第Ⅷ章 海賊の理由(6)
一方、吟遊詩人のオルペと対峙することになったリュカの方では……。
「――今日こそ僕の弓で仕留めてあげるよ、〝ジュオーディンの怪物〟くん!」
またも放たれたオルペの矢が、湿った海の夜気を切り裂き、一瞬前までリュカのいた甲板の上に軽妙な音を立てて突き刺さる。
「ケッ! そう言われて、あ、よろしくお願いします……なんて、おとなしく仕留められてやる獲物がいるかっつーの!」
悠々と
「そんな遠慮するなって。『赤ずきん』にしろ『三匹のこぶた』にしろ、悪いオオカミは最後に退治されるのが物語のセオリーなんだからさっ…と!」
語るのが仕事の吟遊詩人らしく、なおも無駄口を叩きながら跳び回るリュカをオルペは射る。
だが、すばしっこい獲物はそれも飛び退いて避け、矢はまたも虚しく甲板に突き刺さるだけだ。
「教会に〝狼刑〟食らってその
「ハン! この姿になったのは教会のせえじゃねえ。俺自身の望んだことだ……それに生まれ育った村じゃあ、オオカミになる前から嫌われ者の悪ガキだったからな……」
並の人間ではとても避けれない速さの矢を、野生の感と獣の動きですべてかわしながら、リュカの脳裏には過去の記憶が蘇る……。
病の妹を救うために掟を破り、狼刑を食らったこと……。
オオカミの毛皮をかぶらされて森の中を彷徨い、図らずも経験した野生の獣達や隠れ住む魔女の暮らしぶり……。
そして、その間に妹が死んだことを知り、本当に人狼となって教会や村の者達に報復したあの日の惨劇……。
「だがよ、俺は追放された森ん中で狼や他の獣達の生きる様を長えこと見てきたが、人間みたく掟だの教義だのいうくだらねえ都合で仲間を見殺しにするようなやつはどこにもいなかった……そうやって仲間を見殺す人間と、仲間の命を大切にする獣……果たしてどっちが悪者なんだろうな?」
オルペにというよりは、なんだかこの世界や自分自身に問うかの如く、リュカはそう呟く。
「てめーだって、うすうすそのことには気づいてんじゃねえのか? 俺はオオカミになってからよく鼻が利くようになったが、てめーからも〝俺達〟と同じ、人外の者のニオイがするぜ」
そして、突き出したイヌ科の鼻をクンクンとさせながら、今度はしっかりとオルペに対して問う。
「こいつは死肉の腐臭のような、ジメジメとした墓場の土のような……てめー、〝あっち〟の世界に片足突っ込んだことあんだろ? そのナンパな面からして死んだ女でも追ってったか…」
だが、彼から発する臭いを頼りに、そんな推論を冗談交じりに言った時のことだった。
「黙れえっ! それ以上、その汚らわしいケダモノの口で語るなっ!」
それまでの飄々とした態度を豹変させ、不意にオルペは声を荒げると、血相を変えて冷静さを失う……。
リュカはただ当てずっぽうで言っただけだったが、彼は本当に失った恋人を生き返らせようと冥府下りした経験があるのだ。
「おやあ? 図星だったか、
「チッ……」
さらに挑発するかのようなリュカの物言いに、逆上したオルペはギリギリと思いっきり弓を引き絞り、今度こそ本気でその人狼を射殺そうとする。
しかし、冷静さを欠いた彼の弓は大きく的を外れ、その隙が接近の機会を獰猛なオオカミに与えてしまう。
「ヘン…狩りに苛立ちは禁物だぜ?」
わずかにできた余裕を使い、弓のように丸まったリュカは思いっきり甲板を蹴り上げる。
「しまっ…」
そう思った時にはもうすでに遅く、リュカは高い
「うぐっ…!」
そればかりか、強かに背を打って呻き声を上げるオルペを抑え込むと、その無防備な喉笛へ噛みつこうと鋭利な歯の並ぶ口を大きく開く。
「……っ!?」
だが、オルペが死を覚悟したその瞬間、またも強い殺気を感じてリュカは慌てて跳び退く……。
と、その直後、彼がそのままオルペに噛みついていれば、確実に胴を貫かれていたであろう中空の位置を高速で横切り、通常の長さの半分ほどしかない短い槍が床板の上にドスッ…! と重たい音を立てて突き刺さる。
「大丈夫か、オルペ?」
「痛てててて……ああ、すまん、助かった。危うく喰われるとこだったよ」
咄嗟に避けたリュカが間合いをとって見ると、よろよろと起き上がろうとするオルペに近づき、声をかける一人の羊角騎士がいる。
リュカに負けず劣らずの凶悪な人相をした無慈悲な槍使い――パウロス・デ・エヘーニャである。
「チっ…人の食事の邪魔すんじゃねえよ、マナーを知らねえ田舎もんが……」
そんな、狩人の射手に続いて現れた銛投げの漁夫に、リュカもいっそう獰猛な顔で、そう告げながら口元の涎を拭った――。
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