第三章
第15話 焦り
「ユウキ、これを」
朝食後、宿舎を出ようとしたところで、背後からフォルナリーナに声をかけられた。彼女が手に持っているのは両手におさまるほどの布包み。
「これは?」
「お弁当を作ったの。最近は夜も遅いでしょう。せめて食事だけでもきちんと取って欲しいと思って」
「おお、嬉しい」
はっきり言って、この世界の食事は美味しくない。
小麦粉を使った料理もあるのだが極めて高価らしく、少なくとも祐樹はまだ見たことがない。庶民が口にしているのはエン麦やキビのような雑穀をすりつぶして焼いた硬いパンや、それを刻んで羊の乳で溶いたミルクがゆのような汁物だ。
また、肉といえば祐樹も狩ったウサギモドキや羊が主で、これもまた独特の臭みがある。
ウサギモドキはまだましな方だったが、雑穀がゆや羊肉は祐樹の味覚にどうしても合わなかった。図書館での調べ物で中々進展が得られないストレスも重なって、どんどん祐樹の食が細くなるのを見かねたらしい。
「フォルが作るのなら味は保証付きだな」
祐樹は無理に笑顔を浮かべて布包みを受け取った。
向こうでも暮らしたことがあるフォルナリーナの手料理は可能な限り日本風に寄せてあり、この世界で唯一食べたいと思えるメニューだった。
「でも、フォルの方は大丈夫なのか? 料理をしてる時間の余裕は……」
「まあ、父が生きていた頃から私が食事を作ることが多かったから、慣れてるし」
祐樹が図書館通いをする一方で、フォルナリーナはマヤピスの商人を足繁く訪ねてドラク帝国の状況を調べている。また、正体を隠すため祐樹とフォルナリーナは行商人の若夫婦を装い、図書館近くの利用者用宿舎で同居生活を送っていた。
「ええ、ようやくマヤピスの有力商人に紹介してもらえることになって、今はその返事待ちなの。貯金にも限りがあるし、できるだけ自炊して節約しないと」
「……そうだな、ありがとう」
今、二人は、祐樹の腕時計を売った金に頼って生活している。祐樹の図書館通いがどのくらい続くかわからない以上、フォルナリーナの懸念はもっともだ。
「がんばってね」
そう、背中を押されて部屋を出る。
館長との面談のことは昨夜のうちにフォルナリーナにも伝えてある。彼女はかすかに眉をひそめただけでそれ以上何も言わなかったが、老館長が二人の親世代と親交があったことになんだか複雑な思いを抱いていることは表情を見ていればわかる。
「そろそろ何か成果が欲しいよな」
祐樹は図書館に向かう通りを歩きながら、そびえる図書館の尖塔を見上げて小さなため息をついた。
「来ましたね!」
いつものように閲覧室の受付に顔を出すと、いつもの若い女性司書が待ち構えたように笑顔を見せた。
「さて、ユウキ、筆頭司書からもよろしく言われましたので、今日からは一層ムチを入れていきますよ」
〝ニタァーッ〟という表現がぴったりの怪しげな笑顔を向けられ、思わずたじろぐ。
「ええ……お手柔らかに頼むよ……ええと」
「ああ、そう言えばまだ一度も名乗っていませんでしたね。私は当館の次席司書、アルダーと申します」
「次席?」
祐樹は目を丸くした。
あの老館長が筆頭司書を名乗っていたので、ナンバーツーもそれなりに年老いた人物だと思い込んでいたのだ。それがこれほど若い娘とは。
「何を言いたいのかはわかります。ただ、私とて立場に恥じぬ働きはしているつもりです。大船に乗ったつもりでいて下さい」
「い、いや、君を疑うつもりはないんだ。若いのにすごい、がんばってるな、と感心しただけで……」
そう、素直に感想を述べると、アルダーは唇をとがらせ、照れたようにそっぽを向いた。
「そんなことはどうでもいいのです。それよりほら、今日の分はこれです!」
そのまま、祐樹の顔も見ず閲覧机にドカンと三冊の分厚い魔道書を載せられる。
「今日中に読破して下さいね。ほらほら、早くしないとどんどん遅くなります。時間がもったいないですよ!!」
確かに言われるとおりだ。この厚さなら、読み終わるのはどんなに早くても日没後になるだろう。
ユウキは慌てて椅子を引くと、最初の一冊を手元にたぐり寄せた。
アルダーが〝ムチを入れる〟と宣言したとおり、この日用意された本はこれまでの入門書とは比較にならぬほど読み応えがあり、難しい言い回しが至るところにあって、一読するだけでも相当な時間がかかった。
ただ、書かれたであろう年代も装丁もバラバラな三冊の魔道書は、互いの記述の不足を補うようにうまく選ばれており、二回ほど読み直したあたりで、書かれていることの意味がまるでパズルのピースがはまるように腑に落ちはじめる。
「これが〝次席司書〟の
祐樹は素直に感心した。
翌日も、その翌日も。
アルダーの用意する魔道書は次第に難解な記述が増え始め、彼女がうまく組み合わせて提供してくれる解説本の助けががなければ早々にギブアップしていたであろう。
それほどまでに彼女のナビゲートは卓越していた。
まるで、優秀な水先案内人に導かれて荒海を行くかのごとく、祐樹は次第次第にこの世界の魔法の本質を理解し始めていた。
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