第7話 探索者

 二人と一匹のささやかな誓いから二日後、一行は街道沿いの小さな丘の頂にたどり着いた。


「やっと頂上だ!」


 景色がさっとひらけた瞬間、祐樹は気が抜けてその場にへたり込みそうになる。

 慌てて膝に腕をつき、前屈みになって息を整える。慣れない長時間の徒歩移動と野宿のせいで、ヘトヘトに疲れ果てていたのだ。

 はるか遠くに見える建物群は茶色い土ぼこりにかすんでいる。遠目にはレンガや石造りの建物が大半で、周辺には粗末な木造の小屋も多い。

 いつか紀行番組で見た古い中央アジアの小都市、といった感じだ。


(おいおい、情けないな〜君は。それでも一人前のオスかい?)


 黒猫ピケットがからかいの思念を飛ばしてくるが、その居場所は祐樹の背負うバックパックの上だったりする。

 ピケットはこの道中、基本的に二人の前をとことこと歩いていた。だが、時々気まぐれに草やぶに飛び込んでは野ねずみでも狩っているらしい。しばらく姿が見えないなと思っていると、腹をふくらませて戻って来て、祐樹の背中に飛び乗ってのんびり毛繕いを始める始末だ。


「うるさい駄猫! 文句があるなら自分で歩けよ!」


 文句は言うが、祐樹と同程度の荷物を背負いつつ、息も弾まずほとんど汗もかいていないフォルを見て、劣等感に苛まれていたのも事実だ。


「あと一時間くらい歩けば目的地だから。そこまでがんばって!」


 疲れの見えない笑顔で水筒を差し出され、余計に情けない気持ちになる。

 二人とも同じだけの量を持っていたはずだが、祐樹の水筒はとうの昔に空っぽだ。

 〝回廊〟のある小屋の焼け跡は荒野の真ん中にあり、踏み固められただけの細い街道に出るだけでも丸一日かかった。

 レンガのように硬く干からびたでこぼこの地面を歩くのは想像以上に足に来る。膝がギシギシと痛み、ふくらはぎはパンパンだ。足の裏にはいくつもまめができ、それが潰れてジクジクと痛む。


「あ、ああ、そのくらいならなんとか……」


 やせ我慢してそう答えつつも、正直、もはや限界だった。

 祐樹の家はカフェをやっていたので、学生時代、土日は常に店の手伝いだった。立ち仕事は慣れていたつもりだったのだが、今の仕事は一日のほとんどを製図台かパソコンの前で過ごし、歩き回ることはなくなった。休日も部屋に引きこもっていたせいで、今の彼の体力は間違いなくフォルにも劣る。スレンダーな彼女の身体のどこに、これほどのスタミナが隠れているのだろうかと不思議に思う。

 

(こんなことになるのなら、せめて何かスポーツをやっとけばよかった)


 後悔先に立たず。

 祐樹はブルブル震える膝を両手で押さえ込み、勢いを付けてぐいと上半身を起こした。太ももの筋肉が悲鳴を上げ、思わずうめき声をあげそうになるのを歯を食いしばってこらえる。


「……大丈夫だ。行こう」


 強がって無理に笑顔を見せる。

 震え声にならなかっただけましだろう。祐樹はそう自分をなぐさめた。





 街にたどり着いた一行は、通りに一軒しかない宿屋にまず部屋を取り、そのまま街の中心部にある探索者ギルドに立ち寄った。

 持ち込み品の買い取りや商談のためか、一階はだだっ広いホールになっており、正面には一面の木製書類棚を背に、長いカウンターが設置されている。


「すいませーん!」


 カウンターの中央であくびをしていた受付嬢がびしっと背筋を伸ばすと、営業スマイルを浮かべながら分厚い帳面を開く。


「探索者ギルドへようこそ。カリンです」

「私はフォル。これを……」


 フォルは懐からペンダント型のタグを取り出すとカウンターに示す。


「後ろの彼と二人パーティを申請します」

「あ、はい!」


 受付嬢は帳面を開き、指を走らせながらしきりに首をひねっている。


「何か?」

「いえ、フォルさんは登録がだいぶ前ですのに、長く活動履歴がないようなので……」

「しばらく休んでたの。当面は小さな仕事でリハビリをするつもり」

「ああ、なるほど。それでそんなに肌が白いんですか。もうすぐ大台なのに、まるで十代のようなお肌のツヤですね」


 カリンはお世辞のつもりだったのだろうが、それを聞いてフォルの頬がピクピク引きつっている。

 ここで口を挟むと余計な地雷を踏みそうなので、祐樹はピケットをさっと抱えてゆっくり後ずさりする、が。


「祐樹!」

「あ、ハイ!」


 どうやら逃げられないらしい。あわてて隣にすっ飛んでいく。誕生日や母の名前などを訊ねられ、フォルは仏頂面のまま皮紙にサラサラと書き込んでいく。


「あ、はい、これで。パートナーは〝ユウキ〟さん。出身は……え、オラテ村!」


 カリンの声が高くなり、ホールで依頼票を眺めていた腰の曲がった小男がさっとこちらを見た。フォルの咎めるような目つきに、彼女は口に手を当ててペコペコと頭を下げる。


「すいません、失礼しました。オラテ……今はドラク帝国領ですが、あちらから流れてこられる方は最近めっきりなので……と、年齢は二十一才。ああ、それで言葉が……」

「ええ、だから、ビテクスも貸してもらいたいわ」

「なるほど、承りました」 


 受付嬢もそれ以上余計なことは言わず、傍らの機械にそら豆ほどの金属の粒を投げ込むと、ガチャガチャと操作して最後にハンドルをぐいっと一回転させる。

 トレイにカチャンと吐き出された金属板を小槌でコンコンと叩き伸ばし、手早く革紐を取り付けると祐樹に差し出した。


「あ、どうも」


 祐樹は手渡されたタグをつまみ上げる。百円硬貨を小判型に叩き伸ばしたようなサイズの銀灰色の金属板には、一面に細かい地紋がある。そのほかには、ギルドの紋章シンボルと登録番号、そして〝ユウキ〟と刻まれた(とフォルに説明を受けた)だけのひどく簡単な物だった。


「登録手続きはこれで終わりです。何か依頼をお探しなら——」

「ありがとう。とりあえずいいわ」

「では、ビテクスの準備ができましたらお呼びしますね」


 頷いてカウンターを離れるフォルと共に、祐樹はピケットを抱えたままホールの端に並んでいるテーブルに着いた。


「これ、念じると光るとか、呪文を唱えたら本人のステータスが表示されるとか?」

「そんな機能はないわよ。一応偽造はできないようになっているみたいだけど……」


 フォルは半分呆れながら苦笑する。どうやら機嫌は戻ったらしい。

 すぐに名前が呼ばれ、二人揃ってホールの反対側の一角に並ぶ小部屋に入った。


「どうするの?」

「うん、かぶって」


 言われるままにテーブルに置かれていたヘルメット型の機械をかぶる。


 「十分くらいかかるかな。弱い電気が流れるような感じがあるけど、それがおさまるまでは目を閉じてじっとしてて」


 言われたとおり瞑想を始めると、頭の両側、耳の斜め上から後頭部にかけてピリピリと弱い電流が流れるような感触が広がってくる。耐えがたいという程もなく、言われたとおり十分もせずピリピリ感はおさまった。

 ところが、小部屋を一歩出た瞬間、祐樹は自分の耳を疑った。


「言葉が!」


 さっきまでは雑音にしか聞こえなかったホールでの会話が、完全に聞き取れたからだ。


「何だこれ! すごい!!」

「えぇ? 特に珍しい物でもないわ」


 感動する祐樹に、フォルは何でもないことのように首を振る。


「いや、でも、これ、ものすごい技術ハイテクだよ? 一体誰がこんな物を作っているんだ?」

「さあ?」

「……あれ、なんだか感動薄くない?」

「そんなことを言われても……」


 むしろ、鼻息の荒い祐樹にいくぶん引いている。


「ずっと昔から各地にたくさん伝わってる魔道具だし。国境沿いの街にはどこでも一台は備えてあるわね」

「そうなのか!? 向こうにはこんな機械は一台もないよ!」

「……ああ! だからなのね」


 フォルはようやく納得したように頷いた。


「え、何?」

「あなたの世界に渡って私が一番困ったのは、いくら探してもビテクスを置いてある場所が見つからなかったことなの。おかげで、そこそこしゃべれるようになるまで三か月もかかったし……」

「三か月! いや、それはそれですごい!」

「え〜?」


 褒められて照れくさくなったのか、フォルは口角を上げてかすかに頬を染める。

 どうやら、彼女は体力に加え頭の働きも並み外れているらしい。

 いよいよかなわないなぁ、と祐樹は内心舌を巻いた。


「でも、そんなにたくさんあるってことは量産品だよね。だれが、どこから持ち込んだんだ?」


(あんまり昔の話なんで、今じゃ誰も詳しい事情を知らないんだよ)


 祐樹の足元で背中を掻きながらピケットが口を挟んだ。

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