第12話 図書館都市

 図書館都市マヤピスは予想以上に大きな街だった。

 ほぼ円形の巨大な湖の中心に、お椀を伏せたような丸い島がそびえている。この島の名前がマヤピス島で、同時にそれが都市の名前でもあった。

 島の岸辺には石造りの防壁がぐるりと築かれ、島の頂上には巨大な図書館が威容を誇っている。さらに豊富な水量を誇る泉があり、あふれる清浄な水はらせん状に築かれた水路を流れ下りながら島中を潤している。

 島全体に隙間なくびっしりと二階建て、三階建ての建物が立ち並んでいるが、そのすき間を縫う街路はまるで迷路のように曲がりくねり、三つある防壁の門のいずれからも図書館をまっすぐ見通す事は出来ないらしい。


「うーん、地図が必要になる理由はわかったけど……」


 老人から買わされた街の見取り図を広げて祐樹は唸った。


「これさ、どう見ても……」


 祐樹はかつて仕事で、日本の戦国時代の城と城下町について調べたことがある。

 住むにはどう考えても不便な複雑な街路の構造と、街の要所要所に設けられた、不自然な路の屈曲、あちこちに設けられた兵を伏せるのにぴったりな広場。

 マヤピスの街は、そんな戦国時代の城と城下の構造によく似ていた。

 間違いなく、ここが要塞都市として設計されたことを暗示している。

 クレーター湖と中央丘という天然の地形を利用しながら築かれた、この堅固な要塞が守っている宝は、なぜか王城でも貴族の屋敷でもなく〝図書館〟だ。

 中世ヨーロッパにも似た封建的なこの世界にあって、情報を王族や貴族よりも重視する、不釣り合いに近代的な思考。

 祐樹はこの都市の成り立ちにがぜん興味がわいた。


「マヤピスにようこそ!」


 だが、笑顔で出迎えながら防壁門で彼らの入境書類をあらためたのは、なぜか各々バラバラの軍服を着た兵士たちだった。


「……フォル、あの軍服は?」

「ああ、マヤピスには自前の軍隊がないの。だから、軍や兵士の業務は全部外注アウトソーシングに出しているらしいわ」

外注アウトソーシング!?」


 どうみても要塞めいた構造でありながら、自前の兵力を持たない都市。祐樹はそのことに強い違和感を感じた。


「派遣する側からみれば、自国の兵を養う費用をマヤピスが出してくれるし、マヤピスからすれば訓練を終えた兵士を安く借りられる。お互いメリットがあるわけ」

「でも、マヤピスがどこかと対立する可能性はないのかな? だとすれば、将来の敵をわざわざ養っていることにならないか?」


 どうしても気になるので聞いてみる。


「そうならないように、各国から平等に兵の派遣を受け入れているらしいわ」

「それでこんな風になってるのか」 


 改めて防壁門を振り返る。

 異なる軍服同士はそれなりに仲良くやっているように見える……が、


「あの一人だけ違和感があるな」


 一番端の窓口で入境者を横柄に叱りつけている濃緑色の軍服。


「ああ、あれはドラク帝国の兵士」


 フォルナリーナは兵士を一瞥し、憎々しげに吐き捨てた。

 島には湖の対岸から門の数と同じ跳ね橋が渡され、街路には砂ゾリや馬に乗った人や物がひっきりなしに往来している。市場には様々なデザインの服を着た商人達が並び、豊富で新鮮な食料品と高い技巧で作られた様々な道具類が溢れている。

 大陸中の主なギルドや貿易商社でここに出先を置いていない所はないと聞かされた。


「なあ、フォル、ここ、一体何人ぐらい住んでるんだ?」


 黒猫に冷やかされながらキョロキョロとあたりを見回し、訊ねる。


「定住者だけで十万人、旅行者や短期滞在者を含むとその三〜四倍はいるらしいわ」


 だとすれば、文句なしにこの大陸で一、二を争う大都会なのだろう。

 日本でも、人口十万といえばそこそこの街だ。周囲は荒野でほとんど人が住んでいないことを考えると、この島だけで最大三〜四十万人というのは呆れるような人口密度に違いない。


「なるほど、住民の数に比べて訪問者の割合が不釣り合いに多いな」


 多分この街は、証券取引所や国際機関が立ち並ぶニューヨークや東京、ロンドンのような国際都市のイメージで考えるべきだろう。中世ヨーロッパ風の街並みにだまされ、この世界の仕組みを時代遅れなものだと考えていた自分の浅はかさが少し恥ずかしくなる。


「思ったより手強い世界なのかも知れないな」


 祐樹は、つぶやきながらうーんと身体をを伸ばした。





 広々とした円形の閲覧室は、細い縦長の明かり取り窓から差し込む柔らかい光に満ちている。見上げると、まるでイスラム寺院のような吹き抜けの高いドーム天井。そこに描かれた凝った意匠のフレスコ画が利用者を見下ろし、一種荘厳な雰囲気を醸し出していた。

 閲覧室の周囲を取り囲む書架は五階建てになっており、一層ごとに設けられた回廊を、えりが高く袖の広がった独特の白い制服を着た司書たちがまるで本の妖精のように静かに行き来しているのが見える。


 長期滞在者用の宿舎を探しに行くというフォルナリーナと図書館の入口で別れ、祐樹はひとり、島の頂上にそびえる図書館を訪れていた。

 受付でギルド証を見せながら魔道に関する本の閲覧を申し込むと、閲覧室に通され、しばらく待つようにと言われてかれこれ三十分が過ぎた。


「お探しの魔道に関する資料がご準備できました」


 突然背後から声をかけられ、祐樹はビクリと振り返った。


「とりあえず開架の分だけで二百七十五冊ございましたが、すべてこの場にお持ちしますか?」


 そこには、若く小柄な女性司書が立っていた。その細い腕には広辞苑並の分厚い本が数冊抱えられている。


「にひゃく!」


 思わず大声を出して目線でたしなめられ、背中を丸めながらぼそぼそと答える。


「あ、いえ、まずは入門用の二、三冊を……」


 祐樹の返事を予想していたらしい司書は無言で頷くと、手にしていた本を重さを感じさせない優雅な所作で閲覧台に積み上げる。彼女は続けて胸元から複雑な文様が金箔押しされた皮のしおりを取り出し、祐樹に手渡した。


「ユウキ様のお調べ物が終わるまでの間、このしおりが入館証の代わりとなります。都度受付でご提示いただければその日の分の資料をお出ししますので」


 それだけ言うとくるりときびすを返して立ち去ろうとする。


「あ、すいません」

「まだ何か?」

「いえ、こういう準備があるという事は、他にも通いで調べ物をされている方が多くいらっしゃるのですか?」


 祐樹は手渡された皮のしおりをためつすがめつしながら訊ねてみた。


「はい」


 あたりまえのことをなぜ聞くのだといった表情で若い司書はわずかに首をかしげる。


「現在当図書館にお通いの方の最長記録は、三十二年と三ヶ月ですが?」


 祐樹は気が遠くなりそうになった。

 気を取り直して最初の一冊を手に取り、司書の所作からは予想もできなかった重量に驚く。


「せめて、その十分の一くらいの期間で終わるといいんだけど………」


 前途多難を予感して、祐樹は深いため息をついた。

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