第27話 魔道伝授
祐樹が魔道士の老婆の小屋に身を寄せてから、数日が静かに過ぎ去った。
その間に、祐樹の体は徐々に、しかし確実に回復していた。
体の痺れもやわらぎ、今ではベッドから起き上がり、ゆっくり杖を突きながらであれば一人で歩く事も出来るようになった。背中の痛みはしつこく尾を引いていたが、老婆はいずれ完治するだろうと保証していた。
その間ピケットは一日中積極的にあちこちに出かけて情報を仕入れて来ると、思うように動けなくていらいらしている祐樹に話して聞かせた。
そして三日目の夜、ピケットは祐樹が最も待ち望んでいたニュースと共に、夕食の下ごしらえをしている祐樹の所へ一目散に飛んできた。
(おい、フォルの居場所が判った! 帆船の中だ)
その姿より先に飛び込んできたピケットの弾んだ思考に、祐樹はリハビリがてら芋の皮をむいていた手を止めて尋ねた。
「どこだって?」
(船さ。ディレニアって快速船で沖をメンドラクに向かってるらしい。ワタリアジサシが教えてくれた。向こうに着くのは多分明日か、明後日の昼頃だ)
「……そうか」
祐樹は表向き冷静にそう答えると、芋の皮むきを再開した。しかしそのスピードは先ほどまでの倍近い。たちまち一山全部の皮をむき終ると、適当な大きさに切り分けて鍋に放り込む。
「じゃあ行こう! すぐに追いかけよう!」
そう言って立ち上がる。
(おい、無茶言うなよ)
「無茶なもんか、僕ならほら、もう大丈夫」
その場で腕を振り回し、飛び上がって見せる。背中の痛みに顔をしかめながら、それでも壁に掛けてあった短剣や軽鎧をがちゃがちゃいじり始めた。
(おい、本気かよ)
「これ、ユウキよ。そう焦るでない!」
老婆が戻ってきた。装備を着けようとしている彼の姿に呆れて声をかける。
「とりあえず、晩飯をちゃんと作れ。あとでその後でわしがいい話を教えてやる」
「止めても無駄ですよ!」
「誰も止めやせんて……」
老婆はしょうがないヤツだと言いたげな表情で薄く笑う。
「ただ、このまま飛び出して行っても今のおぬしには大した策もあるまい? わしがそれを授けてやるからと言うておるのじゃ!」
ようやく祐樹の動きが止まる。老婆はきしむ椅子によっこらせと腰をおろす。
「さて、とりあえず、晩飯じゃ」
老婆は見かけによらぬ大食らいで、その上とにかくゆっくりと食べる。それは今の祐樹にとっては拷問とも思われる長い時間に感じられた。
ようやく全員が胃袋を満足させ終わった時、祐樹はもはや我慢の限界に近かった。
老婆はそんな祐樹の様子を見るとニヤリと笑って腹をさすりながらことさらゆっくりと立ち上がり、大きなげっぷをすると両手を後ろに組んで向き直った。
「さてと……」
瞬間、老婆の顔つきがぐっと引き締まった。
今までにない厳しい表情で見つめられ、祐樹とピケットは思わず背筋をのばした。
「最初の日にも言ったが、本来、魔道は、もともと才能のある人間が優れた師匠に付き、相応の時間をかけてゆっくりと会得していくもんじゃ。でなければいつしか自分の術におぼれ、やがてはわが身をを滅ぼしてしまう。手にした力を抑える心の鍛錬が足りぬからじゃな」
「はあ……」
「心と体をバランス良く鍛えてこそ、強大な魔法を自由に操る資質を得る事ができる。時間をかけて人生の経験に学ぶ事もこれまた肝要だの。と、まぁ、これはあくまで一般論じゃが、な」
にやりと笑みを浮かべて言葉を切った老婆は、祐樹とピケットが予想外に真剣な面持ちで大きくうなずくのを目にして「ごほん」と咳払いをすると、照れ隠しにゴキゴキと肩を鳴らす。
「しかし、今回はいかんせん時間がない。何年もかけておっては到底に合わん。そこで、わしはちょいとした無茶を思いついた」
「無茶?」
眉をひそめるユウキに、老婆は乱ぐい歯をむき出しにしてにっと笑いかける。
「幸いお主はテレパスを知っておるし、それを嫌ってもおらん。心で会話をするという行為に対し、心理的な障壁はすでに取り除かれておる。そこで、ちょっとした賭けを思いついた」
老婆は立ち止まると不意に振り返り、声をひそめた。
「お主の中に流れる大魔道士ダイソックの血と、お主自身の胆力に期待して、ちょっとばかり思いきったことをやろうと思っとる。つまり、わしの持つ魔道に関する知識と、長年の経験を、そのまま一息にお主の頭に注ぎ込む——」
黒猫がびくっと体を震わせる。
(無茶苦茶だ!! そんなことできるわけない!)
「無茶苦茶は最初から判っておる。しかし、残念ながらこの
「……」
「どうする、やるか、あきらめるか……選択肢は二つに一つじゃ」
(やめろ、下手をすればユウキの
「……それで、魔道は修められますか?」
祐樹はおずおずとたずねた。
「いや、それはわからん」
老婆は身もふたもなくそう言うと、
「じゃが、その助けにはなる」
と短く付け加える。
「わかりました。やります!」
祐樹は即決した。
(やめろ、ユウキ。安っぽい
「いいんだ、ピケット。僕は約束した。どんな時にも彼女と一緒にいるってね」
(だからといって……)
「ピケット、君はフォルとは長いつきあいなんだろ?」
(……まあね。彼女がオラスピアを追われて以来、ずっと一緒だね)
「じゃあ君が一番判ってるはずだ。彼女の存在は、僕なんかと比べものにならないくらい世のためになる」
(いや、そういう話じゃ——)
「フォルは素晴らしい、尊敬すべき人間だよ。それは認めるだろ」
(……)
「彼女の歩みに遅れない為に、僕も、もっと早く歩けるようにならなきゃいけないんだよ。それに、彼女はそんな必要ないって言ってくれたけど、できればやっぱり一番そばで彼女を護りたい。その為の力が切実に欲しい……危険は覚悟してる」
(バカヤロウ!)
「ほめ言葉だよね、それ」
黒猫はそれきり黙り込んだ。
「さて、決まりじゃな。じゃあ、お主を深ーい催眠状態に導くぞ」
「あ、あの……」
「なんじゃ?」
「名前を聞いてもいいですか? 考えてみたら僕、あなたの名前も知らないんで」
老婆はその質問がよっぽど面白かったらしく、口を大きく開けて高らかに笑った。
「そうさの、もう何年も名乗ったことなどなかったが……フィッグじゃ」
「それじゃあ、フィッグ老師、よろしくおねがいします」
「なんじゃ、今さらあらたまりおって。それじゃいくとするかの」
フィッグはちびたロウソク一本を残してすべての明かりを吹き消すと、それを祐樹の正面に置いた。炎を利用して祐樹をゆっくりと催眠状態に導くと、自分も椅子に深く腰かけて体の力を抜いて構えた。
「ほれ、ピケット何しとる。おぬしも手伝わんか!」
(え、僕も?)
「当たり前じゃ。おぬしはユウキの心をしっかり支えてやれ。そして、万一の時は無理矢理でかまわん。わしをユウキから切り離すんじゃぞ」
(そんな事をしたら、師匠の精神は……)
「ほっほっほっ。しばらくぶりに血が騒ぐわい。命を張った術など何十年ぶりかのう?」
(二人とも大莫迦だよ!)
「ごちゃごちゃいっとらんと行くぞ!」
フィッグは静かに呪文を唱え始めた。
いつしか、祐樹の耳に届くフィッグの声は共鳴し、唸りを生じた。
しだいに深く、低く。果てしなく続く呪文に、祐樹はいつしか眠気を催していた。
フィッグ一人の声が、何十にも分裂し、大河の流れの様な豊かな詠唱となった。
二人と一匹はそんなゆったりとした流れに導かれる様に、それぞれの精神世界の奥底深く潜り、いつしか共鳴し、融合し始めた。
融合した精神世界はさらにふくれ上がり、そして高速で回転しながらまばゆく輝き始める。
精神は体を離れ、はるかな高みにゆっくりと上昇し、そして……
すべてが透明に変化して、ゆっくりと分裂し、やがて、静かに元に戻る。
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