第21話 助けの手
どうにか大男の直前で立ち止まったフォルナリーナだったが、すぐ後ろを走っていた祐樹に突き飛ばされる形になって大男に激突し、思わず声を上げる。
「きゃあ!」
だが、大男は小揺るぎもしない。無言のまま、顔面蒼白の彼女の腕を無造作につかむと、振りほどこうと暴れるのもかまわず道路脇の壁の穴に無理矢理放り込んだ。
男はボサボサの髪に伸び放題のひげ面だった。汚れた麻のシャツを着て、すね丈のズボンには膝に当て布が縫い付けられている。マヤピスの一般市民と比べてもかなり貧しい身なりに見えた。
「おい!! 何を——」
続いて祐樹も怪力でつまみ上げられ、有無を言わさず頭から穴に放り込まれた。穴の蓋は素早く閉じられ、穴の中は一瞬で真っ暗になった。
穴はかなりの急角度で下に向かって続き、すべすべした石造りの壁には手がかりがまったくない。
なすすべもなく、二人はどこまでも続く暗闇を滑り落ちた。
そのうちに突然の浮遊感。どこか広い場所に出たらしい。
一瞬の後、二人は冷たい水中にたたき込まれていた。勢いで一度深く沈み込み、ようやく水面に顔を出した祐樹の上にさっきの大男が降ってきた。再び水中へ押し込まれる。
「げほ、げほっ!」
「ユウキ!」
背後からフォルナリーナの悲鳴じみた叫び声が響き、ドームに反響して不気味なやまびこが何度も続く。
「いるよっ!」
祐樹は、彼女を安心させようとなるべく落ち着いた声を出す努力をしたが、うわずってかすれた声は平静とはおよそ縁遠かった。
それでも、お互いの無事を確認した二人は、ようやく回りの状況を確認する余裕を取り戻した。
「ここは?」
水面に顔を出し、荒い息をつきながらあたりを見回す祐樹のすぐそばで鋭い口笛が響いた。大男のしわざらしい。
それが合図だったのか、暗闇にぽつりとろうそくの黄色い炎が灯された。
ちらちらと頼りなげな炎に照らされ、石造りの巨大なドームが不気味に浮かび上がる。見れば、天井には同じような穴がいくつも黒々とのぞいている。今二人が落ちてきたのもそのうちの一つらしいが、一体どこからこの場所に至ったのか、全く判らない。
やがて、一そうのボートが水面を滑るように近づいて来た。
ボートには小柄な少年が乗っていた。
ろうそくの明かりに照らし出された彼の身なりは、大男とは対照的だった。貴族が身につけるような濃い緑色の上着に、ビシッと糊のきいた白いシャツ。その落ち着いたたたずまいに育ちの良さがにじみ出している。
彼は器用なオールさばきでフォルナリーナのそばに漕ぎ寄せると、高価そうな服が濡れるのも構わず右舷から彼女を引き上げる。大男もまた器用な立ち泳ぎで彼女に近づくと、水中から彼女をボートの上に押し上げた。
続いて祐樹も反対側から引っぱり上げられる。最後に大男が後方から自力で這い上がって来た。男の体重ででボートが後方に大きく傾くが、全員を回収し終えたボートは構わずゆっくりと動き出した。
祐樹は息を整えながら改めて天井を見上げてみた。
ドームの天井高はかなり高い。十五メートル以上は優にあるだろう。ろうそくの光では空間全体を照らし出すことはできず、どれほど広いのか見当もつかない。
いったい、ここは何の為の場所なのだろうか。
「あの……」
「手荒な真似して悪かった」
大男がぼそりと詫びた。
祐樹と目が合った彼は、いかめしい体格に似合わない優しい目をしていた。
「……あの……」
だが、その先が続かない。どうやら彼が会話が苦手らしい。
「兄さん、僕が」
と、少年が大男を助けるように口を挟んだ。
「あなた方が街でドラクの情報を集めていると人づてに聞いて、それからずっと見張っていたんですよ」
「……もしかして、助けてくれたんですか。ありがとうございます」
「あまり時間に余裕がありませんので手短に説明します」
だが、少年は小さく頷いただけで、祐樹の言葉を遮るように話し始める。
「私たちはドラク帝国の商人です」
「え!?」
祐樹は思わず声を上げた。
ドラク商人は公館に閉じこもり、表には一切姿を見せないのではなかったか?
反射的にフォルナリーナの方を見ると、口を押さえ、目を丸くしている。やはり予想外だったようだ。
少年は二人の様子には構わず、早口で続ける。
「もちろん私たちもドラク王の支配するギルドに属しています。そうしなければドラクでは商売できませんから。しかし、王の独裁的なやり方を良く思わない者も確かに存在します。王はすべての産業を独占支配し、莫大な富を我が物にしています。我々はそれを嫌っていますが、それに対抗していくだけの力は有りません。少なくとも、表向きは……」
「では、あなた達は?」
「ごく一部の商人だけがドラクの領外に出る事を特別に許されています。私はその立場を利用してあなた方のような考えの人間を支援しています」
「ゲリラ組織ですか」
「いえいえ。単に仲介しているだけです。私はあなたの素姓をよく知りませんし、大変失礼ながら信用もしていません。ただ、立場が反ドラクである事だけは判りましたので、情報を提供するついでにちょっとお助けしただけです」
「はあ」
ちょうどそのタイミングでボートはドームの壁にたどり着いた。壁際には幅の狭い通路が水面ぎりぎりに設けられ、壁にはボートがギリギリ通れる程度の小さなトンネルがいくつも口をあけていた。少年は身軽に通路に飛び移り、ロープで船を支えている。
「私達はここでお別れです。ここを流れに沿ってまっすぐ下ればマヤピス湖に出られるはず。ボートは対岸に乗り捨ててください」
「いいんですか。そんなにしてもらって」
少年が無言でうなずいた。大男が照れ臭そうに笑いかけてくる。
「私達の両親が先のアーネアス王の時代に彼に大きな恩を受けたそうです」
少年の声に大男も無言で頷く。
「残念ながら王家は絶えてしまいましたが、彼の自由な政策を懐かしむ者も少しは残っています。そんな人達を助けることが私達兄弟のせめてもの恩返しなのですよ。では、さようなら」
彼は一方的にそれだけ語り終えるとロープを放す。ボートはトンネルに向かって再びゆっくりと動き出した。
「クジマの村でアナフラを訪ねなさい」
「アナフラ? それは人の名前ですか?」
「……その時が来ればわかります。今は知らない方がいい」
少年はそれ以上答えようとはせず、ろうそくの炎をふっと吹き消した。
「ではお元気で」
その言葉を最後に二人は素早く姿を消した。
礼を言う暇も無かった。
思いがけない展開の連続に頭がついていけない。しかし、そのままぼんやりと流されているうちに前方に小さな光が見えて来た。
「君の親父さんはずいぶん人気があったんだな」
フォルは無言でうなずいた。光はますます大きくなる。トンネルの出口らしかった。
「父を慕っていたのは私だけじゃなかったのね。それに、王家はまだ絶えていないわ。私がここにいるもの!」
感極まった声でフォルがつぶやいた。次の瞬間、二人は金色の光の中に躍り出た。
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