第14話 老館長

「こちらに……」


 導かれるまま、一般客の入らない静まりかえった管理エリアについて行く。長い廊下を足音もなく進み、建物の一番奥にある扉の前で彼女はすっと立ち止まった。


「ユウキ様、当館の筆頭司書、兼館長がお会いになりたいそうです」

「え、どうして?」


 祐樹は自分の耳を疑った。

 これほどの巨大図書館のおさが、単なる一利用者に面会を望むことなど普通にあることなのだろうか?

 戸惑いが顔に出ていたのか、無愛想な司書は初めて表情を崩し、祐樹にかすかな笑顔を見せながら答えた。


「私も長く勤めさせていただいていますが、館長が通いのお客様に興味を持たれたのはずいぶん久しぶりです。さあ、どうぞ」

「長く?」


 自分より年若く見える司書がベテラン職員のようなセリフを口にするのが気になって聞き返すが、それに答えるつもりはないらしい。


「……館長がお待ちです」

「あ、はい」


 あらためて促され、重い扉を押し開くと、足が埋まりそうな毛足の長い絨毯に一歩を踏み出す。数歩進むうちに扉は外から静かに閉じられ、祐樹は無人の書斎の中に一人取り残された。


「あ!」


 なんとなく不安になって声を上げるが、それすら分厚い絨毯に吸い込まれ、すぐに消えた。


「お客人、こちらへ」


 と、書斎の一番奥、大きな机の向こうから不意に声がかかる。

 無人というのは祐樹の勘違いだった。

 窓の方を向いていた背もたれの長い椅子がゆっくりと向きを変えると、そこには小柄な老人がこちらを見つめてにっこりと微笑んでいる。


「またお目にかかりましたな」

「は?」


 初対面のはずなのに、いきなりそんなことを言われて思わず目を見開く。


「ようこそおこし下された。ユウキ・タトゥーラ殿」

「あ、え? いえ私は探索者のユウキ・ホワイトウッド……」


 思いがけない言葉を次々にたたみかけられ、冷や汗が止まらない。 

 祐樹は利用者登録書に書いた偽名があっさり見破られていることを知らされて驚いた。ここ一週間の自分の行動にどこかボロが出る部分があっただろうか。脳みそをフル回転させて記憶をなぞるが、思い当たる節はない。


「あ、これはですね——」

「いやいや、わしの目は節穴ではございませんぞ。それに、とがめ立てするつもりでわざわざお呼びしたわけでもない。まずはくつろがれよ」


 柔らかい目線で机の前にある椅子を勧められ、祐樹は覚悟を決めた。理由はともかく、この老人は祐樹の正体に確信を持っているらしい。今さらみっともなく言い訳しても多分無意味だろう。


「身分を偽ってしまい申し訳ございません。改めてご挨拶させていただきます。祐樹・タトゥーラです。以後お見知りおきを」


 老館長はよいよいという感じで顔を上下に振ると、祐樹が腰を下ろすのを待ってゆっくりとみずからの付けひげを毟り、重厚な黒い司書服に似合わない汚い麦わら帽を頭にのせる。


「そう硬くなられるな、ユウキ殿。ほれ、地図売りの爺じゃよ」

「ああっ!」


 そこには、門前町で祐樹に地図を売りつけた老人のいたずらっぽい顔があった。


「あれは、たまに気晴らしで街に降りる際の仮の姿でしてな……」

「ええ……」


 冷や汗は止まったが、マヤピスに入るずっと前から見張られていたのだと知って、今度は背筋が寒くなる。

 

「目元がお父上によく似ておられる。一目見て、すぐわかりましたぞ」


 祐樹はようやく悟った。

 過去、父であるダイソック・タトゥーラも、この老館長と出会っていたのだ。

 ダイソックはクーデターで国が滅ぶ直前、荒野で何かの実験を行っていたとフォルナリーナが話していた。

 とすれば、ここは大陸一の蔵書量を誇る巨大図書館である。何をやるにしても、調査の最初の手がかりとしてここを訪れるのは考えてみれば当たり前のなりゆきだろう。


「担当の司書からあなたのリクエスト内容を聞いて既視感デジャビュを覚えましてな」


 老館長は目を細めた。


「あの当時、ダイソック殿のレファレンスを担当したのはわしなんじゃ。まだ貴殿が生まれる前、奥方とお二人でお越しになり、大層熱心に取り組んでおられた」

「そうですか」

「それでつい、わしもほだされましてな、なけなしの知識とこの図書館の総力をかけてお手伝いさせていただいた次第」

「それはどうも……亡き父に代わって改めてお礼申し上げます」


 祐樹は頭を下げた。全く記憶にない父の背中だが、この老館長の言葉でほんの少しだけ想像できる気がした。


「お父上は残念でしたな。今さらですが、ここにお悔やみ申し上げる」

「ありがとうございます。でも、僕も幼かったですし、父の記憶はありません。実感はないんです」

「そうか」


 老館長は小さく息を吐く。


「……わしも、お父上の願いが叶う瞬間をこの目で見たかったのじゃが……。このように老いさらばれ、もはやほとんど諦めておったよ」

「はあ。それはご期待に添えず……」


 祐樹はこの会談の行く先がいまいち見えず、差し障りのない返事を返しながら彼の狙いを探ろうと言葉を探す。


「さて、ところで」


 その意図を察したのだろう。老館長は不意に表情を引き締めると、椅子から乗り出すように身を寄せてきた。


「ユウキ・タトゥーラ殿、貴殿はご存じかな。いにしえの魔法を具体的に解説した書物は現在、この大陸のほとんどの国で出版も所持も違法。言わば禁書に近い扱いをうけておるのじゃよ」

「……え?」

「唯一、魔法立国を目指すサンデッガただ一国のみが公に魔道士学校を構え、王宮内に魔道士団を持っておる。また、ここマヤピスでは違法ではないが、庶民の目に軽々と触れさせる物ではないというのがもっぱらの判断ですな」


 ささやくように祐樹に告げる。


「そう、だったんですね」


 祐樹は、あの若い女性図書館員が彼を試すようないじわるなレファレンスをした理由をようやく悟った。

 だが、老館長は細められていた目をぎろりと見開き、


「貴殿は、国禁に逆らって真理を追い求める行為が一体何を意味するか、その行き着くところがおわかりですかな?」


 重々しくそうたずねた。


(ああ、そうか)


 祐樹は老館長の狙いをようやく理解した。この人はおそらく、僕の覚悟が知りたいんだろう。


「……いにしえの魔法が国禁でない国をいつか作ろうと、相棒と誓いました」


 老館長のこめかみがピクリと動く。


「相棒? それはもしや、同道されていた若い娘かの?」


 祐樹は悩む。荒野で襲われたことから考えて、フォルナリーナを追うドラク寄りの勢力がこのマヤピスに潜入していないとも限らない。そして、この老人がそんな勢力とつながっている可能性も充分にある。でも……。


「そうです。彼女の名前は、フォルナリーナ・アーネアス・オラスピア」


 賭けだった。


「おお!」


 老人はそのまま背もたれにドサリと身を投げ出し、虚空を見つめて長い間絶句したあと、絞り出すように呟いた。


「生きておられたのか……。希望は、潰えておらなんだ……」


 老館長の目に一粒の涙が輝いた。

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