第19話 マヤピスの真実

 その翌日、図書館では祐樹が発した一言が原因で小さな騒ぎが起きた。

 前夜、夕食後に再開された二人と一匹の話し合いで、近々マヤピスを離れる事が決まった。

 資金が乏しくなり、これ以上の滞在が難しくなったためと、マヤピスで手に入れられる情報はおおむね手に入れたという判断からだった。祐樹自身、永遠に続くかと思われる古い魔道書との格闘にそろそろ飽き、疲れ始めていたのも事実だった。


「何よりも、今必要なのはまず行動することだと思うわ。たとえそれがどんなに困難でも」


 フォルが話し合いを締めくくった言葉に祐樹とピケットも大きくうなずいた。

 しかし、その顛末を禁書保管室で待っていたアルダーに告げると、彼女は途端に不機嫌になった。持っていた資料を乱暴に祐樹に投げ渡すと、くるりときびすを返し、何も言わないまま靴音高く部屋を出て行ったのだ。

 追いかけようとした祐樹の鼻先で分厚い扉が激しい音と共に閉じられ、彼は埃の漂う保管室に一人取り残された。


「なんだよ! 一体」


 アルダーの態度は気になるが、一方で魔道書を読むことのできる時間も今や限られている。とりあえずこちらを優先しようと祐樹は気持ちを切り替え、気がつくと魔道書の解読に没頭しはじめていた。そんな矢先。

 再びダンッと激しい勢いで扉が開かれると、アルダーがつかつかと部屋に入って来た。


「ユウキ・タトゥーラ、今すぐこちらに来てください。いえ、来なさい!」


 それだけ一方的に告げると返事も待たずにまた部屋を出る。


「おい、待てよ」


 慌てて追いかけると、アルダーは管理エリアの一番奥、館長室の隣の扉に消えていく所だった。


「だからちょっと待てって! えぇ?!」


 ほとんど閉まりかけた扉のノブをひっつかむと、走り寄ったその勢いのまま中に飛び込む。がしかし、駆け込んだ祐樹の足は空を切った。真っ暗闇の中、そのまま一メートルほど落下する。


「っ痛え!」


 踊り場の床になんとか着地したものの、そのまま後ろ向きに転んでしたたかに腰を打つ。


「中は暗いのでご注意ください」

「もう少し早く言ってくれ!」

「……階段がございますので足下にはご注意を」

「それももう少し早い方がよかったなっ!」


 ランプを手にしたアルダーは、階段を数段降りた踊り場でひっくり返ったままの祐樹を冷ややかな視線で見下ろしながら立ち止まる。


「そんな所で寝ていると風邪を引きますよ」

「本当だ! まったくだねっ!!」


 アルダーはランプを高く掲げると無言のまま踊り場を曲がり越し、長いらせん階段をゆっくりと下り始めた。祐樹は底知れぬ暗闇にどこまでも続く階段を見やりながら、ここに踊り場がなかったら一体どういうことになっただろうと考えて身震いをした。


「ユウキ、置いていきますよ」

「あー、はいはい」


 強打した腰は痛いが幸い大したけがではないらしい。祐樹はよっこらせと立ち上がって体中の埃をはたくと、次第に遠ざかりつつあるランプの光を追って階段を駆け下りる。

 マヤピスの次席司書は絶対に怒らせてはいけないと心に刻みながら。




 それから十数分。二人はようやくたどり着いた階段の終点で巨大な鉄扉と向き合っていた。

 一体何百メートル降りたのかも判らない。二人の周りは冷気で満たされ、吐く息がランプの光を受けてはっきりと白い。

 アルダーは制服の首元に手を突っ込んで細い鎖の付いた巨大な鍵を取り出す。金色に輝く鍵は、彼女の手のひらからはみ出すほどの長さがあった。

 無造作に鍵穴に差し込むと、無骨な南京錠をがちゃりと取り外す。


「さて、手伝ってください」


 言われて扉を押してみるが、びくとも動かない。かなり長い間誰も訪れたことはないらしい。


「ユウキは案外非力ですね」

「そりゃどうも!」


 結局、二人がかりで力の限り押し続け、ようやく重い扉は抵抗をやめた。それでも蝶番が悲鳴のように激しくきしみ、所々引っかかって容易には動かない。

 なんとか人ひとりが通り抜けられるすき間を作ると、アルダーは床に置いていたランプを拾い上げ、吹き出してくる冷たい霧に逆らうようにするりと中に滑り込んだ。祐樹も慌てて後に続く。


「助かりました。ひとりではとても開けませんでした。感謝します」


 アルダーは前を向いたまま歩みを止めずにそう言うと、少しだけ口調を変えて続けた。


「前に私はユウキに、ダイソック様を越えて頂きますと申し上げました」

「うん?」

「残念ながら、約束はいまだ果たされていません。私はそれがとにかく不満で不満でなりません」

「……そうだね」

「本当に不満なんです。わかっていますか?」


 よほど腹に据えかねているのか、何度も強調するアルダー。


「力が及ばないのは俺の努力が足りないせいだ。ごめん」

「いえ、絶対的に時間が足りないのです。魔道について学ぶべき事柄は多く、中途半端なまま放り出してここを離れるというユウキの判断に私は心から同意ができません」

「いや、それは僕も判っているんだよ。まあ、色々しがらみがあるんだ」

「……私は、いつか母を越えるという私自身の目標を確実に達成するために、その実験台テストケースとしてまずはあなたにお父様を越えて頂きたいのです。あなたという前例をあざとく、とことん利用し尽くすつもりなのです」

「ずいぶんあからさまに言うなあ」


 それでも、祐樹はなんとなく理解した。

 アルダーの積極的な援助は決して祐樹のためというだけではなく、彼女自身の希望にもつながっているのだ。

 高飛車で自分勝手な告白は、恐らく彼女特有の照れ隠しなのだろう。

 ある意味、利己的とも言える天才司書の密かな野望を知って、祐樹は自分自身の焦る気持ちがほんの少しだけ和らぐのを感じた。


「そこで、私はダイソック様にもご覧に入れたことのない図書館の秘密をユウキには特別に見せようと考えました。いつかまたきっと、ここに戻って来たくなるように。アルダーわたしと共に再び古文書を紐解きたくなるように」


 彼女はそこで言葉を切ると、祐樹の目を正面からじっと見つめた。

 ランプの光に照らされて、大きめな瞳がゆらゆらと揺らめいて見える。気圧されて思わず息をのむ祐樹の様子に、アルダーは満足げな表情を浮かべて小さくうなずいた。


「……それが、これです」


 アルダーはランプの芯を伸ばして明かりを強めると、その場で高く掲げた。おおむね六角形に見える広いホールの全体がおぼろげに照らし出され、部屋中に等間隔に立ち並ぶ背の高い六角形の石柱がぼんやり見えた。

 ゆらゆらと揺れるランプの光を反射して見えるそれらは、どれも陶磁器のような白く滑らかな艶を持ち、うち数本の表面には、色も明るさも様々ないくつもの輝きがチカチカと不規則に瞬いている。


「これは?……」


「マヤピスの図書館が真に護っているのは書物ではありません。これが、マヤピスの本当の正体なのです」


 アルダーの声が暗いホールにエコーを伴って響き渡った。


「一体、何だ?」

「ええ、この世に魔法をもたらすとされる神のからくりです」


 アルダーは六角形の石柱の一つに歩み寄り、手のひらをぺたりと石柱に触れる。


「言い伝えでは、遥かな古代、天より岩舟が落ちてきて、大陸に大きな穴をうがちました。その時できたのがここ、マヤピスの湖だとされています」

「え? それって」


 祐樹は丘の上から見たマヤピス湖の様子を脳裏に思い出していた。

 ほぼ円形のクレーター湖、そして中央丘の頂上にそびえる図書館。

 アルダーの言う古い言い伝えが本当なのだとすれば、この部屋は図書館の地下深くに埋まっていることになる。


「そして、この世界に十六人の大魔道士、それぞれの行使する魔法を支えるのが、これです」


 彼女は石柱の滑らかな表面を愛でるようになで回す。


「今はまだ眠っていますが、いつかあなたが真の大魔道士と神に認められた時には、この石柱の一柱があなたの物になります」


 祐樹は、思わずゴクリと唾を飲んだ。


「アルダー、君の言葉が真実なのだとすれば、この世界の魔法は……」

「ええ、この地に暮らす人々に神が与えた福音と伝えられています。そして、その時地上に現れた神の一族は、みな黒い髪に闇色の黒い瞳を持っていた……そう、あなたやダイソック様と同じ……」


 アルダーは言葉を切って祐樹の顔をじっと見つめた。


「ユウキ、お願いです。決して精進を忘れず、魔道を極め、いつの日にかこの石柱をよみがえらせて下さい」


 真剣な表情でそう願うアルダーの瞳にランプの炎が映えてゆらゆらときらめく。

 なぜ、この世界にこんな物があるのかはわからない。

 だが、彼女の願いを無視することは祐樹にはできなかった。


「ああ、わかった。約束するよ」


 その瞬間、アルダーの目にホッとしたような涙のしずくが浮かぶ。


「良かった……ユウキ・タトゥーラ。私たちは同士です。一緒に親を越えましょう」


 祐樹はその言葉に無言で頷いた。

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