第Ⅷ章 海賊の理由(8)

 また、最後に残ったドン・キホルテスの、騎士の名誉をかけたハーソンとの一騎討ちは……。


 ――シュルルルル…ギィィィーンっ! ……シュルルルル…ガィィィィーンっ…! と、回転する刃の風切音と耳障りな金属音が、途切れることなく先程から鳴り響いている……。


 まるで風車の羽のように高速回転しながら、退いてはまた舞い戻り、幾度となく襲いかかる一本の銀色に輝く剣……。


 自ら宙を舞って斬りつける魔法剣〝フラガラッハ〟の攻撃に、予想していた以上の苦戦をキホルテスは強いられていた。


 しかも、持ち主の興が乗ってくると徐々にその速度と威力も増してゆき、タクトを振るうかの如きハーソンの手の動きに合わせてクルクルと空中を飛び回るそれは、一撃目など比較にならないほどの鋭さでキホルテスに連続攻撃を仕掛けてくる。


「くっ……」


 弾いても弾いても襲いかかるその魔法の刃に、防戦一方のキホルテスは間合いに入ることすらままならず、時に剣だけでは防ぎきれずに盾に隠れてそれを受け止める。


「……っ! …しまっ…」


 また、彼が呟く口を遮り、ガシャァァァーンッ…! と鳴り響く一際大きな衝突音。


 時折、フェイントを食らって空振りすると、その隙を逃さぬ魔法剣に胴部を斬りつけられてキホルテスは吹き飛ばされる……。


 幸い古風な甲冑に守られて斬り殺されずにすんでいるが、すでにその硬い殻の内身はどこもかしこもアザだらけである。


「そのいかれた懐古趣味のおかげで命拾いしてはいるが、本当ならもう何度死んでいるかわからんぞ? ドン・キホルテス!」


 一旦、フラガラッハを手の中に戻し、甲板の上に這いつくばるキホルテスを侮蔑するように見下ろしながらハーソンは言う。


「…うくっ……なれば、まさしく古き良き騎士道文化の勝利……かつての栄誉ある騎士は皆、かように完全防備の甲冑をその身に纏っていたのでござるからな」


 対してキホルテスは苦痛に顔を歪めてよろよろと起き上がりながら、それでも勝気な笑みを浮かべてそんな減らず口を叩く。


「その代わり重くて身動きがとれず、鉄砲の餌食となったがな……ドン・キホルテス、貴様は俺が今も騎士として活躍できるのを、このフラガラッハがあるからだとでも思っているのだろう? だが、真実は否だ!」


 しかし、ハーソンの方も負けてはおらず、自らの魔法剣をキホルテスに見せつけるようにして、なおも彼の騎士道を厳しく批判する。


「俺がいまだに騎士でいられるのは石頭の貴様と違い、火器を使った新たな戦術を素直に認めているからだ! 今や戦場の主役は剣と槍ではなく、鉄砲や大砲がものをいう場所へと様変わりした……いい加減、貴様もその古臭い幻想をすっぱりと斬り捨て、騎士道などという夢物語から目を覚ませ、ドン・キホルテス!」


「なんとも情けない。まさに騎士の象徴ともいうべき宝剣を持つ、帝国最強の聖騎士パラディンとも思えぬ台詞でござるな……剣で戦わずしてなにが騎士でござろうや」


 時代の流れを柔軟に受け入れ、極めて論理的に諭すハーソンのその言葉にも、対照的に理想を追い求めるキホルテスは残念そうに首を横に振って反論する。


「だが、そのこだわりゆえに貴様は戦場で無用の長物と蔑まれ、帝国に騎士としての居場所を失った。いや、貴様ばかりではない。かわいそうに忠誠心篤い貴様の従者もその騎士道趣味につき合わされた挙句、いまや主従ともどもお尋ね者の海賊稼業だ。騎士道などという古臭い因習に縛られていては、不幸になるだけだとなぜわからん?」


「従者……」


 それまでは何を言われても怯むことなく、勝気な笑顔で返していたキホルテスであるが、その言葉を耳にすると不意に表情を曇らせ、物悲しげな瞳に不安そうな色を浮かべる。


「……! ……不幸か。騎士の魂を捨てたお主にはわかるまいが、時代に流されて誇りを失う生き様と、理想を求めて時代に抗う人生……果たして、どちらの方が不幸であろうかのう?」


 しかし、そのわずかの後。


 ハーソンの背後に〝何か〟を見ると、キホルテスはその一瞬の迷いを払拭し、再び強い信念に裏打ちされた楽天的な笑顔を取り戻す。


「よかろう……ならば、そこもとが否定する古き良き騎士道文化をもって、その剣を打ち砕いてくれようぞ! とりぁあっ!」


 そして、ブロードソードを大きく上段に振りかぶると、何を思ったか? 彼のフラガラッハを真似るかのようにそれをハーソンへ向けて勢いよく投げつける。


「フン。苦し紛れに現実逃避か……ならば、いい加減、引導を渡してやる!」


 無論、その剣がフラガラッハのように敵を自動追尾することはなく、難なくそれを避けたハーソンはその行為をただの自暴自棄のヤケクソと判断し、どこか失望したような顔でこちらも魔法剣を再び投げ打つ。


「…っ!」


 だが、その瞬間。


 何かが彼の脳裏に警戒信号を点灯させ、ハーソンは咄嗟に身を捩る……。


 すると、背後から飛んで来た鋭利なものが彼の胴スレスレをかすめ、羊角騎士団の白マントを切り裂いて前方へと突き抜けて行く。


「なっ…?」


 彼の澄んだ碧い瞳の中、優れた動体視力でスローモーションのように映ったそれは、他でもなくキホルテスが投げ捨てたはずのブロードソードだった。


「もらったでござるっ!」


 いや、それだけでは終わらない。


 ガィィィーン…! と金属音を鳴らし、斬りかかるフラガラッハを盾で弾いたキホルテスは、飛んで戻って来た愛剣の柄を逆手に受け止めると、そのまま一気に間合いを詰めて、ハーソンの胴に強烈な横薙ぎを打ち込んだのである。


 瞬間、ギィィィィィィィーンっ…! とまたしても鳴り響く、一際大きな金属と金属の激しくぶつかり合う音。


「ぐっ……」


「……なんと、これを止めたでござるか? まだそのような奥の手を持っていようとは……」


 しかし、間一髪。ハーソンはそれを防いでいた。


 彼の左手には逆手に引き抜いた短剣が握られ、打ち込まれたブロードソードをギリギリと鎬を削りながら受け止めているが、その刃は蒼白い光を放ち、明らかに魔法の剣であることを示している。


「……む!」


 …ギャリィィィーン! …と火花を散らして短剣と斬り結んだ剣を振り上げ、返って来たフラガラッハを弾いて距離をとるキホルテス。


「これを俺に抜かせるとはな……あまり人に知られてはいないが、こいつは〝スティング〟と言ってな。フラガラッハ同様、古代異教の遺跡で見つけたものだ。危険が迫ると刃が光って持ち主に教えてくれる。先程の攻撃を避けられたのもそのおかげだが……貴様、いったい何をした?」


 すると、ハーソンは魔法剣を右手で受け止めながら、左の手にある短剣を見せつけて説明と質問を同時にする。


「フン。申したでござろう? 古き良き騎士道文化でお相手をすると……お望みとあらば、もう一度お見せするでござりよ、ふん!」


 その問いに、さも愉快そうに鼻で笑ったキホルテスは、再びハーソン目がけて手にしたブロードソードを振りかぶって放り投げる。


「……っ? ……そうか……そういうことか、サウロ・ポンサ!」


 身を捻ってそれを避けた後、今度は油断なくその行き先を目で追ったハーソンは、自分の背後でその剣を見事キャッチする、ドン・キホルテスの優秀な従者の姿をしかと目にした。


「旦那さまっ!」


 剣を受け取ったサウロは間髪入れず、再びそれをハーソン目がけ投擲する。


 絶妙なコンビネーション攻撃を演じる彼の顔には、主人とともに戦うことが嬉しくて仕方がないという笑みが零れている……。


 そう。ナイフ投げ同様、いつもやっている〝刀剣の投げ渡し〟で鍛えた技を応用し、ハーソンの背後に回ったサウロがこの〝疑似フラガラッハ戦法〟を行っていたのだ。


「ハーソン卿、私のことまで心配していただき、まことにありがとうございます……けど、あなたは一つ大きな勘違いをしています」


 投げ返された剣も避け、その剣をキャッチするキホルテスに注意を払いつつも、自分の方を向いて睨むハーソンにサウロは堂々と意見を述べる。


「確かに私は騎士道バカな旦那さまのために平穏な生活を奪われましたし、そんなバカについていくこと以外、下僕である私に生きる術はありませんでした……ですが、それはただ仕方なくそうしているのではありません。下僕の運命を主人が握っているというのであれば、その主人を立身出世させて、己が運命も切り開いてやろうじゃありませんか」


「……なに?」


 思い込んでいたものとは違う彼の考えに、ハーソンは眉根を寄せてさらに強く睨む。


「それにどうせ仕えるなら、利口でも狡猾で卑怯な騎士なんかより、バカだけどまっすぐでカッコイイ騎士の方がいいですからね」


「……フン。なるほど。心を通わせた騎士と従者のなせる業ということか……確かに古めかしい騎士道文化だな」


 さらに付け加えて不敵な笑みを見せるサウロに、ハーソンも苦笑いを浮かべながら皮肉を込めて呟いた。


「だが、一人に従者と二人がかりとは、むしろ貴様の方が騎士にあるまじき卑怯な振る舞いではないのか?」


「なあに、古き昔の時代より、騎士と従者は一心同体。何も心配はござらん。それにそこもとの自ら動く魔法の剣も、もう一人味方がいるようなもんでござるからな。さあ、これでようやく条件は同じ。ここからが本番でござる!」


「ええ。僕は旦那さまの剣の一部だと思ってください!」


 ハーソンの皮肉もさらりとかわし、こちらも短剣を抜いて二刀に構えると、ドン・キホルテスはサウロとともに改めて彼に戦いを挑む。


「そんな付け焼刃の偽物が本物の魔法剣にかなうと思うな。ならば、その一心同体の従者ともども二人一緒に切り刻んでくれる……」


 対してハーソンも二本の魔法剣をその手に構え、口の減らない屁理屈な主従と対峙する。


 だが、その時。


 彼らの頭上で突然、カッ…と稲光が走り、ゴロゴロ…と腹に響く雷鳴の音が夜気を震わせながら周囲に木霊した。

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