第10話 襲撃者
再び気づいた時には既に日が暮れていた。
後頭部にはやわらかい弾力が感じられ、額には濡らしたバンダナがのせられていた。恐る恐る額に手を触れてみると、子供のこぶしほどもある、まるでマンガのようなたんこぶがそこにあった。
「気がついた?」
「あっ!」
膝枕されていたことに気づき、慌てて身体を起こそうとした祐樹はちょうど彼の顔をのぞき込んでいたフォルナリーナの顎にコブをぶつけて悶絶する。
「くっ痛ぅ!」
「あ、ごめんね、山賊だと思って。まさか君がのぞきに来るなんて思ってもいなかったし……」
祐樹ははっきりしない意識のままのっそり起き上がる。ズキズキ痛みはするが、目まいはそれほどでもない。
いや。
何か今、とても不本意なことを言われたような……
「誤解だ! のぞきじゃ——」
「あぁ、ごめんなさい! さっきはそう思った、というだけで。ちゃんと誤解は解けたから」
フォルナリーナはあわてて両手を振ると、串に刺されてたき火にあぶられているウサギモドキの肉にチラリと目をやる。
祐樹もまた、彼女の目線を追ってそれを見た。
きれいにさばかれ、食べやすい大きさに切り分けられたそれは、表面にじわりと脂がにじみ、見るからにうまそうだった。
ああ、また解体を任せてしまった。そんな祐樹の後悔を敏感に感じ取ったのか、フォルナリーナはいかめしい表情で黒猫を睨みつけた。
「本当にごめんなさい。だいたいピックが悪いのよ! 私が水浴びをしていることはわかっていたはずなのに」
ニヤニヤしながら成り行きを眺めていたピケットは、急に矛先を向けられてさっと耳を伏せる。
「罰としてピックは晩ごはん抜き!」
(げっ、そりゃ無いよ!)
「どうしてもエサが欲しけりゃ自分で野ネズミでも捕まえてくれば?」
彼女は冷たく言い放つと、焼き上がった肉を取って「はいどうそ」と祐樹にだけ手渡した。それを見たピケットはしっぽを下げてすごすごと姿を消す。
「ちょっと厳し過ぎない?」
「いいのよ」
鼻息荒くそう言い放つと、自分も串を取って豪快にかじりついた。そのままモグモグと咀嚼し、ゴクンと飲み込んだところで、どうしても気になる、といった表情で祐樹に向き直った。
「ところで……」
「何?」
「見たよね?」
胸を押さえ、上目使いで探るような目付きのフォルナリーナ。焚火の加減か、心なしか頬がほてっているようにも見える。
何を聞かれているのか、その表情ですぐに悟った祐樹は慌てて頭を下げる。
「……ほんの一瞬。ごめん!」
恥ずかしそうにうつむいたフォルナリーナは、そのままポツリとつぶやくように言った。
「忘れて」
「え? 無理!」
「お願い」
「見ちゃったものは仕方ないだろ?」
「困る。みっともないもの」
「え? そんなことはない!」
思わず声が大きくなり、驚きに目を丸くしたフォルナリーナの顔が耳の先までさっと朱に染まった。言葉を失ったまま口をぱくぱくさせ、じっと祐樹の顔を見つめる瞳には、焚火の炎が怪しく揺らめいていた。
だが、彼女が再び口を開きかけたところで、ピケットの鋭い思考が割り込んだ。
(お二人さん、そこまで! 賊だ!)
フォルナリーナはさっと立ち上がるとたき火に砂を叩きつけて消し、祐樹は腰の短剣を抜いて低く構える。
(お客さんは二人だ。剣は抜いてるが、構えはユウキよりも拙いへっぴり腰だ。とても〝山賊〟という感じじゃないな)
引き合いに出された祐樹は小さく肩をすくめると、短剣をいったん鞘に戻す。間もなく、男たちの足音が近づいて来るのが彼の耳にも届き始めた。
祐樹はキャンプ地と男たちを結ぶ直線の左手にある灌木の茂みに潜り込んだ。フォルナリーナもまた、反対側の茂みに身を隠した。
ほどなく、無遠慮に小枝を踏み締める足音が近づいて来る。
「あれ、変だな、いませんぜ」
先頭の男が立ち止まり、連れの男に振り向いて言った。
(今だ!)
ピケットの合図で二人は茂みから猛然とダッシュした。
フォルナリーナは先行する男の腹を、祐樹は後ろの中年男のこめかみを狙い、それぞれ剣の柄を力任せに叩き込んだ。
男たちは不意を突かれ、悲鳴も上げずに倒れた。
「よしっ!」
意識が戻らないうちに素早く革紐で手足を縛ると、二人の剣を奪い、たき火の熾の中に放り込む。
(ユウキ、狩りの経験がこんな所で役に立ったな)
ピケットは、転がされた男の顔を爪を出したままの前足で容赦なくつつきながらニヤリと笑った。
「……皮肉キツいよ」
祐樹はふくれっ面で言い返す。
「ところで、誰だこいつら?」
「さあ、会ったことはないわね」
(おっと、気が付いたよ。本人から聞くのが一番)
祐樹の突き飛ばした中年男が先に目を覚ました。続いて若い男も気付いたが、自分が縛られていることに気付くと大声でギャアギャアと口汚くわめき散らした。
「こっちに聞いた方がいいみたいだね」
祐樹はわめく男を無視してむっつりと黙りこくったままの中年男に向き直ると静かに尋ねた。
「僕らを襲った理由を知りたい。話してくれますね」
男は口を開かなかった。しばらく睨み合いが続いた後、祐樹は肩をすくめると後ろ手で短剣の留め具をはずした。中年男の顔色がすっと青くなる。
「わ、判った、話す。俺達は頼まれたんだ」
「誰に?」
「そこまでは知らん、俺達は頼まれれば何でもやる、何でも屋だ。ただ、こんな荒事は初めてなんだ。普段はもっと地味な仕事をしてる。本当だ!」
祐樹が振り返る。フォルナリーナは判らないといった表情で肩をすくめる。
「酒場で背中の曲がった小男に頼まれた。お前達を追い、命を奪えば大金を出すと。前金ももらったんだ。で、払いがあんまりいいもんで……つい魔が差して……」
「どう思う?」
(まあ、信用していいんじゃないのかな。こいつら本当にこんな仕事は経験ないんだよ。手際が悪過ぎるもん。ユウキに仕留められるなんて)
「それはもういいから!」
祐樹はため息をついて立ち上がった。
「さて、どうするかな?」
「とりあえず、すぐにここを離れましょう。追われてる事ははっきりしてるみたいだし」
「じゃ、行こう」
(待って! ユウキ、おっさんの方、懐にまだ何か隠してる)
立ち去りかけたところでピケットが祐樹を呼び止めた。言われるままに懐をまさぐると、持ち重りのする革袋と、柄に細かい細工のある小型の短剣が出てきた。
「これは?」
鞘から抜いてみると、刀身が星の光を受けてキラリと輝いた。
「ずいぶん作りがいいな」
「これ、女性用の護身刀ね。一体どこで手に入れたのかしら?」
促されるままフォルナリーナに手渡すと、彼女は柄の飾りを星明かりに透かすように仰ぎ見た。
「……これ……オラスピアの王章!……あなたこれ、誰から奪ったの?」
鋭く問うフォルナリーナ。その声はまるで氷のように冷たかった。
「依頼主の小男から預かったんだ。これを使ってお前を刺せ、と」
フォルナリーナの目がすっと細くなる。と、彼女は前触れなく手の中の短剣を男の顔に突きつけた。
「ひっ!」
鼻先にプツリと血の珠が弾け、中年男の股間にじんわりと染みが広がる。
「行きましょう」
「フォル?」
「後で話します。今は、一瞬でもこんな奴らと同じ空気を吸いたくない!」
殺気すら漂わせたフォルナリーナの様子に、祐樹はそれ以上言葉を重ねることをためらった。
「ま、待て。俺達を放せ!!」
両手足を縛られ、その場に転がされた芋虫状態の中年男が慌てて怒鳴る。
「駄目だ! 放したらまた追って来るだろう?」
「夜が明ければ、きっと誰かが見つけてくれるわ。それまで生きていれば、だけど」
「馬鹿野郎! こんな山奥に一体誰が来るって言うんだ」
「さあ、私たちの知ったことではないわ。あるいは今晩中に砂漠狼のエサにでも……」
「ふざけるな! 今すぐ縄をほどけっ!! 解放しろ!! クソがぁっ!! このクソガキ共がぁっ!!」
二人と一匹はそれぞれバラバラな方向に向かって闇にまぎれ、後には男の怒鳴り声だけが残った。
二人と一匹が再び落ち合ったのは、襲撃現場から一時間ほど歩いた林の出口だった。
黙りこくって淡々と歩くことに耐えかね、祐樹は思い切ってフォルナリーナに声をかけた。
「フォル、一つ聞いてもいいかな?」
「……ええ」
だが、彼女の声は思ったよりも平静だった。
「さっきの短剣、何だったんだ?」
「これのこと?」
フォルナリーナは懐から短剣をとりだして祐樹に渡す。鞘の先から柄の根本までおよそ二十センチ、武器と言うよりは果物ナイフに近いサイズだ。
星明かりに照らして見れば、鞘の細工も柄以上に精緻で美しい。とても山賊が持ち歩くような品には見えない。
「これ、女持ちだって言ったよね」
「ええ、高位の貴族や王族の女性が、成人の儀で贈られる
「でも、この大きさじゃろくに戦えない——」
「身を守るためじゃないわ……むしろ、誇りを守るための……」
彼女の口ぶりは重い。だが、祐樹は何となく悟ってしまった。
「つまり、自害用の……?」
「ええ、たぶんこれは、オラスピア王妃のもの——」
「えっ!!」
驚愕の表情を浮かべる祐樹の顔を、フォルナリーナはじっと見つめてポツリとこぼした。
「私のお母様の……形見だわ」
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