第28話 新米魔道士の旅立ち

「さて」


 翌朝、ささやかな朝食を終えたところで、フィッグは二人を前にそう前置きして咳払いをする。


「これで、おぬしは魔道士たる条件にまた一つ近づいた」


 告げる口調にはわずかにためらいがあった。


「え? まだ何か足りないんですか?」


 老婆の言葉に祐樹は眉間を寄せる。昨晩の記憶融合ですでに魔道士としての資格を手に入れたものと考えていたからだ。


「ああ。まだおぬしは繋がっておらんからの」

 フィッグは眉間を寄せ、困り果てた表樹で付け加える。


「繋がる?」

「この世に満ちる魔力リソースの源泉に、の」

「源泉、ですか?」

「そうじゃ。魔道士は源泉から魔力を引き出して魔法を行使するものじゃからして」


 答えながら、フィッグは自分の胸元に付けられたブローチを指さす。

 まるで陶器のように白く滑らかな二等辺三角形の台座。そこに六角形の赤い宝玉がはめ込まれている。


「これが魔道士の証アクセスキー魔力の源泉リソースにわしら魔道士オペレーターを繋ぐ物じゃ。魔法結晶とも言う」


 よく見れば、宝玉の中では小さな光がチカチカと瞬いているようにもみえる。


「もしかして、これが……媒質?」


 祐樹は目を丸くした。驚いたのではなく、その見た目がなじみのある物にあまりにもよく似ていたからだ。


「そうじゃ。魔道士の血、豊富な知識、優れた導き手、そして媒質。どんな魔道書にも判で押したように同じ文句がしつこく書かれておるじゃろう?」

「……確かにそうでしたね」


 祐樹がマヤピスで必死に読み込んだどの魔道書にも、まるで標語のようにその四つが記されていたことを思い出す。


「じゃあ……」

「そう。これから先、おぬしはみずからの血と強く引き合うあかしを探し求めねばならん。他人のモノを奪おうが、いくら高い金を出してあがなおうが、こればっかりは、相性が合わぬ限りまるで使い物にはならんで、の」


 そう言って老婆は小さくため息をつくと小さく首を振る。


「エセ魔道士が使うまがい物ならいくらでも転がっておるんじゃが、それではせいぜい手品程度のしょぼい術しか使えん。近頃では本物は滅多に見かけんから、どこぞの王家の収蔵庫に納められたか、あるいは失われてしまったのか……いずれにせよ、巡り会うのはなかなかに困難じゃろうが、あきらめず探し続けることじゃ……」


 そのまま黙り込む老婆。一方、祐樹は黒猫ピケットと顔を見合わせると、懐から母の形見のブローチを取りだしてフィッグに差し出した。


「あの、老師、これは使えないものでしょうか?」


 落ち込んだ表情のまま祐樹の手のひらに目を落としたフィッグは、次の瞬間、まるでこぼれ落ちんばかりに大きく目を見開いた。


「はっ!! おぬし……こ、こ、これを、どこで!?」


 興奮のあまり過呼吸になりかけ、よろよろと椅子にへたり込んだフィッグは、祐樹を指さして叫ぶように問う。


「実は、これは母の形見なんです」

「母? もしかして、メリナ嬢ちゃんか!?」

「嬢ちゃん? 確かに、母の名前は萌梨菜メリナでしたが……」


 ようやく一息ついたフィッグは、祐樹から受け取ったブローチをしげしげと見つめ、やがて納得したように頷いた。


「どうやらこれはダイソックの物じゃの」

「……父の」

「ああ、そうじゃ」


 フィッグは再び立ち上がると、魔法結晶のブローチを祐樹の胸元に付けて小さく頷いた。


「敵に囲まれ、いよいよ逃げられんと悟ったダイソックが、メリナ嬢に赤子だったおぬしとこの魔法結晶を託したのじゃろうな」


 祐樹は不意に厳粛な気持ちになって居住まいを正した。

 母の形見だとばかり思いこんでいた魔法結晶は、さらに父の形見でもあった。

 母は再婚もせず、恐らく迎えが来ないことを悟りながら、それでも必死に祐樹を育て、異世界で一人亡くなった。

 子どもの頃、なぜ自分に父親がいないのか聞いた時、母は少し寂しそうに笑いながら、このブローチを握りしめ、「今は会えないけど、いつかきっと一緒に暮らせるから」と話していたのを思い出す。

 その時祐樹は、母を長年ほったらかしにしている父に反感を感じたが、その時母がこのブローチをどんな気持ちで握りしめていたのか、その真実に今ごろになってようやく気づいたのだ。


「そうだったんですね」


 祐樹はつぶやき、顔を上げた。


「ダイソックが使っておった魔法結晶なら、息子のおぬしに使えんことはないだろう。どれ、ちいと試してみるか?」


 フィッグはそう言うと「よっこらせ」とかけ声と共に立ち上がり、先に立って小屋を出て行く。祐樹とピケットは顔を見合わせ、無言でその後に続く。


「このへんで良かろう」


 裏山のとっかかりにさしかかった所で彼女は足を止めた。


「あそこに、背の高い枯木があるじゃろう?」


 杖の先で指し示す先には、立ち枯れた針葉樹の幹が一本だけぽつんと立っていた。


「あの木に、いかづちを下ろしてみよ」

「雷、ですか?」

「ああ、やり方はわかるな」


 祐樹は頷き、マヤピスで学んだ魔道の基本とフィッグから得た経験の記憶を思い起こした。


「一度も経験したことがないのに、術を行使した記憶だけがあるっていうのもちょっと変な感触だな」


 彼は独りごちると、目をつぶって脳裏に雷が落ちるイメージを描く。


(いや、これだけじゃまだ弱い……)


 思い立って、元の世界で学んだ雷の原理をそこに加える。

 激しい上昇気流により雲が生じ、その中に氷の粒が生み出される。氷の粒は空気や他の核とぶつかり合って静電気を発生させ、地上との間に何万ボルトもの大きな電位差ができる。

 そして、地上と雲をつなぐ何らかの因子……


(何か、レーザーのようなもので、空気中に電気の通り道を——)


 そう思考した瞬間、薄紫の光が上空から立木の頂に降り注ぎ、目もくらむ雷光と激しい雷鳴が轟いた。


「なっ!!」


 反射的に目を閉じていたことに気付き、恐る恐る目を開けてみると、そこには、真っ黒焦げになってぶすぶすと煙を上げている針葉樹の幹があった。


「ほ、無詠唱とな!」


 フィッグが呆れた表情で祐樹を見やる。


「おぬし、どこでこんな……いや、わしの記憶からに間違いはないじゃろうが……」


(ユウキ、もしかして、君の知識とばあさんの記憶にある魔法発動式を混ぜたね?)


「あ、うん。僕の世界での科学と組み合わせてみたんだけど?」

「〝科学〟? ほう、興味深いのぅ」


 フィッグが感慨深そうにつぶやいた。


「ほう、この年になって、もはや学ぶことなどないかと思っておったが……ユウキよ、おぬしあと半年くらいここに滞在せぬか?」

「いえ、すぐに出発します。早くフォルに追いつかないと!」

「うーん、そう言わずに、少しくらいどうじゃ? 共に新たな魔道の——」

「いえ、困ります!」


 祐樹は引き留めるフィッグをきっぱり振り払い、その日のうちにゼーゲルに向かって旅立った。


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