第5話 廃された王女

「本当に? お母様には何も聞いてない?」


 靖子ことフォルナリーナは苦りきった表情で祐樹に訊ねた。

 あたりには、見渡す限り何もない。

 だだっ広い荒野のど真ん中。焼け焦げた廃屋の跡に二人と一匹。

 すでに日はとっぷりと暮れていた。

 初冬の寒さとは打って変わった温かな風は心地よく、どこからかチーチーという虫の声が細く響いている。 

 そんな中、たき火に照らされた彼女の横顔は少し上気して薄赤く染まっている。


「まったく、何も」


 祐樹は手元の焦げた木切れをもてあそび、たき火に放り込みながら大きく頷く。


「母さんは、親父は仕事中の事故で死んだとしか話してくれなかった。俺もそれ以上詳しく聞くつもりなかった。だいたい、俺がこっちの世界から逃げ延びたその……」

「ダイソック。ダイソック・タトゥーラ」

「……ダイソックの息子だって言う証拠はどこにあるのさ?」


 祐樹は自分の顔を指さしながら首をひねる。黒い瞳に黒い髪。どう見ても典型的な日本人だ。

 一方、目の前でたき火に照らされている彼女はと言うと、瞳の色が薄く、髪色も栗色に近い。カラコンを入れて髪を染めていると考えればそう不自然でもないが、鼻筋が通っていて肌の色も白く、外国人の血が入っていると言われても不自然はない。


「いいえ、その辺は疑う余地がないわ。簡単に証明できる。あなたの持っているブローチ」

「ブローチ?」


 祐樹はポケットからキーホルダーを取り出し、二人の間にぶら下げるように持つ。


「これ?」

「そう。これは普通、赤の他人に相続できるような物じゃないの」


 彼女は頷いた。たき火の炎を反射しているのか、これまでただの黒い石だと思い込んでいた部分がチカチカと小さく瞬いている。


「私も持ってるわ。ほら」


 そう言って指さす先、彼女が身につけた白い鎧の襟口にも、くぼみにぴったりとはめ込まれるようなデザインのブローチがあった。チカチカと瞬く光は祐樹の物より少ないが、同系統のデザインなのは間違いない。


「それに、あなたはこっちに来られたでしょ」

「え?」


 途端にたき火がパチンとはぜる。

 彼女の横にうずくまっていた黒猫が、ねかせていた耳をぴょこっと立てると、面倒臭そうに片目だけ開いてまた閉じた。


「あなたと、あなたのお母さんがこの世界から向こうに脱出した時に、互いの世界の間に、時空のひずみって言うか、一種の回廊ができた」

「回廊?」

「ええ。そして、理由はわからないけど、いまだにふさがっていない。さすがにそれは信じてくれるでしょ? 現にさっき抜けてきたのがそれなんだから」

「……まあ、それだけは一応、ね」


 不承不承ながら頷く祐樹。

 ついさっきまで、深夜の公園に立っていたのは間違いない。だが今、見回す辺りの風景は、祐樹の住む街とは別世界のように違う。それだけは疑う余地がない。

 と、その時、祐樹の胃がグーッと切なげな音を響かせた。


「あ、ごめん」


 顔を赤くして腹を押さえる祐樹を見て、フォルナリーナは腰のポーチをかき回し、短冊状の茶色い切れ端を差し出してきた。


「はい、どうぞ。残業終わりに連れてきちゃったからね。夕食まだだったんでしょ?」


 まるで木の皮のような硬い物体を渡され、しげしげと眺めてみるが正体がわからない。 彼女の口ぶりから食べ物であることは確からしいが、得体が知れずすぐに口に運ぶ気にはなれない。


「……何だいこれ?」

「干し肉。一応携帯用の非常食なんだけど。ビーフジャーキーだと思って食べてみて」


 鼻に近づけてくんくんと嗅いでみると、確かにそんな匂いがする。

 祐樹のいぶかしげな様子を警戒ととったのか、彼女は苦笑しながら自分も干し肉に噛みついた。


「ちょっと塩辛いけど、毒は入ってないわ」

「いや、そんなつもりじゃ……」


 あおり気味に言われてこわごわ口に運ぶ。確かに塩味のきいた燻製のような味わいで、顎が痺れるほど硬いが、決して不味くはなかった。


「えー、話を戻すわね。で、本来そんな回廊が残っていること自体が問題なんだけど、とりあえずそれは置いといて、回廊をくぐれるのは魔法の素養を持つ人間に限られることが——」

「魔法!?」


 祐樹は何度目かの驚きの声を上げた。


「ああ、もう! 話が進まないわね。とりあえず質問は後でまとめて受け付けるから、まずは最後まで聞いてくれないかしら」

「ああ、ごめん。聞く。聞くよ」


 うんざり顔のフォルナリーナににらまれ、祐樹はあわてて頷いた。


「じゃあ続けるわ。とにかく、素養のない人間には決して世界を渡れないことが証明されている以上、あなたが元々はこの世界の人間だって事は間違いないの」

「素養? それに証明って、どういう……」


 聞くと言ったそばから再び口を挟んでくる祐樹に、彼女はため息をついた。


「あのね……まあいいわ」


 肩を大きく上下させ、再びはあとため息をつく。


「実は何度か失敗してるの。以前にあなたと勘違いして二人ほどこちらに連れてこようとしたんだけど」

「どうなったの」

「弾かれてそれっきり行方不明ね。多分向こうの世界のどこかに戻っているんでしょうけど、今ごろどんな時代のどこにいるのやら……」

「おい! まさか……」


 祐樹はぞっとした。

 もしかしたら自分もそうなる運命だったかも知れないのだ。


「いかにもそれらしいことを言うから信用したのに。ウソだったのよ。おまけにベタベタ身体を触ってくるし……」


 口ぶりからするに、罪悪感は微塵もないらしい。

 確かに、今、目の前に広がっている現実がなければ、祐樹も彼女のことは美人だがちょっと頭の残念な女の子だと判断したに違いない。彼女の整った容姿に引かれ、下心丸出しで取り入ろうとした男の方に問題がないわけではない。

 だが、しかし。


「うーん。でも、それだけの危ない橋を渡る必要が——」

「あるわ!」


 フォルナリーナは即答した。


「あけすけな言い方になるけれど、あなたに流れているダイソックの血筋が何より重要なの。でも、まさか〝なんにも〟知らされてないなんてのは予想外だったわ」


 彼女はフーッとため息をつく。


「ダイソック・タトゥーラは強力な魔道士で、剣術の腕も確かだったそうよ。王の懐刀と呼ばれたほど信頼のおける人物だったらしいわ。私、もしも彼の家族が生きのびていれば、きっと彼の素養を受け継いでいると信じていた。それだけが心の支えだったのに……それなのに」


 再び、心底残念そうに首を振る。


「……お母さまはどう考えていたのかしらね? 息子に何ひとつ言い残さず……」


 大げさに何度もため息をつくフォルナリーナの様子に、すでに鬼籍に入った、ただ一人の肉親をけなされたように感じて祐樹は拳を握りしめる。

 祐樹にとって、母は誰より尊敬できる人だった。父亡き後、たった一人でカフェを切り盛りし、グチ一つこぼさず彼を一人前に育て上げてくれた親のかがみみたいな人物だ。多少マザコン気味に育った自覚はあるが、理想の女性像を考えて一番最初に思い浮かぶのは今でも母だ。


「仕方ないだろ! もし君が同じ立場に立たされたとして、いくら待っても迎えに来ない人達の世界と目の前の生活、君なら一体どっちを大切にする!?」


 ついつい大声になる。


「何年も迎えに来ない親父を死んだと判断して何が悪いんだよ。どうせ戻れない世界の事なんて子供にわざわざ教える必要なんてないだろ、違うかよ!」

「そんなに怒鳴んないでよ!」


 彼女も負けじと大声を張り上げる。お互い顔をそむけ、気まずい沈黙が流れる。


「……確かに、いえ、そうね。私が悪かったわ。あなたのお母様を批判するつもりはなかったの。ごめんなさい」


 しばらくして彼女が折れた。


「……僕も、悪かった」


 祐樹もぼそりとあやまった。こんな二人きりの状況で反目し合ってもなんのメリットもない。


「いいわ、じゃあ仕切り直し」


 彼女はぎこちないながらも、笑顔を取り戻してそう言った。


「仕切り直し?」

「そう。ケンカを水に流す為に、出会いからやり直しましょう」


 そこまで徹底するのか、と祐樹は半ば呆れたが、このまま微妙な空気を引きずるよりは効果的かも知れない。そう思い直して頷いた。


「じゃあ、まずは正式に名乗りを……」


 彼女は胸の前で腕を交差させ、厳かな口調で前置きすると、宣誓するように言った。


「我が名前はフォルナリーナ・アーネアス・オラスピア。以後、貴殿と永遠に友誼を願う」

「……仰々しい。それにずいぶん長い名前だな。ミドルネーム? それとも洗礼名か?」

「ううん。最後の部分はロイヤルネームね」

「ロイヤル!? ……え? もしかして」

「ええ、この大陸において、名前に国の名前が付くのは王族に限られるわ。実は私、元・王女プリンセスなの」

「はああぁ……?」


 思わず祐樹は頭を抱えた。

 ……いや、一国の王族と一体どんな態度で接すればいいんだ。

 むしろケンカをしていても、さっきまでの方がまだ自然に話せたかも知れない。

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