第Ⅷ章 海賊の理由(2)

「マルク・デ……それって、あの魔術師船長マゴ・カピタン……嘘ですわ! マリオが海賊の頭目だなんてことあるわけないですわ! ああ、わかりましたわよ。そういうドッキリを仕掛けて、海賊に怯えているわたくしを元気づけてくれるつもりでいたんですのね?」


 無論、突然、そんなこと言われても信じられず……否、到底、受け入れられるものではなく、イサベリーナは自分に言い聞かせるようにして、少々無茶な推論でそれを否定する。


「申し訳ないけど、嘘でもドッキリでもないよ。どの船のどこに『大奥義書』があるかわからないと、天下の護送艦隊相手に盗んで逃げるのは至難の業だからね。そこで僕は水夫見習いのマリオとして、この旗艦サント・エルスムス号に潜入していたというわけさ。どうだい? 僕のリアルなヘタレさがイイ味出して、なかなか水夫見習いも板についてただろう?」


「そんな……まさか、そんなことが……」


 だが、自分の推論よりもよっぽど説得力のある説明を加えてくれるマリオに、もう一度否定しようとしたイサンベリーナは途中で口を噤んでしまう。


 つい今しがた目にした悪魔召喚の儀式や不思議なあの燭台が、彼の言葉が嘘偽りでないことを無言に主張している。


「……それじゃあ、わたくしをずっと騙していましたの? 最初から『大奥義書』の場所を聞き出すためにわたくしに近づいて……」


 それが、受け入れねばならぬ真実であることを悟ったイサベリーナは、彼が海賊の頭目であることよりも何よりも、その最も信じたくはない最悪の疑念をおそるおそる尋ねてみる。


「いや、騙すつもりはなかったけど、結果的には大いに助けられたよ。こいつの仕掛けも下見ができたし、君にはお礼を言わなくちゃいけないね」


 すると、彼は再び金庫の方へと歩み寄り、魂の抜けたケルベロスの頭をポンポンと戯れに叩きながら、いつもと変わらぬ朗らかな笑顔でほんの少しだけ安心できる答えをその口にした。


「……ですが、やはり信じられませんわ。あなたがあの悪名高き魔術師船長マゴ・カピタンだなんて……あなたのような優しい人が、どうして海賊のような恐ろしいことを……」


 その言葉にわずかながらもホッと胸を撫で下ろしたイサベリーナは、それでもどうしても納得のいかないそのことを改めて問い質す。


 おそらく彼が嘘を言っていないことはイサベリーナとてわかっているし、彼を知っているように思っていたのは幻想であり、実際には何も知ってはいなかったことも今の彼女は理解している……


 しかし、短い間ではあったがこの一月というもの、同じ船でともに旅をしてきて、彼の人となりというものは多少なりとわかっているつもりである。


 そんな彼女の中にある〝マリオ〟のイメージと、噂に聞く恐ろしい海賊の親玉とではどうしても結びつかないのだ。


「あのように争いごとを嫌い、わたくしに世の人々の苦しみを教えてくれたあなたが……お父さまのこととか戦争のこととか、これまでに話してくれたことも全部嘘だったんですの?」


 心の中に渦巻く疑念や葛藤、不安や怒りなどの感情が相まって、イサベリーナは思わず声を荒げて質問を重ねる。


「いや、前に話したことは全部本当だよ。エルドラニアに故郷のスファラーニャ王国を滅ぼされて以来、僕の家庭教師だった人が父親代わりになってくれてね、医者をやりながら一緒に旅をして暮らしたんだ。思えば、その頃が一番楽しかったかもしれないな……で、その人も〝魔導書の不法所持〟罪で殺されて後は、自由を求めて新天地に渡ったっていうのも本当さ」


 だが、その問いにも嘘は言っていないと、彼はよく知った〝マリオ〟の声で答えを返してくれる……反面、それは彼女が今まで解釈していた以上に辛く悲しい残酷な過去ではあったが……。


「それでは、あなたが海賊になったのはエルドラニアへの復讐のため……」


「復讐か……確かに復讐だけど、それは〝この世界〟への復讐だ。さっき君は人々の苦しみと言ったね? そう。この世の人々は、誤った世界の仕組みによって理不尽に苦しめられているのさ」


 わずかながらに知れた彼の半生から、そんな推測をしてみるイサベリーナだったが、どうやらそれが当たってはいないようなニュアンスで彼はその答えを語り出す。


「こう言っちゃなんだがイサベリーナ嬢。君も貴族のご令嬢として自由のない身で苦労しているとは思うけど、僕らから見ればただの甘ったれた、恵まれた人間のくだらないワガママだよ」


「そんな……わたくしは恵まれてなど……」


 いつになく意地悪に、自分を完全否定する彼にイサベリーナは言い返そうとするが、先程聞いた彼の過去を思い出すと、途中でその言葉を継げなくなってしまう。


「いいや、君はまだまだ世間知らずのお嬢さまさ。君達とは住む世界の違う下々の者は、日々食うや食わずの生活の中、常に戦争や疫病の恐怖に晒されながら暮らしている。その上、その苦しみから救ってくれるかもしれない〝魔導書〟の使用も禁じられてね」


 だが、なおもイサベリーナをなじるように彼は言葉を続ける。


「かくいう僕の仲間達も、そんな禁書政策の犠牲者でね。リュカは病気の妹を救うため、魔導書を使えない代わりに魔女の薬に手を出し、教会から〝人狼刑〟を食らってほんとにオオカミになってしまった……辰国から来た商人の娘の露華は、白死病の流行で親族全員を失い、たった一人で異国の地に残されたけど、それも魔導書を使った医術があれば避けられた話だ」


 自分に引き続き、仲間達の過去も語り出す彼の話にイサベリーナはじっと耳を傾ける。


「同じくダーマ教徒のマリアンネも魔導書所持の容疑で錬金術師の父親を獄死させられた上に、魔導書を使えば防げていた白死病の流行を自分達のせいにされて、住んでいた隔離居住区ゲットーの同族をプロフェシア教徒の暴徒に虐殺された……それとは少し違うけど、ドン・キホルテスとサウロも時代の流れに翻弄され、魔導書の力で魔法剣を作り出すことに一縷の望みを託している……僕らはね、魔導書さえ自由に使えれば、みんな幸せになれたはずなんだ」


「それでは、あなたが海賊として魔導書を狙うのは……」


 彼の語る仲間達の居たたまれない昔話を聞く内に、イサベリーナはなんとなく、彼が海賊である本当の理由がわかってきたような気がした。


「僕らは魔導書を奪うだけじゃなく、その写本を作って広く売ってたりもするけど、それは別にお金儲けのためじゃない……ってもまあ、海賊やるにもお金はいるから有料配布にしてるんだけどね。でも、それは魔導書の流布によって、世の中の不平等をなくすためさ。エルドラニアや教会だけじゃなく、誰もが自由にその恩恵に与れるようにね」


「マリオ、やっぱりあなたは……」


 彼女の疑問に答えたその言葉に、それまではしっくり来なかった、自分の知る〝マリオ〟という人間と〝マルク〟という海賊の人物像がようやく一つに重なり始めた時のことだった。


「……あ! よお、お頭! ようやく見つけたぜ!」


 突然、入口に立ち尽くしていた彼女の背後から、大声を張り上げて顔を覗かせる者がいる。


「…? ……き、キャアァァァ~!」


 振り返ってその者の姿を見た瞬間、顔面蒼白になったイサベリーナは悲鳴を上げるとともに、ものスゴい勢いで壁際まで後退さってしまう。


 なぜならば、そこにいたのは耳元まで口の裂けた、オオカミの頭を持つ怪物だったからだ。


「ああ、心配いらないよ。さっき話したリュカくんだ。やあ、リュカ! 久しぶり。マストに結んどいた秘鍵団の旗にちゃんと気づいてくれたようだね」


 だが、マリオ…いや、マルクは驚く素振りも見せず、彼女を安心させるようにそう断ると、懐かしそうにそのオオカミ男に声をかける。


「んん? なんだそいつは? てか、首尾は? お宝は手に入れられたのか?」


「ああ、首尾は上々。ほら、これが今回のお宝、『大奥義書』だ。それからこちらはサント・ミゲルの新総督さまのご令嬢、セニョーラ・イサベリーナ・デ・オバンデスだ。ご無礼のないようにね」


 猛禽のような瞳でイサベリーナを一瞥した後、尋ねるオオカミ男にマルクは手にした本を見せつけながら答える。


「ああ、こいつはどうも。うちのお頭がご厄介になったようで」


「ひっ……」


「んな怖がらなくても、なにも取って食やしねえよ……さあ、お頭。盗るもん盗ったんだったらとっととズラかるぞ? お頭の作戦のおかげで外はえれえことになってるからな」


 船長に言われて挨拶すると、ますます顔を引きつらせて震え上がるイサベリーナに、オオカミ男は嫌そうに顔をしかめながらマルクをそう言って促す。


「ああ、そうだね。それじゃあ、イサベリーナ嬢、僕らはそろそろお暇することにするよ」


「……あ、待ってマリオっ!」


 〝本当の〟仲間の催促に、妙にあっさりと別れを告げて立ち去ろうとする友人の名を、我に返ったイサベリーナは慌てて呼び止める。


「安心して。君達の命まではとらないから。新天地にも無事に着けるはずさ。あそこにはいろいろな意味で自由がある。君も向こうに行ったら、望み通り自由に生きてみるといい。そして、何ものにも捉われない自由な瞳で、この世界を眺めてみることだ。そうすれば、僕達のやっていることの意味も少しはわかると思うよ。それじゃ、縁があったらまたどこかで。アディオス!」


 だが、彼は最後に〝マリオ〟の顔で、いつものように彼女を諭すと、さっさとオオカミ男とともに船長室を出て行ってしまう。


「ええ! きっとですわ! きっとまたどこかで……新天地でお会いいたしましょぉ~!」


 突然の別れに一瞬遅れ、急いでその後を追って廊下へ走り出たイサベリーナは、去り行く彼らの背中に大声で叫ぶと、しばし呆然とその場に立ち尽くした……。

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