第五章

第24話 魔法使いの弟子

『……ありがたいお話ですが……』

「なんじゃ? 気が進まんかの?」

『いえ、そうではなく……』


 祐樹は老婆の反応を恐れ、一瞬言いよどんだ。


『僕に素質があるでしょうか?』

「はっ! おぬしはあのダイソックの血を受けておるんだぞ。余計な心配はするな。それにな、ピケットとのやりとりで既に魔道士としての第一関門は越えておる」

『どのくらいで魔法を使えるようになりますか?』

「さすがにすぐには無理じゃ!」


 断言されて祐樹はわかりやすくしょげた。


「いくら血の繋がりや知識の蓄えがあっても、おぬしには致命的に経験というものが足りんでな。魔法の行使には何より経験に基づくはっきりとしたイメージが必要なんじゃ」

『イメージ?』

「そう、現実と遜色ないほどはっきりとしたイメージじゃ。世のことわりを意思の力で強引にねじ曲げるんじゃぞ。現実と見まがうほどの確固たるイメージがないとその辺がうまくいかん。本来、何年もの時間をかけてじっくり試行錯誤するのが筋だの」

『しかし……』

「だから、そう焦るなと言っとるに……」


 老婆はあきれ顔になると、ごほりと大きく咳払いをした。


「このわしとて、幼い時分に魔道を志してから、初めて魔法が使えるまで、ゆうに五年はかかったぞ」

『え、そんなに……』


 祐樹は絶望した。

 今の自分では、捕らえられたフォルナリーナを助け出すことなど不可能だ。魔法はもちろん、武芸の心得すらもない。本当に何もできない。

 それは自分でも十分すぎるほど良くわかっている。

 だが、だからといって五年はあまりにも長い。

 その間にドラクに捕らえられた彼女がどうなるのか。殺されたり、そうでなくとも監禁され、意に染まぬことを強要されないという保証はどこにもない。

 それに、せっかくフォルナリーナの望みを叶える決意を固めたのに、ここでのんびり魔道の修業をするのは何かが違う。回り道ではないかとの思いが拭えない。


『……でも、早く助けにいかないと』

「じれるなと言うに。そもそも、そんな大怪我で今のおぬしに一体何ができると言うんじゃ!?」

『……それは、そうですが』


 当たり前のことを指摘され、返す言葉もない。


「想い人を奪われて焦る気持ちはわかるが、とりあえず今は休め。話はそれからじゃ」

「おもっ——!」


 祐樹は真っ赤になった。

 老婆はそんな彼の様子を笑い飛ばすと、すいっと立ち上がった。


「まあ、ちーっとばかりお主の精神力おもいの強さを試させてもらう事にはなるだろうがね」

「……判りました。すべてお任せします」


 何を言ってもこの老婆にはかなわない。そもそも年期が違うのだ。


「何じゃ、もーうしゃべれるのか、若いというのは大したもんじゃな」


 さらに愉快そうに体を揺らす老婆。


「でも、ともかく三、四日は休め。その頃には体の痺れもあらかた取れているじゃろう」


 と、不意に老婆は柔らかな口調に戻って付け加える。


「ハッハッハ、いやはや、わしも長く生きたがこれほど荒っぽいやり方はこれまで試したことがないな。何せ——」


 老婆は笑いながら明かりを消すと、意味不明な独り言をぶつぶつ呟きながら大股で部屋を出ていった。

 それと同時に、祐樹は体が浮き上がるような強烈な眠気に襲われた。手渡されたスープには、痛み止めや眠り薬のたぐいが入っていたらしい。せめてピケットに再会できるまでは眠らないでおこうと必死に眠気とあらがうが、傷ついた体は予想以上に休息を求めていたらしい。いつの間にか吸い込まれるように眠り込んでしまった。




 次に祐樹が目覚めた時には、すでに窓の外がうっすらと白みつつあった。

 彼の頭の隣にはあの見慣れた黒い猫が丸くなって眠り込んでいた。彼はゆっくりと左手を持ち上げ、そのつややかな毛並みに触れてみた。

 暖かい体がピクリと動くと、黒猫は静かに頭を持ち上げた。


(まったく、ひどく壊れちゃったもんだね。未だ生きてるのが不思議なぐらいじゃないか。ええ?)


 彼はそう思考すると、ほとんど包帯に覆われた祐樹の顔をぺろりとなめた。しかし、祐樹の反応はピケットの予想外だった。

 彼は、ひどく弱々しいながら、かすかに笑顔を見せたのだ。

 瞬間、ピケットは祐樹の顔に、ダイソックの懐かしい面影を見たような気がした。


(なんだか雰囲気が変わった……かな?)


 豪胆な性格で、追い詰められるほどに生き生きと良く笑った男と、目の前にいる痩せこけたヘタレな若者とでは共通点などどこにもない。それなのに、なんとなくよく似たオーラを感じたのだ。


(やっぱ、血筋なんだな)


 その思考に何事かと怪訝な顔を返す祐樹の頬に、ピケットはひんやりとした鼻をこすりつけた。


(なんでもないよ。それより、ユウキはもう少し眠らなきゃ)


 風がカーテンをかすかに揺らし、隙間から朝日がさっと差し込んだ。

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