第四章

第20話 出立

 翌朝、まだ日も昇らない早朝、祐樹たち一行は借りていた宿舎を引き払った。

 管理人には数日前に引き払う旨を告げており、借り賃の精算も終えている。

 祐樹はもう一度自分のベッドを見渡して忘れ物がないことを確認すると、フォルナリーナと黒猫が待つダイニングに歩み出した。

 二人は変装用のペンダス商人風マントの下に、着慣れた探索者エクスプローラの装備をまとう。豪華な刺繍の施されたひだの多いマントは、武骨な軽鎧や短剣のシルエットをうまく覆い隠してくれた。

 だが、狭い街路を取り抜け、島外へ通じる大通りへ出た所でさっそく問題が発生した。


「ドラクの派遣兵よ」


 先頭を進むフォルナリーナが露骨に不機嫌な声を出した。

 朝もやに霞む大通りに何人もの兵士が立ちふさがり、道ゆく人々全員を尋問している。そうでなくとも慌ただしい朝のこの時間に通行を妨げられ、ほとんどの市民が不満そうな表情を浮かべているが、兵士達の腰にこれ見よがしにぶら下がった長剣を見て、声を上げてまで抵抗しようとする者はいない。唯々諾々と従うばかりだった。


(こんなに朝早くからご苦労なことだなあ)


 ピケットが呆れたような思考を飛ばす。


「でも……このタイミングで検問? 昨日までは街中でこんなことやってなかったわよね」


 フォルナリーナは不機嫌そうに眉を寄せ、吐き捨てるようにつぶやく。


「確かに、見たことないな」


 だが、自分たちがまさに出立しようとするタイミングで、それを妨げるような動きがあるのは偶然とは思いにくい。


「僕らが今日出発することを知っているのは……図書館の司書、宿舎の管理人、あとは……」

「……考えたくはないけれど、隣の部屋に泊まっていた若い女性の二人組もアリかしらね……今から考えるとちょっとフレンドリー過ぎたかも」


 フォルナリーナは悔しそうに鼻を鳴らす。

 彼女らはタースベレデからの留学生だと自己紹介し、ちょっとしたお菓子や軽食を持ってよく部屋を訪れていた。

 基本的に部屋にこもっていることの多いフォルナリーナの気晴らしになればと思い特に咎めもしなかったが、あまりにも陽キャ過ぎて祐樹は少し苦手だった。

 祐樹の脳裏には次に図書館のアルダーの姿が思い浮かぶが、「いや、ないな」と首を振る。あのプライドの高い司書が、利用者の秘密を守るという図書館の倫理を捨てて密告に走るとは考えにくい。


「仕方ないわ。別の出口に向かいましょう」


 言われるまでもない。一行はなにげない振りをして隣の橋に向かう横道にそれた。

 だが、そこでも状況は同じだった。


「たぶん、外に繋がる橋すべてに兵が配置されてるんだろう」

「……他国でこれだけ大掛かりな作戦をやる為に、一体どんな理屈を捻り出したのかしら」


(マヤピスの行政官に裏で相当の金が渡ったんだろうね)


 ピケットも、うなり声の裏でそう思考を飛ばしてくる。

 金のためなら自分達の誇りさえ売り払ってしまう人間はどこにでもいる。祐樹はため息をついた。


「仕方ない。行こう」


 だが、もちろんそれに従うつもりは全くない。


「待て!」


 兵士を無視して脇を通り過ぎようとした祐樹達を、若いドラク兵がうわずった声で高圧的に呼び止めた。


「お前達、どこの国の者だ? ペンダスを訪れた目的は何だ!?」


 振り返って見ればまだにきびの跡も消えていない若い兵士だった。

 祐樹と比べても四、五才は年下だろう。

 祐樹は内心どきどきしながらも、表面はいかにも彼の横柄な態度が気に入らないプライドの高いペンダス商人を装った。


「君、これは一体どういうつもりだね? マヤピスは自由自治の街のはずだが。君達のようなよそ者がここでこんな勝手な振るまいをする権限はそもそもどこにあるのかね?」

「何だとっ!」


 兵士が気色ばむと腰に下げた剣の柄に手をかける。


「ほう、他国でうかつに兵士が剣を抜くとどうなるのか、いくら君が無知でも知らぬ訳ではあるまいな?」


(挑発しすぎだよ、ユウキ)


 黒猫の思念を受け内心冷や冷やしながら、とはいえ、口に出してしまったものは今さら取り消しようがない。


(昨夜散々練習させられたから、ついつい口から出ちゃったんだよ)

(まあ、高飛車な感じはいかにもペンダス商人って感じだったけどな)


 若い兵士は怒りと緊張で顔を赤黒く染め、意味のない怒号をあげた。

 その騒ぎにやっと気付いた老兵士が息を切らせて駆けつけて来た。


「このばかもんが、剣を納めんか!」


 老兵士は若者を一喝すると、祐樹に向き直ると穏やかな表情で詫びた。

「いや、これは申し訳ない、ペンダスの自由商人殿とお見受けいたします。こいつは先日入隊したばかりの新兵でまだよく礼儀を知りませぬ。部下の非礼、駐在兵団長の私からも重々お詫びいたします」

「あ、いえいえ、判ってもらえれば結構。それよりこれは何の騒ぎですかな?」

「ああ、実は……」


 老兵士は声をひそめる。


「本当はこのような話はおおっぴらにはできんのですが、我らが王ドラク様を殺めようと企む不逞の一派がおりましてな、最近その幹部がここマヤピスに入り込んだという情報が寄せられまして……」

「まあ、恐ろしい」


 フォルナリーナがわざとらしく驚いて見せる。


「これまでにも何度か我が国の城下で不祥事を起こしておるのです。そんな危険な者どもをたとえ他国とはいえこのまま野放しにはできませんでな、それでこうしてご協力を頂いている次第で」

「なるほど。聞けばなかなか深刻な事情。ならば先程のいさかいは無かった事に致しましょう」

「おお、これはかたじけない。ではお通り下さい。よきご商売を……」


 老兵士は表情を崩して道を開ける。ところが、安心しきって脇を通り過ぎた祐樹の背中に、ふと思い出したように兵士は呼びかける。


「ところで自由商人殿、わしはペンダスに古くからの友人がおりましてな、ドリシンと言う大商人ですが、相変わらずご健在ですかな?」

「え?、彼は確か……」


 そのままの姿勢で凍り付いた祐樹の背筋に冷たい汗が流れる。もちろんそんな男など知るはずもない。表情が思わずこわばる。


「そのお方なら確か数年前に他界されて、今はご子息がご商売を受け継いだはずですが?」


 努めてさり気なく、フォルナリーナが口添えをする。だが、その声もいつもより堅い。


「おやおや、わしを置いてみんな先に逝ってしまう。何とも寂しい事だ」


 兵士はそれほど寂しい様子も見せずにつぶやくと、ふいっと背中を向けて歩き去って行った。その後を若い兵士が慌てて追う。


「危ねー、あの爺さん、知ってて試したんだ。曲者だよ」


 ようやくほっとした表情で祐樹は汗を拭った。フォルナリーナも結構緊張していたらしく、大きなため息をついた。


「所で、さっきの話、本当かしら」

「テロリストの話?」

「そう、それとも私たちをつかまえる口実かな」


(事実みたいだよ、そこまで嘘をついているようには見えなかったな)


 道路脇の屋根の上からピケットが答えた。


「どっちにしても、やっかいな連中と間違えられているなあ。これでますます動きにくくなったぞ」

「でも、それが本当の話だとしたら、彼らの力は借りられそうじゃないかしら?」


(目的は同じって?)


「ちょっと違うと思うけど、ドラクを憎んでいる事には変わりないはずだし」

「うーん、それはどうだろう」


 話しているうちに街のはずれに達した。あとは街境の橋を渡りさえすればとりあえず安心できる。

 しかし、橋の真ん中にも数名のドラク兵士の姿が見えた。


「さて、もう一芝居行こうか」


 さっきの成功ですっかりリラックスした祐樹は大股で橋を渡り始めた。その時、兵士と何事か打ち合わせしていた中年男が不意に振り向いた。どこかで見覚えのある顔つき。


「あっ」

「あいつらだっ!!」


 荒野で、祐樹たちのキャンプを襲った二人組の片割れだった。

 中年男は祐樹達を指さすと大声でわめき始める。


「くそっ! 生かしておくべきじゃなかったよ!」


 だが、あの時点で祐樹に人を殺める覚悟はなかった。意味のない後悔だ。

 その間にドラクの兵士が次々と剣を抜いた。

 

(ダメだ! ここは通れない)


「逃げましょう!」


 祐樹とフォルナリーナは無言でうなずき合うと素早く取って返し、手近の脇道に走り込んだ。

 裏道、小道を選んで走りに走る。だが、ただでさえわかりにくい曲がりくねった街路をよく確かめもせず駆け抜けるうち、一体自分達がどこにいてどこに向かっているのか全く判らなくなってしまった。しかし、兵士の怒声とガチャガチャという足音は次第に近づいて来る。立ち止まって地図を確認してる暇はなさそうだった。

 祐樹の額に汗の玉がにじみ、目に入って痛む。


「こっち!」


 不意にフォルナリーナが祐樹の腕を引き、彼をさらに狭い路地に引きずり込む。人一人がやっと通り抜け出来る幅しかない。そんな裏路地を、洗濯物をかき分け、ゴミかごを蹴散らしながらとにかく走る。

 しかし、まるで迷路のような路地は、唐突に行き止まった。

 道が途切れた訳ではない。

 行く手には、どこからともなく突然現れた見知らぬ大男によって完全に塞がれていた。

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