第26話 ドラク王の息子

 同じ頃、ドラク帝国の首都メンドラクでは、数々の浮き名で知られるグライア・エボディアが、父であるドラク・エボディア王からの使者を前に整った顔を曇らせていた。

 場所は、王都郊外の丘に建てられた白亜の大豪邸。

 屋敷の至る所には国外から取り寄せた躍動的な彫刻、絵画が配置され、訪れる者はみな、その豪華さに感嘆のため息を漏らさずにはいられない。

 しかし、彼らの会見が行われているこの部屋だけは、ひっそりと静まり返っていた。王の使者が珍しく強硬に人払いを要求したからだ。


「で、親父は僕にその娘と結婚しろって言うのか?」


 グライアは不満そうに口を尖らせる。父親とは似ても似つかない細面と豊かなウェーブのかかったブロンド、そして白い肌は母親譲りだった。

 しかし、その自分勝手な性格はむしろ父親に似た。


「第一、その娘とやらは見た事も会った事もないんだぜ、突然そんな無茶な話ってあるかよ」


 ぷいと横を向く。そのそぶりはまるで幼児のそれに近い。使者は彼の反応には慣れているのか、表情も姿勢も崩すことなく慇懃に言葉を続ける。


「かの娘は、かつてのオラスピア王国のプリンセス、フォルナリーナ・アーネアス嬢にございますぞ」

「そう言われてもなあ。気が乗らない。女なら選びたい放題だ。わざわざ親父に押しつけられなくても、いくらでも——」

「恐れながら殿下……」


 使者はグライアの言葉を途中で遮り、ぐいと身を乗り出した。


「フォルナリーナ嬢の容姿は、ここに集う名家の娘たちと比較しても頭一つ飛び抜けているとの報告が入っております」


 使者はグライアの性格を知っており、その点を特に強調する。案の定、グライアはぷくっと小鼻をふくらませた。


「へえ、かわいいの。ふーん、そう」

「はい、それはもう」


 使者は内緒話をするように声をひそめ、グライアにさらに一歩近づいた。


「城下のいかな高位貴族、豪商の娘もはるかに及ばぬ涼やかな気品がおありだとか」


 グライアは無関心を装いつつ、脳裏では目まぐるしく計算を働かせていた。

 どうせいつかは結婚しなくてはならないのだ。

 だが、だからといって今のただれた生活をことさら改めるつもりもない。


「そうか、面白いかもしんないな。いいよ、その話進めてくれるかい」

「は、承知いたしました」


 グライアは軽い調子でそう言い残すと、うやうやしく頭を垂れる使者の肩をポンと叩き、娘たちの笑いさざめく広間へ急ぎ足で戻っていった。

 使者はそのままの姿勢で王子を見送ると、下げた顔に一瞬ニヤリと笑みを浮かべた。彼のプライドをくすぐった使者の作戦勝ちである。

 彼は主の去った豪奢な椅子に向かって馬鹿丁寧に一礼すると、気まぐれな若者の気が変わらぬ内にさっさと城に戻っていった。


 



グライアは広間に戻ると、たちまち若い女性たちに取り囲まれた。彼は悩ましげな表情を浮かべながら、それでいて嬉しそうに口元を緩めている。


「グライア様、どうされましたの? お疲れのご様子ですわ」


 ひときわ美しい娘が、艶やかな笑みを浮かべながら尋ねる。グライアは彼女の髪に手を伸ばし、指先でもてあそびながら微笑んだ。


「いやね、僕もそろそろ身を固めなくてはならん時期に来ているようだ。これも王族の定めだよ」

「ま、まさか、グライア様がご結婚を?」


 娘たちが色めき立つ。グライアは面倒そうに肩をすくめる。


「相手はもう決まっているらしい。旧オラスピアの姫君だとか」

「この国の、前の……?」

「そうだ。俺も会ったことはないが、まあ、捨て置くには惜しい娘らしい」


 グライアはわざとらしく残念そうに言う。すると娘たちは嫉妬の表情を浮かべながら口々に言いつのった。


「ご結婚なされても、私たちをお見捨てにはなりませんよね?」

「私はグライア様の愛妾で構いませんわ。喜んでこの身を捧げます!」

「姫君なんて必要ありませんわ。私たちで十分お慰めいたしますもの」


 グライアは満足そうににやりと笑うと、娘たちを引き連れて奥の間に消えていった。





「ほう、息子は同意したか。てっきりゴネるものかと思ったが……」

「いえ、グライア様におかれましても、この婚姻の政治的意義をただちにご理解いただきましたようで……」


 戻ってきた使者に首尾を尋ねたドラクは、息子があっさり政略結婚に同意したことに嬉しい驚きを隠せなかった。


「ヤツもようやく為政者としての自覚が芽生えてきたものとみえるな」

「は、来る婚姻の日をことさら待ち望んておられるようでした」

 

 使者はそう付け加えた。

 その言葉に満足そうに頷くドラク王には、息子とはまた別の思惑があった。近頃頻発している反ドラク派の蠢動を封じる狙いである。

 特に、最近になってプリンセスの生存がどこからともなく噂されはじめ、がぜん勢いづいた旧アーネアス王一派の抵抗に頭を痛めていた。今やドラク帝室、そしてドラク・エボディアが旧オラスピア王国の正当な継承者である事を、いまいちどわかりやすい形で国民に示す必要があった。

 そのためには旧王の一人娘を自分達の側に確実に取り込んで置くことが鍵となる。万一彼女が旧王派に与するようなことがあれば、彼らに格好の旗印と大義名分を与えかねない。

 だが逆に、彼女をドラク帝室に取り込んでしまえば、彼らは求心力を失い、放っておいても自滅するだろう。

 それこそが、この政略結婚の真の狙いだった。

 ドラク王は、女をたぶらかす腕前だけは超一流の息子の才能を確信していた。

 フォルナリーナ王女の心をつかみ、ドラク王家の正当性を印象づける。それが、彼がグライアに課した使命だった。

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