第30話 灼熱の旅路

 祐樹の乗った砂漠馬は炎天下の砂漠を駆けていた。

 ピケットは彼の背負った背嚢から頭だけを出して、無言で激しい揺れに耐えている。

 朝から、もう六時間以上連続で走り続けていた。ついに、馬は口から泡を吹き、前足から砂丘に倒れ込んだ。暑さに強い砂漠種でも、この灼熱の中、全力に近い疾走をいつまでも続けることはできない。

 祐樹はそのまま前に投げ出され、砂の大地にしたたかに叩きつけられた。砂地とはいえ、これほどのスピードで叩きつけられれば衝撃はコンクリートと大した違いはない。


「うーっ!」


 彼は大声でうなりながら、痛みをこらえて立ち上がった。痙攣を起こし、白目を剥いて倒れている馬に歩み寄ると、その首筋に静かに右手を添える。

 左手は胸元に添えて魔法結晶を握りしめると、そのままの体勢で目を閉じ、口の中でぶつぶつと体力回復の呪文を唱え始める。


 詠唱をしばらく続けるうちに馬の痙攣は次第におさまり、それどころか前足をで宙を掻き、立ち上がろうとさえし始めた。

 祐樹が首から手を離すとすぐに馬は立ち上がった。小さくいななき、首をぶんぶんと振って体勢を整える。


(おい、無理するなよ。もう三度目だぞ。これ以上こいつに体力を分け与えればユウキの方が先に参ってしまう)


 祐樹は水筒の水を左手に受け、馬の鼻先に差し出した。馬は一口で水を飲み干す。何度か繰り返すうちに、水筒の水はすべてなくなった。


「もう少し、もう少しでクジマに辿り着くんだ」


 ピケットの言う通り、祐樹の体力ももう限界だった。次に馬が倒れればもう余裕はない。這って行くしかないだろう。


(気持ちはわかるけど少し休もう。これ以上無理したら全員途中で生き倒れる)


「それもそうか」


 全身から滝のような汗が吹き出し、荒い息をする砂漠馬の様子を見て祐樹は考えを改めた。


「いや、魔法ってもっとずっと楽ができる能力だと思ってたのにな」


 祐樹もまた、肩でハアハアと荒い息をしながら、砂まみれの顔でにへらーと力なく笑う。


「呪文ひとつでひょいって空を飛べたり、瞬間移動したり、そういう都合のいいのはないのかな?」


(それじゃまるでおとぎ話だよ。魔法使いルッコじゃあるまいし)


「なんだ、その、ルッコってのは?」


(強大な力を持った魔法使いが活躍するおとぎ話さ。この大陸最初の魔道士だとされている。でも……)


「でも?」


(ああ、時の権力者に暗殺されたとか、追放されたとか。どっちにしてもあんまり幸せな結末じゃないんだよ)


「そうか。結局、異能は……」


(まあ、それはともかく、どっちかというとそういう移動系の魔法は魔法機械の担当分野だな)


 ピケットが出やすいように、祐樹は背中のザックを地面に降ろした。

「それで思い出した。君は僕の世界の機械を見て、率直にどう思った?例えば、飛行機、電話、テレビ、コンピューター……」


(ああ、最初はまるで魔法だと思ったよ)


「だろ。と言う事は、ここの世界の魔法だって、考えて見れば科学で説明出来そうなものって多くないか。さすがにはるかに進んだ技術ではあるけれど」


(つまり?)


「うん。考えてみたんだけど」


 祐樹は砂地に腰を降ろして、そのままごろりと横になって空を見上げた。マヤピスの地下で見た衝撃的な光景は今も心に焼き付いている。


「例えば、の話だけどさ、かつて、僕みたいな科学文明世界の人間が大昔にこの世界を訪れたことがあって、彼らの残した置き土産が魔法なのじゃないかって思ったんだけど」


(それで?)


「彼らはこの世界を管理するために魔法の仕組みを生み出した」


(どうしてそんなことが言える?)


「フィッグ老師の所で見ただろう? 僕の雷撃魔法は老師のそれとは細かいところが違う。僕のは詠唱がいらないし、威力だって……」


(魔法のベースに科学があるっていうのかい?)


「うん。それならば、仕組みさえわかれば自分たちで新しい魔法を作る事だって出来ないかと……」


(魔法を作る……そんな事一度だって考えもしなかったな)


「たぶん、僕の親父はそれを考えていたと思うんだ。根拠のない想像だけどね」


(……すごいな。君は新しいタイプの魔道士になれそうじゃないか)


「そうかな。僕は体力に自信がないから小技でごまかすしかないんだよ」


(それは向こうに居た時の話だろ? 近ごろのユウキはどこか変わってきたと思うけどな)


「はいはい。それはどうも」


 軽くいなす祐樹に向かってピケットはニャーと抗議の鳴き声を上げる。


(おい、お世辞じゃないぞ。この調子で君もおやじさんみたいな大魔道士を目指すってのはどうだい?)


「うん、フォルを無事に助け出せたら……それが本当にできたら、考えてみてもいいかも知れないけど」


 祐樹はそこで考えを打ち切ると、一息で立ち上がった。

そう、今はもっと大切なことがある。


「さあ、行くぞ」


 祐樹はピケットを背嚢に戻らせ、しっかりと背負い直した。数歩走って勢いをつけ、馬によじ登ると、かかとで馬の脇腹を蹴った。馬は再びゆっくりと走り出し、徐々にスピードを上げて全力で疾走し始めた。





 それから二時間半後、四たび倒れた馬の意識はついに戻らなかった。

 祐樹は何とか助けようとしたが、彼自身の力不足に加え、老師に授かったばく大な知恵をもってしても、肉体を離れてしまった魂を呼び戻すことは不可能だった。


「ごめんな」


 祐樹はそう詫びると砂地に大きな穴を掘り、馬を横たえると砂を大きく盛り上げて塚を築いた。この地では馬肉も高級食材とされているが、たとえどれほど空腹でも、文字通り命を賭けてここまで彼らを運んでくれた砂漠馬を無情にさばく気にはなれなかった。


「老師にも後であやまんないとなあ」


 もはや口を開くのもおっくうなほど疲れ果てた祐樹とピケットは日没までそこで座り込んだまま動けず、太陽が地平線に達しようとするころになってようやくのろのろと立ち上がった。


「……ここからは歩きか」


(日が暮れて良かったな。昼間じゃ干物になる)


「まあね。もう水もないし。クジマがあまり遠くないことを祈るよ」


 一日中熱風にさらされた砂漠を一陣の涼風が吹き抜け、あかね色に染まった東の空にはすでに一番星が輝き始めていた。


「あ、宵の明星かな?」


(なんだいそれ?)


「知らないのか? 向こうじゃ夕方に明るく輝く星を明星って言うんだ。隣の惑星、金星の姿なんだけどね」


(うーん。聞いた事ないなあ。こっちの人はあまり空に注意を払わない。月が二つあることすら知らない人がほとんどだ)


「月が二つ!?」


(ああ、〝調和の月〟〝惑いの月〟っていうんだけど?)


「全然気づかなかった」


(二つの月が同時に出ることはないし、毎晩必ずどちらかの月が輝いているから、よっぽど注意深い人以外、二つあることに気づくことはないね)


「そうかー、僕もじっくり見たことなかったよ。それに、こうして見ると知ってる星座がひとつも無いなぁ」


 祐樹はふじ色から深い群青色に変わりつつある夜空に浮かぶ星を見上げ、深くため息をついた。


「……僕はさ、今の今までこの世界も元の世界と同じ地球なんだと考えてた。たまたま何かのきっかけでちょっとだけ違う発展のしかたをした平行世界の地球だと思ってたんだ」


(ひとつの世界が何かの拍子に枝分かれしたという話だね)


「ああ、でも、今改めて夜空を見上げて、この星は地球とは全然違うんだって改めて感じたよ。太陽は元の世界のより明るい気がするし、月もずいぶんでっかいし。だとすると、元の世界とこの世界の共通点って一体何なんだろう?」


(それはそんなに重要なことなのかい)


「この星が広い宇宙のどこにあるのか、僕は知らない。でも、地球とこの星はたまたまよく似た環境で、同じ生態系が発展し、同じ人類が暮らしているという信じられない偶然で繋がっているに過ぎない」


(ふむ)


「だとすれば、僕の母親が使ったグリヤはなぜ、かけ離れた二つの世界を繋いだんだ? それに、フォルと君が抜けてきた次元の裂け目はなぜ未だに二つの世界を繋ぎ続けているんだろう。それが僕には理解できない」


(悪いけど、その疑問そのものが僕にはよくわからない。僕は最初から世界はそういうもので、魔法だってそう。理由なんか考えたこともない)


 黒猫の答えに、祐樹も頷く。


「……そうだよね。水がなぜ透明で、炎がなぜ熱いんだと言ってるのと同じだ。意味の無い疑問。そんなことは僕だって判っているんだ」


 祐樹は首を振ってとぼとぼと歩き始める。


「僕は、たぶん、確信が欲しいんだ。フォルと自分を繋いでいるものが何なのか、自信がないんだよ」


 黒猫は答えずに小さくため息をつき、祐樹の足跡に自分の小さな足跡を重ねながら地平線を見渡した。そして、ひとりごとのように呟いた。


(……月の出だ)


 満月に近い月が、彼らの正面、砂漠の地平線からゆっくりと姿を現そうとしていた。

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