第16話 天才の娘
「ユウキ、次の資料です。あと、こちらの魔道書とこちらの覚え書きは古代ラジアータ語で書かれています。現状では読みこなせないと思われますのでビテクスを調整します。こちらへお越しください」
アルダーが今にも崩れそうな古い紙束を持ってホールに現れた。
「あの、もうちょっとだけ休憩する……という訳には……いかないよね。わかってる」
疲れ果てた祐樹のためらいがちな提案はアルダーの一睨みで却下された。だが、祐樹の生気のない表情を見た彼女は、小さくため息をつくと、隣にぽすっと腰を下ろす。
「十分だけですよ」
「……ありがとう」
アルダーは足をぶらぶらさせながらしばらく黙り込んでいたが、ふと思いついたように祐樹の顔を見つめる。
「ユウキ、一つうかがってもよろしいですか?」
「あ、はい」
それでもしばらく言いよどんでいたアルダーだが、やがて意を決したように口を開いた。
「ユウキ様は……」
「どうしたんですか突然。堅っ苦しいから『様』はやめましょう?」
「じゃあ、ユウキ!……」
「いきなり呼び捨てですか!」
思わず突っ込んでしまう。途端にアルダーは捨てられた子犬のようなしょぼんとした表情を見せる。
「申し訳ありません。私は幼い頃から本としか触れ合ったことがなく、他人との距離の測り方がよくわからないのです」
「……すいません、呼び捨てでいいです」
超然とした次席司書の仮面を脱いだアルダーは年齢以上に幼く弱々しく見えて、突っ込んだ自分が極悪人になったような居心地の悪さを感じてしまう。
「ありがとう、ございます? ユウキ」
「もう、ここまで来たら敬語もやめましょうよ」
「それは、助かります? 助かる?」
「……そこら辺は適当でいいですから。それより聞きたい事って何です?」
「ああ、そうでした。ユウキは、自分が偉大な魔道士の息子である事実をどのように受け止めていますか?」
「偉大って……」
老館長に正体を見抜かれてほどなく、自分がかつて存在した国の筆頭魔道士の息子だという情報は次席司書である彼女の知るところになった。だが、おかげで祐樹の本気が伝わったらしく、アルダーのレファレンスも次第に熱を帯び始めている。
「私の母もこの図書館の司書だったのです」
「ああ、なるほど!」
祐樹は膝を打った。アルダーがこの若さで次席司書の座を射止めた理由がいまいち不明だったのだが、彼女は生粋の〝サラブレッド〟だったわけだ。
「母はまるで神のようなレファレンススキルを持ち、私が生まれた頃にはすでに押しも押されぬマヤピス図書館の生き字引でした。図書館にある千五百万冊すべてを把握し、利用者のどんな無茶な要求にも適切な資料を提案できました」
「千五百万……本当ですかそれ?」
「ユウキは母を疑うのですか?」
途端に眉をつり上げるアルダー。彼女の背中に突如炎が立ち上ったような気がして慌てて謝罪する。
「あ、ごめんなさい。あまりに信じられない能力なのでつい」
「それならばいいです」とあっさり許すアルダー。
「それはどうも」
「私も母に連れられて幼い頃から図書館に出入りするうち、母の仕事に憧れるようになり、いつしか母のまねごとをするようになりました。私が正式に図書館に入ったのは六才の時です」
「それはまた凄いですね!」
淡々と続く身の上話の凄まじさに祐樹は思わずため息をつく。
「ですが、母は私が十歳の時、帰宅途中に街で酔っ払ったドラクの派遣兵に絡まれ、あっさり殺されてしまいました」
「ドラク?」
「ええ、暗がりに連れ込まれ、若い野獣のような兵士たちに次々と……いえ、この話はやめましょう」
アルダーの言葉に祐樹は無言で首を振る。
「若くして伝説となり、伝説のまま消えてしまったのです」
「それは、その……お気の毒です」
二人の間に沈黙が落ちた。
ここ、マヤピスには大陸の各国が駐在武官事務所を置き、自国民に対する保護を名目に兵を派遣している。派遣兵たちは不逮捕特権を持ち、
国情の違いにより派遣される兵の質もそれぞれで、特にドラク兵のたちの悪さはマヤピス人たちの悩みの種になっているらしい。
「いえ、そのこと自体は仕方ないのです。それはいいのですが……」
彼女は再び言いよどみ、やがて大きく息を吸って続きを吐きだした。
「私が困っているのは、母が永久に伝説のままであることです。私が必死に努力して、母に迫るレファリンススキルを身につけた今も、母は伝説のまま遙かな高みにいます。どれほど努力しても、絶対に追いつけないのです……」
「ああ」
祐樹は頷いた。
「なるほど。それは難しい」
「どうしてですか! 私は母以上に努力していると自認しています」
きっと祐樹を睨みつけるアルダー。
目尻が赤く染まり、涙のしずくが握りしめた拳にぽたりと落ちる。
彼女が偉大な母に追いつけず、悔しがる気持ちは良くわかる。
祐樹は彼女から視線を落とし、腿の上で握りしめた自分の拳をにらみつける。
彼女の気持ちはわかる。まるで自分のことのように。
それは、今まさに彼が抱えている葛藤と同じだから。
「僕も、相棒からしょっちゅう言われますよ。大魔道士ダイソックの息子、期待してる、と」
「あなたが夜中まで必死にほこり臭い古文書に食らいついているのは、その期待に応えるためですよね?」
「……ええ」
「でも、悔しくはないですか? 常に偉大な父親と比較されて」
祐樹は小さくため息をついた。
「仕方ないでしょう。
「どういうことでしょうか?」
「お母様はおいくつで亡くなられたんですか?」
「三十二歳です」
「失礼ですが、アルダーさんは今おいくつですか?」
「アルダー」
「……アルダー、君は今何歳?」
「うら若き乙女に向かって大変無礼な質問ですね。十八歳です」
「なんだかつい最近も似たようなやりとりがあったな……まあいいか。アルダーは、三十二歳で伝説になったお母さんと、今の自分を比べているでしょう? それがそもそもおかしいよ」
「はっ!」
目の前にありすぎて気づかなかった単純な事実に気づいて、大きく目を見開くアルダー。
「置かれた立場が違うんだし、僕は比較自体が無意味だと思うけど。でも、どうしても比較したいのであれば、今の自分と比べるのなら同い年、十八歳の頃のお母さんと比べなくちゃ」
「ユウキ、あなたは天才ですか、それとも馬鹿ですか?」
「……君もたいがい失礼だよね」
「大変いい話を聞きました。感謝します」
「お役に立ててうれしいよ」
祐樹は再び小さくため息をつく。
まるで機械のようだと感じていた天才司書の人間らしい姿に触れて少しだけ安心した。どんな天才であってもやはり追いつけない先人があり、それなりに苦悩するものらしい。
だが、すっかり立ち直ったらしいアルダーはすっと立ち上がると、古文書を示しながら無慈悲に宣言する。
「さて、十分たちました。ビテクス室にお越しください」
「なんだ、手加減はなしかよ」
「はい、あなたには是非ともダイソック様に追いついていただかなくては困ります。いえ、私が追いつかせます。今、そう決めました」
そう尊大に言い放つ次席司書の表情には、少しだけいたずらっぽい笑みが浮かんでいた。
翌日、祐樹の手には密かに禁書保管室の鍵が手渡された。
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