第Ⅷ章 海賊の理由(4)

「――おっとっとっと……ふぅ…もう乱暴だなあ……」


 一方、突然、投げ出されたマルクの方は、なんとかレヴィアタン号の甲板に着地して、手をバタバタとさせながらバランスをとる。


「オォォォ…!」


「シャァァァ…!」


 と同時に聞こえてくる不気味なバケモノの唸り声と、バキュゥゥーン…! バキュゥゥーン…! 連射される銃声にヒュン、ヒュン…飛び交う弓矢の風切音……。


「ほお、こいつはまた派手にやってるねえ……魔女メデイアとその使い魔かぁ……」


 ようやく体を安定させてマルクが船上を眺めると、そこではマリアンネとメデイアが、それぞれにマスケット銃と毒弓矢を激しく撃ち合い、彼女達のゴーレムと使い魔も取っ組み合いの大喧嘩を繰り広げていた。


「やあ、マリアンネ! 君もご苦労だったね。もうしばらく時間稼ぎ頼むよ? 著名な魔法修士が二人相手となるとなかなかキツいけど、さっそくこいつを使って逃げ道確保するから……ほうほう、なるほどぉ…そういうやり方か……」


 だが、否が応でも視界に入る巨人達の乱闘には目もくれず、マルクはそう言ってマリアンネを労うと、そのまま『大奥義書』をパラパラと捲りながら読書を始めてしまう。


「あ、本物・・のお頭だ! お帰りなさい。お目当てのものはゲットできたみたいだね!」


 その聞き慣れた声に気づいたマリアンネは、なおも拳銃を両手に構えたまま、こちらもごくありふれた日常の一コマのように返事を返す。


「ま、マルク・デ・スファラニア? しまった! 最早、『大奥義書』はヤツの手の内か……」


 一方、マリアンネのその言葉と、どこか見憶えある少年が手にする赤い革表紙の古びた本により、すべてを悟ったメデイアは思わず驚きの声を上げる。


「早く団長に知らせなくては……エンプーサ! 戻るぞ!」


「シャァァァ…!」


 そして、その見過ごせない重大な事実をハーソンに伝えるべく、己が使い魔の名を呼ぶと彼女をゴリアテから引き離し、その腕に抱えられてサント・エルスムス号へと跳び移って行く。


「あ、そうは問屋が卸さないんだからね! ゴリアテちゃん、あたし達も行くよ!」


「オオォォォっ…!」


 それを見たマリアンネも素早くゴーレムに命じ、その脚にしがみつくと二人して魔女達を追って行ってしまう。


「……あ、行っちゃった……ま、この様子じゃ、もうこの船を狙ってくるやつもいそにないからいいか……さて、僕の方もお仕事を始めるとするかな」


 独り残されたマルクは視線を上げると、そう独り言を呟きながらパタンと赤い革表紙の本を閉じ、メインマストの前に転がっている〝カピタン・マルク〟だったものへと歩み寄る。


「何があったか知らないけど、ずいぶんと派手にやられてるな……おまえもお役目ご苦労だったね。そんじゃ、バトンタッチだ。こいつは返してもらうよ……」


 もうしゃべらなくなった真鍮の人頭を拾い上げ、しばし眺めてから再び無造作に床へ転がすと、今度は倒れている胴体の方を抱き起し、その衣服に藁を詰めて作った案山子かかしから黒いフード付きジュストコールと、剣と銃を下げた黒い革ベルトを引き剥す。


「なんか…ゴホゴホ……埃っぽいし、煙臭いぞ? まったく扱いが雑なんだから……」


 続いて、その煤と陶器の破片塗れになった上着をバサバサと振るい、落ちていた三角帽トリコーン風のウィッチハットも手に取ると、マルクはそれらを身に着けて、本来あるべき〝魔術師船長マゴ・カピタン〟の姿へと変貌した。


「ふぅ…やっぱ自分の船は落ち着いて儀式ができるからいいね……」


 ようやくもとの自分に戻ったマルクはすぐさま船長室へと向かい、『大奥義書』片手にさっそく悪魔召喚の儀式を始める。


 先ずはマリアンネの使っていた〝ソロモン王の魔法円〟が描かれる絨毯をクルクルと巻き取って端に寄せ、棚の引き出しから種々の材料や〝鎌とナイフを紐で繋いだコンパス〟を取り出すと、それを用いて直接床に三重の円を描き出す……


 さらにその下描きの円の上に仔山羊の皮で作った紐を張り、子供の棺桶から抜き取った釘で四方を留めると、今度は血玉髄ブラッドストーンという宝石でその中に三角形を描き、その脇に処女の作った蝋燭を二本立てたら、円の外へ左廻りに「A・e・a・j」、円内の下方に「J.H.S」と聖なる文字を書き込む。


 慣れた手つきで素早くマルクが描いたそれは、新たに『大奥義書』を読んで得た知識をもとにした専用の魔法円である。


「フゥ…下準備はこれでよしと……」


 魔法円が完成すると、三角の上方に置いた真新しい火桶に石炭、樟脳、ブランデーを入れて炎を灯し、その前に立ったマルクは腰に帯びた剣を引き抜く……


 半円形のナックルガードの付いた柄の形からしてカットラスのように見えなくもないが、その神聖文字と記号の刻まれた刀身は妙に短く、いわゆる魔術用の短剣ダガーとなっている。


「今日は時間がないからね、初めから飛ばしていくよ……偉大なるルシファー皇帝よ! 主の御名において命ずる! 悪魔宰相ルキフゲ・ロフォカレを派遣すべし! 霊よ! 我は偉大なる力の名においてお前に命ずる! 速やかに現れよ! アドナイの名において!」


 その特異な短剣で空中を斬りつけるようにしながら、マルクはすぐさま儀式を開始する。


 ボッ…。


「無礼者め! いきなり刃物と強力な呪文で呼び出すやつがあるか! 礼儀を知らぬド素人の小生意気な小僧めが!」


 すると時を置かずして、火桶から立ち上る甘い香りの煙の中にその奇妙な悪魔が姿を現した。それは頭に三本の捻じれた角、ロバの脚と尻尾を生やした道化師のような恰好をしており、右肩には大きな輪っか、左手には銭袋のようなものを握っている。


「現れたね、君がルキフゲか。急いでるからさっさと先行くよ? 次席上級六悪魔、悪魔宰相ルキフゲ・ロフォカルよ、そなたの配下十八属官が一柱、大公爵バアルを召喚し、我に助力するよう速やかに命じよ! 応じねば呪文によりて、おまえとおまえの仲間を永遠に苛む!」


 その奇怪な姿を確認すると息吐く暇もなく、マルクは続けざまに己の要求を悪魔に伝える。


「はあ? 何を寝ぼけたことを言っておる。そなたのような小僧の言うことをこのわしが聞くわけなかろう。ま、20年後にその肉体と魂を差し出すと契約するのなら、考えなくも…」


 無論、いかにも貧弱そうな少年に突然呼び出され、なんの見返りもなくされる要求を悪魔の宰相が聞き入れるわけもなく、肩をすくめて苦笑しながらこちらも条件を出すのだったが……。


 バキュゥゥゥゥーン…! 


 と、不意に銃声のような爆音が鳴り響き、ルキフゲの頬を何か焼けるようなものがかすめる。


「な…………」


 頬の熱さに目を見開いてルキフゲが見れば、マルクの左手には腰に下げていたマスケット拳銃が握られ、その先端から青い炎が燃え上がっている。


 だが、それはただの拳銃ではなく、銃身の部分がハシバミの木の若い枝で作られた〝魔法杖ワンド〟となっているものだ。


「うちの錬金術師に作ってもらったこの拳銃形魔法杖ワンドはね、引金を引くと火縄と火薬の代わりに硫黄と水銀が爆発的接触を起こし、ほんの一瞬だけど〝賢者の石エリクシール〟を錬成できるんだ。その万能の霊薬の弾を食らったら、どうなるかはわかっているよね? さっきも言ったように僕は急いでるんだ。そういう〝お約束〟はいいから、さっさとバアルに命じてくれないかな。でないと…」


 驚きと恐怖の色をその顔に浮かべ、ポカンと口を開けたまま固まっているルキフゲに、構えた魔術武器の解説を加えながら、冷ややかな笑顔でマルクは再び脅しをかける。


「わかった! わかったから、その杖で撃たないでくれ! ……ったく、神の威光じゃなく銃で脅しをかけるとはなんて物騒なガキだ……だが、言っておくが、むしろ俺様以上にバアルの力は強大だぞ? 呼び出したところで、願いを聞き入れてくれるかどうかは知らんからな?」


 「非金属を貴金属に変え、人間を神に致しめる」とまで云われるその霊薬の威力を前に、ルキフゲはその態度を一変、嫌々ながらも無条件にマルクの要求を飲むことにする。


「わかってるよ。だから偉大な上司である上級悪魔の君に口添えを頼んだんじゃないか」


「フン。今さらおだてても遅いわい。じゃあな。ほんと、どうなっても知らんからな……」


 冗談めかして答えるマルクに、悪魔宰相は苦々しげにそう呟きながら、煙が霧散するかのようにその姿を消す……。


 が、すぐに今度は風が巻き始め、雨雲が如き黒々とした煙が火桶から湧き上がると、ゴロゴロ…と雷鳴が室内に轟き渡り、カッ! と瞬間、稲光が視界を真っ白にしながら、また新たな悪魔の一柱がマルクの前に姿を現した。


「宰相ルキフゲの言っていた、我に用があるというのはそなたか?」


 薄暗い船長室の中、稲光に照らし出されるその蛙と猫と王冠をかぶった人の顔を持つ蜘蛛の姿をした悪魔は、不気味なしわがれ声で目の前のマルクを問い質す。


 かつては豊穣と嵐を司る神であった堕天使、ソロモン王の72柱の悪魔序列第1番、偉大なる王、大公爵バアルである。


「ああ、僕で間違いないよ。だから、ルキフゲの顔に免じて願いを聞いておくれ……主の名において命じる! 最高神イルの子、またはハッドゥ、またはハダド、またはセトの名を持つ〝偉大なるバアルバアル・ゼブル〟よ! その恐るべき力で嵐を起こし、我らに仇なす船団のマストをへし折りたまえ!」


 ルキフゲなどよりもよっぽど恐ろしい高位の悪魔に、それでもマルクは怯むことなく、カットラスの短剣ダガーとマスケット銃の魔法杖ワンドを油断なく突きつけながら、己が要求するところを威風堂々と述べ上げた――。

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