音に檄を飛ばしている。
「おお~い! みんな~! そろそろ帰るよ~! 早くしないと行っちゃうよ~!」
そんなところへ、サント・エルスムス号の左舷側から少年の叫ぶ声が聞こえる。
「ア! お頭ネ! ヤッパリ、コノ嵐ハお頭ノ仕業だったカ!」
そのよく聞き憶えのある声に露華がそちらを覗えば、案の定、それはマルクのものだった。
一月ぶりに見る〝
「さすが、お頭。やっぱ、ぜんぜんレベルが違うよ……さ、ゴリアテちゃん帰るよ。アンカー忘れずにね!」
「オォォォ…!」
その姿を見たマリアンネは再び嵐の空模様を見上げながら呟き、ゴリアテに命じて打ち込んだアンカーを抱きかかえさせると、その
「残念だが勝負はお預けのようにござるな……ドン・ハーソン、また戦場で相見えようぞ!」
「それではハーソン卿、今日はこの辺で失礼いたします」
同じくドン・キホルテスも少々残念そうにハーソンへ別れを告げ、礼儀正しくペコリとお辞儀をするサウロとともに自分達の船へと走り出す。
「おい、待て! いったいどういうことだ?」
「団長! …ハァ…ハァ……
とそこへ、ようやく捕まえたエンプーサを右手に握りしめながら、息せく駆けて来たメデイアが状況を計りかねているハーソンに報告をする。
「なに? では、この嵐はヤツが……だが、ヤツらはこの〝海賊船〟にいたのにいつ、どうやって手に入れた? ……いや、そんな詮索は後回しだな。全員、船へ戻れ! 我らの船も危ないぞ! ヤツらを追うどころか海の藻屑になりかねん!」
ヴェパルの影響でまだ得心のいかぬところも多々あったが、それよりも目の前の現実を受け入れると、ハーソンもそう叫んで騎士団員達に指示を飛す。
「…っ!? 」
だが、そう言う端からまたもピカッと空が光り、耳を劈く轟音とともにアルゴナウタイ号のマストにも雷霆の槌が打ち下ろされ、燃え上がった火柱が銀色の船体をオレンジ色の炎に染め上げている。
「お頭、お帰りなさいネ~! デモ、ソノ船チョット待つネ~!」
「バカ騎士、サウロ、掴まれ! 跳ぶぞ!」
「うむ。かたじけない」
「おねがいします」
一方、ゴリアテがアンカーを取り外したため、風を大きく帆に孕み、すでに動き始めているレヴィアタン号へ向けて、露華と、騎士主従二人をくっ付けたリュカはその並外れた脚力で高々と跳躍して飛び移る。
「やあ、みんな元気だったかい? どうやら全員、無事に戻って来れたみたいだね」
「なんとかな……ったく、無茶苦茶しやがって。俺達にまで落雷したらどうすんだよ?」
走り出す船の上で帰還した仲間達を見回しながら、どこか懐かしそうに笑顔で声をかけるマルクに対し、リュカもリュカでいつもの如く相変わらずの悪態をしかめっ面で吐く。
「大丈夫だって。君達には落とさないよう、ちゃんとバアルに……あ、頼んでなかったな」
「頼んでねーのかよ!」
そんなクレーマーの人狼に安心するよう答えるマルクだが、途中ですっかり失念していたことに気づく意外とうっかり屋さんな
「そうですよ! 海賊連合の時といい、二度も戦列艦の集中砲火浴びるとこだったんですよ!」
「そうだよ! あたしにもいきなりやったことない悪魔召喚させて……ヒドイよ、お頭!」
すると、サウロとマリアンネもこれまでのことを思い出し、彼の〝きほん他人事〟な作戦と行いを厳しく非難する。
「確かに。敵に背を向けて逃げたのは屈辱でござったが……ま、その汚名は晴らせたので、それがしとしては文句ないでござる」
「アタシも逆ナンとかさせられたケド……アノ〝乳バンド〟で理想ノ
それに比べて、キホルテスと露華の二人はそれほど不満は抱いていない様子である。
「ま、まあ、終わりよければすべてよしってことで。ほら、僕だって単身敵船に潜り込んで大変だったんだから。そうだ! 今回のみんなの労をねぎらい、アジトに帰ったら序列48番・有翼総統ハーゲンティの作った秘蔵のワイン振る舞うからさあ。あ、あと、序列49番・浴槽の公爵クロセルに疲れのとれる温泉も出してもらうし。ね、だからそんな怖い顔しないで…」
「マリオ~っ!」
そうして詰め寄る仲間達に必死で言い訳と懐柔策を口にするマルクであるが、その時、離れ行くサント・エルスムス号から、馴染みあるその偽名を叫ぶ声が聞こえてくる。
「マリオ~っ! さようならですわ~っ! マリオぉ~っ!」
見ると、そこには船首楼の天辺に危なげな様子で立ち、こちらに手を振るイサベリーナの黄色いドレス姿があった。
頭上に激しく雷鳴轟き、荒くれどもがひしめく危険な甲板の上を、それでも恐怖心と戦いながらマルクの姿を探して船長室から出て来たのであろう。
「セニューラ・イサベリーナっ!
船がますます速度を増し、瞬く間に遠ざかってゆく彼女の姿に、マルクも大きく手を振りながら笑顔で別れの言葉を叫ぶ。
「なんか、大変だったわりには愉しそうなんだけどぉ……」
「女ネ……向こうで女作ってたネ……」
だが、その傍らで団員の女子二人は彼に白い眼を向けている。
「そういや、妙に親密そうだったな。世話になったとかなんとか……」
「なんとも破廉恥でござる……」
「オトナの事情ですね……」
他の男子三人も、口々に勝手な誤解にもとづく台詞を呟いている。
「ち、違うって! ぜんぜんそんなんじゃないからね? やだなもう、みんなして……ともかくも、まずは我らが楽園、新天地のアジトに戻ってワインと温泉で戦勝パーティーだあ~っ!」
そうして海上に燃え盛るエルドラニアの艦隊とアルゴナウタイ号を遥か後方に残し、バアルの暴風雨と仲間達の疑念渦巻く空の下、マルクは独り誤魔化すかのようにテンション高く拳を突き上げた――。
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