第六章
第29話 監禁
港の沖合で数日の潮待ちを経た午後、まだ日も高いうちに帆船ディレニアはメンドラク港に入港した。
メインマストが降ろされ、港の中ほどに錨が投げこまれるのを待ちかねたように、何そうものはしけがまるで獲物に群がるアリのように帆船に横付けされる。
日焼けした上半身裸の屈強な荷役人夫が次々と縄ばしごをよじ登ると舷側を乗り越え、担ぎ下ろされた麻袋や樽を満載にしたはしけは幾度となく船と桟橋を往復する。桟橋で待ち受けていた大型の荷馬車が次々とそれらを呑み込んで走り去っていく。
それらはここ、メンドラクの港では毎回見慣れた光景だった。
ドラク帝国は自然の幸に乏しく、国内で消費される穀物は対岸のファルメンから、水産物はタースベレデ、サンデッガの二国からの輸入にそのほとんどを頼っている。
しかも、輸入品の取り扱いは帝室ギルドと、ギルドが認めた数人の大商人に事実上独占されており、ドラクの民は知らずに高額な関税を課せられた食品を買わされている。
外国からの物流のすべてをギルドの商船隊が担っており、これまた帝室御用の商人に独占されている。このいびつな構造は国民の深い恨みを買っているが、文字通り胃袋を握られた状態でおおっぴらに逆らうことのできる者はいなかった。
日暮れが近づき、貨物を下ろして喫水の上がったディレニアがようやく桟橋に横付けされた。
ディレニアはドラク帝国で最も大きな快速帆船だった。表向きは商船という事になっているが、実際の乗組員は八割以上が兵士である。ディレニアの舷側にずらりと並んだ大砲を見て、その言外の意図を察しない人間はいないだろう。
しかし、重い大砲をいくつも積み込んだおかげで進水時より大幅に喫水の下がったディレニアは、大潮の前後数日、しかも空荷の状態でしか母港に接岸することができない。
それは、実利より見栄を優先するドラク王の政策をも雄弁に物語っているかのようだった。
夕焼けが東の空を染め、月が西にのぼるころ、ディレニアから一人の若い女性がひっそりと降り立った。
女性は前後についた護衛の兵士に急かされるように黒塗りの箱馬車に押し込まれ、待ち構えていた御者は間髪入れず馬に鞭を入れた。
ここメンドラクでは、馬車を使うような貴族階級や豪商のほとんどがは山手の高級住宅街に居を構えている。だが、騎馬兵の先導を受けた箱馬車はなぜか山手に背を向けるように海沿いの道を岬に向かい、岬の突端に黒く陰鬱とそびえる城の中に静かに吸い込まれていった。
城の正門近くの道沿いには一本の松の大木があった。その木陰では一人の若い農夫が飼い葉を満載した馬車を止め、幹にもたれかかりながら馬を休ませていた。農夫は箱馬車が城に入っていくのを見やり、大あくびをしながら立ち上がった。首を振って昼寝を後悔しつつ、馬を促して静かに歩き去った。
「お初にお目にかかります、プリンセス」
下ぶくれた浅黒い顔の男が仰々しいジェスチャーで深々と礼をした。体格も相応にたるんでいるが、身のこなしは意外にも軽々としている。
「私の名はドラク・エボディア。この国の〝王〟でございます。以後、お見知りおきのほどを」
ドラクはことさらに王位を強調し、にやにや笑いを浮かべてそう言った。フォルは露骨に顔をそむけ、ドラクの姿すら見ていなかったが、彼はそんな事はお構いなしに玉座に戻るとどっかりと重たそうに座り込んだ。
「いやいや、噂には聞いておりましたが、まさかこれほどの美しさとは思いませんでしたな。息子もさぞ喜ぶでしょうぞ」
真意を図りかねてフォルは眉をしかめた。
「私も王になってこのかた、これほど嬉しかった事はございません。長年の悲願が実りこのドラク、晴れて美しいフォルナリーナ姫の
「なっ!」
「亡くなられた先王ビムロス・アーネアス閣下もさぞお喜びの事でしょうな」
わざとらしい持って回った言い方はドラクの癖らしい。
フォルの顔が怒りにゆがむ。だが素知らぬ顔してドラクは続ける。
「さて、式までの一月間、大事な御身に万一の事があっては亡きビムロス殿に申し訳が立ちません。そこでこのドラク、御身にネズミ一匹近づけることなく、誠心誠意を込めてあなた様をお守り致しましょう。どうかご了解のほどを……」
つまり監禁すると言いたいらしい。フォルはいいかげんこの回りくどい言い方に腹を立てていたが、相手の挑発に乗るのはもっと嫌だった。
必死に唇をかんで沈黙を守る。
しかし、それがドラクには気に入らなかったらしい。張り付けたにやにや笑いをかなぐり捨て、憎々しげな表情でフォルを睨みつける。
「くそっ。父親も父親だったが、娘も娘だ。お高くとまりやがって、この雌ギツネが!」
「ついに本音を見せたわね。その方があなたらしくていいわ」
「何だと。貴様、こんな時じゃなかったらおまえの父親同様さっさとあの世に送ってやったものを!」
ドラクは歯ぎしりをして悔しがる。
その一言で、フォルはドラクの計略を理解した。思っていたよりドラクの立場は行き詰まっているらしい。
同時に、フォルは自分の立場がどちらの勢力にとってもジョーカーである事を悟った。慎重に動かなくては。とりあえず今はこれ以上刺激しない方がいい。
「これ以上顔も見たくない。連れていけ!」
ドラクが吠えると、兵士がフォルの両腕を掴んで部屋を出た。渡り廊下を通り、らせん階段を上って、別棟の塔の先端の小部屋へと案内された。
だが、兵士は部屋の中まではついてこなかった。戸口で立ち止まると無言で引き下がり、扉が閉められると同時にかんぬきかける音がかすかに響き、すぐにしんと静まりかえった。
立ち去る足音が聞こえない所をみると、どうやら彼らは扉の外で見張りをするつもりらしい。
「……」
フォルは無言ですぐそばのゆり椅子に崩れるように座り込んだ。
両足の震えが止まらない。ドラク王の前では精一杯虚勢を張ってみたものの、立場は最悪だった。
彼女は自分の気力がこの後どこまで持ち堪えてくれるのか不安だった。
父が死んで、たったひとりで祐樹を探していた時にも不安や焦りはあったが、ここまでの絶望感は感じなかった。
こんな時に彼がそばに居てくれたなら……。
フォルは祐樹が生きている事を心から願った。
「ユウキ、早く、早く来て……」
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