第二章
第6話 錯綜する時間
フォルナリーナ曰く。
彼女はこの大陸にかつてあったオラスピア王国の王女だった、らしい。
しかし、王国は二十年ほど前、クーデターによって滅びた。
当時、まだ八才だった彼女は、からくも刺客の手を逃れた父、ビムロス・アーネアス王と共に隣国タースベレデの港町に落ち延びる。
しかし昨年、父親も病に倒れ、死の直前にすべてを彼女に打ち明けたのだと言う。
王の盟友、魔道士ダイソックも殺害された。ただ、彼と共にいたはずの妻子の遺体は見つからず、二人がどこかに生きのびているという不確かな噂に、わずかな望みをつないでいたことも。
彼女は父の告白を自分の胸にひっそりと納め、ささやかな葬儀を済ませると、ダイソックの妻子を探す旅に出た。そして、ダイソックが人里離れた荒野に建てた小屋の焼け跡、つまりここで、今もなお残る空間の裂けめ〝回廊〟を偶然に発見したのだという。
「確かに、苦労はしたわ。それに、これは賭けだった」
確かに、ダイソックの妻子がこの回廊を通って異世界に逃げ延びたという証拠はどこにもない。それでも、彼女は信じたのだという。
「とはいえ、あなたの世界に渡って半年、調査にはなんの進展もなかった。ピケットに手伝ってもらわなかったら一体何年かかったか判らない。それに、あなたを見つけたのだって、本当に偶然だったもの……」
そう言ってふっと視線をそらす。
祐樹のスクーターを転倒させたのは他でもない。焚き火のそばで気持ちよさそうに丸まっているこの黒猫、ピケットだ。
「もしあなたのお母さまが生きてらしたら、当時の事情を詳しく教えてもらおうと思ってたのよ。もしかしたら力を貸してくれるかな、なんて、ちょっとだけ甘い期待もしてたんだけど……」
彼女は語尾を濁した。
祐樹にも、彼女の失望は痛いほど伝わってきた。
「……それは、なんだかごめん」
「別に、あなたが責任を感じる必要はないわ。気にしないで」
フォルナリーナは大きく首を振った。
「話がグチっぽくなっちゃったわね」
彼女はそうつぶやくと複雑な笑みを浮かべた。
「後はあなたもご存じの通り。あなたのお母さまが使ったグリヤは、オラスピア王国唯一の、世界を越える魔道具だった。だから、誰一人後を追うことも、迎えに行く事もできなかった。それに、魔道具はどこか壊れていたんでしょうね。だから未だに回廊がきちんと閉じていない」
そこまで一気にしゃべって一息つくと、残念そうに付け加えた。
「もしお母様がそのことをご存じだったなら、自力でこっちに戻れる可能性もあったかも知れないのにね」
確かに。フォルナリーナはともかくとして、祐樹は何の準備もなしに、こうして無事に世界を越えている。
母がこのことに気付いてさえいれば……
「……いえ、もしかしたら、あえて戻らなかったのかも知れないわね」
「え?」
「幼かったあなたのために、向こうでの安定した生活を優先したのかも」
彼女はそこで長い一人語りを終え、大きく息を吐いた。
にわかには信じられない話だった。
しかし、現に世界を越えてこっちに来てしまった以上、彼の常識はもはや通用しなくなってしまった。
いちいち疑ってみるよりも、すべて丸ごと信じ込んでしまう方が、この場合は正しいやり方なのかも知れない。
祐樹は彼女の顔を正面からじっと見つめた。
彼女は目を逸らそうとしなかった。
まっすぐ、澄み切った瞳で彼を見つめかえしてきた。
迷いのない、いい瞳だと祐樹は思った。
だが、丸ごと信じてしまうには、彼女の話に一つ引っかかる矛盾がある。
「一つ聞いていいかな。ええ、フォルナリーナ・アーネアス………」
「フォルでいいわ。何でも聞いて」
「じゃあフォル、ちょっと失礼な質問になるけど、確かめたい。君は今、何才?」
さすがに意表を突かれたらしく、彼女の整った顔から表情が一瞬抜け落ちた。
「女性に平気で歳を訊くなんてデリカシーがないわ。でもまあいいか。
なぜだかそこで誇らしげに胸を張るフォル。
「……クーデターが起きたのは二十年前だって言ったよね?」
「それが何か?」
「僕は今年二十一だ」
「えー、だとすると、私の方が年下なのかなぁ」
なぜか少し悔しそうに口をとがらせる。
「いや、おかしい。計算が合わない。二十年前に赤ん坊だったとすれば、僕が今年二十一なのは当たり前だ。しかし、二十年前という話が正しいのだとすれば、君はその時八才だったんだから、八足す二十で、今は二十八才……」
フォルの表情にようやく理解の色が広がった。同時にこぶしで軽く殴られた。
「ほっんとに失礼ね!」
「ごめん」
鼻息荒くフンとあさっての方を向いたままのフォル。だが、そばで丸まったままの黒猫が小さく鳴き声を上げると、思い直したように居ずまいを直して口を開いた。
「そうね、確かに説明が足りないわ。あのね、グリヤは時間と空間を同時に越える。そう言い伝えられているわ」
「うん?」
まだ説明が足りない。
「これを見て」
彼女は屋敷の焼け跡に残った柱の根元を指さす。
そこには、何本もの横線が刻まれていた。一番上の刻みはまだ日焼けしておらず、新鮮な木材の赤みがわずかに残っていた。そして、それぞれの刻みのそばには雑に文字らしき模様が彫り込まれている。
「私、向こうとこっちを行き来するたびにこうして刻み目を入れていたの」
「それが?」
「ええ、確かに刻んだはずの線がいくつか消えているわ。残っている年号は、クーデターからちょうど二十年目。つまり、今この世界はクーデターから二十年目だとわかる」
「刻み目が、消える? どういうこと?」
意味がわからず聞き返す祐樹に、フォルナリーナは頷きながら答える。
「一度刻んだ傷が消えることはあり得ない。それこそ、時を遡りでもしない限り」
「えっ!」
「この世界でクーデターが起きたのは、私が八才だった二十年前。でも、私の体内時計というか、生まれてから過ごしてきた主観的な時間も間違いなく二十年」
「ほら、計算が合わないじゃないか!」
「いいえ、この矛盾は、半年前、私があなたの世界に渡る以前にはなかったの」
「う、うん?」
「私の時間で半年前、回廊を越えてあなたの世界に跳んだ。そして今、クーデターから二十年が過ぎたこの世界に戻ってきた」
「んんん?」
まるでとんち問答のような話に、かすかな頭痛を感じる。
「これは、私が焦っていた理由にも関係してくるんだけど……」
「まさか、君はタイムリープをしたのか!」
「うーん、そう単純でもないのよね。説明すると長くなるんだけど」
「できるだけわかりやすく頼む」
フォルはむーんと体を起こして形の良いあごに人差し指を添えると思案顔になる。
「ざっくり言うと、あなたの育った世界とこちらでは、時間の流れ方そのものが違うみたいなの」
「ごめん、ちょっと理解できない」
フォルは形のいい眉をひそめ、不満そうに鼻を鳴らす。
「どうも、あなたの世界のある時点と、こっちの世界のある時点が一対一で繋がっている訳じゃないみたい。世界を繋いでいる時空のひずみはちょっと不安定で、まったく法則が見いだせない」
「え? こっちの一日は向こうでも一日じゃ……」
「違うわ。たとえば向こうで三日過ごして戻ったらこっちでは数分しか経ってなかったり、こっちで三日過ごして向こうに行くと、何年も過ぎているってこともあったわ。バラバラなのよ」
言葉尻を濁しながら暗闇をすかし見る。
「世界を往復するたびに、不規則に過去に戻ったり、未来に抜けたりする。私自身、実際に向こうで一度、過去の自分と鉢合わせしそうになったことがあるし……」
「それが過去だってどうしてわかったの?」
「簡単よ。ほら」
腰のポーチからスマホを持ち出して待ち受け画面を見せる。
「今は圏外だけど……向こうに渡って基地局の電波を掴んだ瞬間、日付が更新されるから。便利でしょ」
「ああ、そうか!」
「で、私の主観時間で半年間、向こうとこっちを何度か行き来しているうちにだんだん時間がずれてきて、私たちがこうして話をしている今この時点は——」
「クーデターから二十年ほど過ぎた世界ということ?」
祐樹の混乱をよそに、フォルはまるで人ごとのように頷く。
「世界を越える時、必然的に時間も飛び越えるから……」
祐樹は複雑に交錯する時間の流れを俯瞰してめまいを感じた。
「ええと、話を整理するよ。君はクーデターの時に八才。それから十二年をお父さんと過ごし、はたちで旅に出た。でも、今君と話しているこの瞬間、この世界ではクーデターから二十年が過ぎている」
「そういうことね」
「え、でも、だとすると、君は八年間行方不明になっていたことにならないか? 君の知り合いとかそういう人たちは……」
「私が神隠しに遭ったと思うでしょうね。何の前触れもなく八年間も消息不明、おまけにほとんど歳をとっていない姿で再会するわけだから」
祐樹はそれを聞いて不意に厳粛な気持ちになった。
この、自分と歳もいくらも違わない若い女の子は、自分が次第に世界とずれていくことを顧みようともせず、人生のすべてを賭けてただひたすら祐樹を探していたのだ。
「解った。で、君は何を望む? 僕は一体何をすればいいんだ?」
祐樹は端的に訊ねた。
「私を助けて欲しい」
フォルもまた、自分の胸に手をあてながら簡潔に答えた。
「私は、父の
彼女の目が怒りに燃える。
「父が悪政の末に討たれたのなら仕方がないわ。それは当然の報いだもの。でも、そうじゃない。悪臣ドラクはみずからの利益の為に父を追放し、母を殺し、国を乗っ取ったのよ!」
「……つまり、そいつは俺の親父の
「そうなるわね」
大きく頷いた彼女は、上目遣いに祐樹を見た。
「協力してくれる?」
祐樹は腕を組んで考え込んだ。
確かに、今はあの街に……失恋したばかりのあの場所に戻りたくなかった。
元カノも、寝取った男も同じ職場だ。相当気まずい思いをするに違いない。
でも、それは安易な逃げじゃないだろうか?
最後まで後悔しない自信はあるだろうか?
「うーん」
だが、しかし。祐樹は首をひねる。
彼女の話が事実なら、今すぐ回れ右をして戻ったとしても、数年。下手をすれば十数年先の未来にタイムリープする可能性がある。逆に過去に向かう可能性もあるが、そこには、当然過去の自分がいる。
自分の居場所は、もはやあの世界のどこにもない。
フォルナリーナに巻き込まれた時点で、もはや天秤はどうしようもないほど傾いているのだ。
「うーん」
考えあぐねてフォルを見やる。
しかし、彼女はあくまでも祐樹自身の決断を尊重するつもりらしい。
それ以上言葉を重ねることもなく、ただ、黙って祐樹の目を見つめ返してくるばかりだった。
たき火の炎が照り映え、彼女の瞳は揺れるようにきらめいた。
「……いいよ。よろしく、フォルナリーナ・アーネアス」
さんざん悩んだ末、祐樹はゆっくりとそう答えを出した。
逃げているわけじゃない、自分の、本来の居場所に戻るだけだ。
ためらう必要も、負い目に感じる必要もない。
「ありがとう。よろしくね、大魔道士の息子、ユウキ・タトゥーラ」
明らかにホッとした様子のフォルは、これまでで一番の笑顔を見せた。
祐樹はその表情を純粋に美しいと思った。
(……悪かったな、わざとじゃなかったんだが、君にいらぬ怪我をさせてしまった)
「わっ! 何だ今の!?」
「ああ、ピケットね。私の古い友達。この猫よ」
「猫がしゃべる!!」
(別にしゃべっちゃいないよ、思念を飛ばしているだけだ。あえて君らの言葉で言えば〝テレパシー〟と言う事になるのかな)
「げげっ、何でもありなのかこの世界は?」
(失礼な! こんな事ができるのはこのラジアータ大陸をくまなく探したって僕だけだ。そのあたりの駄猫と同列に扱わないで欲しいな)
「ああぁ、ごめん」
フォルはそんな二人……いや一人と一匹を眺めてクスリと笑うと、すぐに真顔になった。そして厳かに宣言した。
「それでは、私は今ここに誓います。オラスピア王家最後の一人の務めとして、かつての忠臣の息子と共に、逆臣ドラクを退け、この地に再び平和をもたらさん事を」
「この地に平和を……か。いいね」
フォルナリーナの思いに完全に共感したわけではなかったが、自分が慣れ親しんだ世界を捨てる言い訳として、祐樹はこの話に乗ることにした。
いや、縋ったという方がたぶん正しい。
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