小児科病棟のカメラが写すモノ

道楽もん

2019年5月……ある日曜の朝


「あら、あなた……ホントに来たの? 」


 病室の中央にポツンと、ひとつだけ設置されたベッド脇のイスに腰掛けたまま、嫁さんは肩をすくめる。


「当たり前だろ……嘘なんかついてどうするよ……」


 彼女の言葉に笑顔が引きつるのを感じながら、僕は入院生活の補充品を入れたトートバッグをベッドの隅に置くと、改めて可愛い息子の顔を覗き見る。


 ここは大きな病院の四階にある小児科病棟。

 産まれてまだ一年ちょっとの間に、何度も喘息で入院している息子の付き添いに、連休を利用してやって来たのだった。


「体調はどうだ、ショウ? 今夜はパパと一緒だぞぅ……」


「だぁ……ゲホッ、ゲホッ……」


「あらあら……大丈夫? ショウ」


 笑顔をしかめて急に咳き込んでしまったショウを抱き上げた嫁さんは、縦だっこの状態で背中をさすりだす。

 しばらく苦しそうに咳き込んでいたショウも、やがて彼女の肩に安心し切ったように、モチの様な可愛いほっぺを乗せていた。


「……交代してくれるのは有り難いけど、ちゃんとお世話できるの? 」


 嫁さんは我が子を揺らしながら少し困り顔。


「……知らない人が聞いたら誤解する様な事を……いつもやってる事でしょうが」


「まぁ、そうなんだけどね」


 あっけらかんと否定してケラケラと彼女は笑い、息子の額にキスをする。


「……せっかくだから、甘えちゃおうかな? 

 今日はパパとお寝んねだって。ショウ、パパの事よろしくねぇ? 」


 部屋の隅にあるロッカーでカーテンを引き、着替えた嫁さんは出入り口へと向かう。見送ろうと目を向けた時、彼女の背中越しに見えたモノに一瞬だけ息を呑む。


「……カメラ……なんで……? 」


 手の届かないほど高い天井の隅。まるで僕らを監視するかの様に吊り下げられた、無骨な作りの監視カメラ。

 上擦った声をした僕の指摘に嫁さんは出入り口の上を見上げ、「そうね」とさほど興味無さげに言い放つ。


「昨日この部屋に移ったばかりだから気付かなかったけど……なに? 気になるの? 」


「……そりゃあ、まぁ……」


 出産後、ぐっと視力の落ちた嫁さんが気づかないのも無理はない……と思いながらも、部屋に差し込むわずかな陽の光すら写りこむ、無骨な単眼に覗かれて良い気はしない。


「プライバシーうんぬんと騒がれてる時代に、使ってるわけないでしょ。気にし過ぎ」


 そう言って彼女は手をひらつかせて部屋を出て行った。


「……死んでる、みたいだな……電源」


 天井隅にぶら下がるカメラを見上げる。素人目で検証した結果、吊り下げるための鉄柱とは別に、赤と青のコードがカメラ後部からしな垂れ、機械的な音もまるでしない。


「……嫁さんの言う通りだよな。カメラの事は気にしない様にしよう」


 平均的な身長の僕が手を伸ばしても届かない位置にあるんだ……何もしようがないので、なるべく意識しないようにした。



ーーーー



 広さ十二畳程の病室は、間口よりも奥行きを広くとった縦長の個室だった。出入り口から一番離れた壁には巨大なブラインドの設置された大きな窓が開放感を演出し、真っ白な壁と高い天井といういかにも質素な内装に……カメラ。


「……五月の夕方にしては、少し暑過ぎるな」


 カメラの存在は別にして、空調により常に一定の温度に保たれた病室は、自然な風を好む僕には居心地が悪い。しっとりと肌に張り付くシャツを脱ぎ、ジャージに履き替えながら窓に近づく。


 昼頃来た看護師さんが気を利かせてくれたのか……僕の腰の位置から天井まで全てガラスで出来た大きな窓は、今は全体をブラインドにより覆われている。


 「……ブラインドこれが無かったら眩しいんだろうけど……なぁ」


 実は、このブラインドがちょっと苦手だ。日差しを遮りながら風を取り入れることのできる、とても機能的なシロモノなのだろうけれど……硬質な素材のイメージが強くて、爽やかな風も堅苦しく感じてしまう。


「もう上げても良いだろ……」


 窓の端にあるヒモを引き、目線の高さまでブラインドを引き上げたとき、そこから見える景色に思わず僕の手が止まる。


「……おおっ……めっちゃ良い景色……」


 遠くを眺めれば河川敷と……おそらくサッカーだろうか、広場で活動する人影が見える。

 堤防の手前側に視線を移すと、青葉のしげる並木道を並んで歩く人達の姿。


 (まるで一枚の絵みたいだ……なんか、手を伸ばせば届きそう……)


 ぞくりと背筋に何かが走る。それは別視点に身を置いた不安なのか……それとも地面が遥か下にあるという高揚感か。


 人工的な風の渦巻く病室から清涼な自然の風を身体いっぱいに浴びたくて、僕は衝動的に窓に手をかける。



 カラカラ……ガツッ。


「……うん? 」


 少しだけ腕力に自信のある僕でさえ重いと感じる窓は、外の世界をほんの十数センチ覗かせるに留まる。


せまっ……これしか開かないのか」


 爽やかな風を身体いっぱいに浴びることができると期待していた僕は、腕一本も通らない隙間から漏れる風に肩を落とす。視線の落ちた先にはストッパーが窓の根元にこびり付いており、これ以上開かないようになっていた。


「まぁ……入院中の患者が落ちる危険を考えたら、当然か……」


 例え、間違いだろうと故意だろうと……。小児科なら尚の事。

 わずかな隙間から漂ってくる誘う様な青葉の匂いを乗せた風を浴びながら、僕はぼんやりとそんな事を考えていた。




 翌日、未明。


「……ふぎゃあっ……ふぎゃあっっ……」


 消灯時間の午後九時を回った頃まではご機嫌で、ウトウトし始めたショウが十二時をまわった途端ぐずり出した。僕は片っ端から探ってみたが、これといってショウが不機嫌になる原因が見当たらない。


「変だな……ミルクもちゃんとあげたし、オムツも……濡れてない」


 たまに機嫌の悪い時は当然あったけど、ここまでヒドいのは初めてで。あたふたしたまま、かれこれ二時間以上は経っている。


「どうしたんだ……ショウ。お願いだから、泣き止んでくれよ……」


 さっきから冷や汗が止まらない……枕元のライトが照らしだす時計は、既に午前二時を回っている……少し落ち着いたかとショウをベッドに寝かせても、火のついたように泣きだすものだから、縦だっこがやめられない。


(参ったな……周りの人達は、とっくに寝ている時間なのに……)


 ショウの声に限らず、幼児の泣き声は棟内にとてもよく響く。先程まで廊下に響き渡っていた他室の泣き声も、今は聴こえてこない。


「静かに……ねっ? ショウ、良い子だから……」


 既に眠気はピークを迎えている。足はふらつき、長時間の抱っこで両腕にも痺れがはしっている。


 (ナースコールした方が良いかな……でも、一時間くらい前にも鳴らしたし……)


 第一、自分の子供の気持ちが分からないなんて……自分自身に憶えた苛立ちは、やがて増幅されてショウの泣き声にまで反応してくる。嫌な気持ちを振り払うようにブルブルと首を振ると、ショウを抱えなおす。


 ……ジャラリ……。


 ベッドの反対側にある心電図計から伸びるカラフルなコード類が、時間が経つほどに重く僕たちに絡みついてくる。


 (必要なのは分かるけど……邪魔だなっ、これっ……)


 ヘビのように……又は、首輪のように。僕たちをベッド脇に絡めとるコード類を払いのけながら、ぐずる我が子を再び抱え直した。


 窓のそばに近付きたい……わずかでも、風を浴びれば気が紛れるだろう。そんな考えで頭がいっぱいになってきた、



 ……その直後。



「……ふぎゃあぁ……ふっ……」


 ショウの泣き声が、唐突に消える。


「……ショウ……? 」


 やっと機嫌が治ったのか……なんて、悠長な考えが頭に浮かぶより早く、密着した我が子の身体が有り得ないほど硬く、強張っているのが伝わってくる。


 ショウの様子に異変を感じ、恐る恐る彼を見る。僕の息子は身体を強張らせ、真っ直ぐに天井の一角を凝視していた。


 (なんだ? )


 その先に……彼の視線の先に、見てはいけないモノがある気がして頭の奥が痺れ始める。


 でも、それがショウに危害を加える恐れがあるなら、確認しない訳にはいかない。僕は覚悟を決めて彼の視線を追いかけ、ゆっくりと首を巡らす。


 (あ……)


 目が、合った。


 冷たく室内灯を反射して、ジッと僕らに視線を送り続ける、単眼と。


「……監視カメラ。なんで、あれを……? 」


 動かないと分かってはいても、僕たち親子を無関心に覗き続ける視線に気味の悪さを感じた僕は、目を合わせ続けるショウの視線を遮るように体を割り込ませる。


 ……すると突然、ショウは僕の顔に爪を立てて跳ね除けようとする。


 ーーまるで、邪魔だと言わんばかりにーー


「痛たっ! あ……危なっ……」


 手の痺れが限界の僕は、急に暴れ始めたショウを取り落としそうになる。間一髪間に合ったショウは、僕の腕の中で寝そべる様な姿勢のまま、天井の隅に視線を注ぎ続けていた。


 (……どうしたんだ……? いつものショウじゃ……ない! )


 病状が急変したのとはあからさまに別モノ……何かに取り憑かれでもしたかのようなショウの様子に、背筋に冷たいものが走る。




 ……カラカラ……。




 僕はギョッとして、視線を背後に向ける。そこにはブラインドの降りた窓……が、あるはずだった。


 (……えっ……あれっ……? )


 一度だけ広がる、視界一杯の布。

 部屋に吹き込む、温かく巻き付くような風。


 (窓は……開かないはず……)


 第一、僕とショウの二人しか居ない部屋で誰が開けたのか……部屋の中で次々と感じる違和感と冷えた汗に、身体の芯から震えが走る。


 (そうだ……ナースコール……)


 何度も呼びつけるのが申し訳ない……なんて言っていられない。僕はベッドの枕元にある、ナースコールのボタンを押そうと振り返る。



 ーー感じた視線に、ふと見上げると……僕らを見つめる視線は増えていた。


 入り口を塞ぐ様にたたずむ、白いワンピースの少女。急に現れたその存在に、僕は身体中の毛穴から嫌な汗が噴き出してくるのを、ハッキリと捉える事が出来た。


「……君は? いつの間に来たの……? 」


 さっきからイヤな予感が止まらない。震える声で問いかける僕を、《彼女》は感情の見えぬ長い前髪の奥からジッと見つめている。


 未だに天井の隅を凝視し続けているショウの、強張った身体をギュッと抱きしめる。


 (早く……ナースコールを……)


 喉が圧迫されたように息苦しい……耳の奥がキーンと鳴ったまま、枕元にジリジリと近付こうとする僕に彼女はゆっくりと一歩踏み出す。


 (……ちょっ……)


 ショウを抱える腕に力がこもる。

 逃げようにもショウは線に繋がれ、部屋を仕切るベッドは枕側を壁にピッタリと密着させている。

 逃げ道はベッドの足元と壁の間のわずかな隙間のみ……迫る女の子の目の前に、立ち塞がらなければならないーーーー。


 (クソッ……)


 僕は痺れる腕にムチを打ち、強引にショウを片手で抱いたままベッドの枕元に駆け寄ると、オレンジ色のボタンを強く押し込む。


 いつもはブツッと回線の繋がる音がした後、看護師さんの返事が返って来るのだが……何度押しても手応えがない。


 (何でっ……)



ーーぺたり。


 何度も、何度も、祈る様にボタンを押し込む僕の視界に、裸足の《彼女》が映り込む。


 (あぁっ……)


 淀みなく……滑るように壁とベッドの間を通り抜けて来る《彼女》。



 (……ぅああっ……)



 暗闇に浮かび上がる、白のワンピースを揺らして


 《彼女》は……ゆっくりと……僕を見る。



「……う、わあああああっっ……」



ーーーー



「……ぁなた……あなたっ、起きてっ……」


 聞き覚えのある声に徐々に意識が呼び戻される。


「……ぅん……? 」


 上半身だけベッドに乗せる様な形でうつ伏せに寝ていた僕は、嫁さんの顔を眺めているうちにぼんやりとした意識がハッキリしてくる。


「……あれっ……? ショウッ……」


 ガバッと身体を起こして我が子を探す。

 ショウは……一定のリズムで胸を上下させながら、ベッドで安らかな寝息を立てていた。


「あっ……良かった……」


「何度呼んでも起きないんだもの……余程、ショウの具合が悪かったの? 」


 その声に、今朝方の出来事が頭をよぎる。


「いやっ……具合じゃなくて、変だったんだよ……ショウ……」


「おはようございますぅ、宜しくお願いしますねぇ」


 底抜けに明るい声で部屋に入って来た女性看護師は、窓のブラインドを上げ始める。

 ギリギリと音を立てて捲き上ると同時に差し込む、眩しい日差しに目を焼かれた時、頭のどこかで何かが引っかかった。


 (……あれっ……)


 妙な違和感に、僕は部屋をぐるりと見回す。目に留まったのは、入り口の上に吊り下げられた監視カメラ。


「あっ……あのっ、カメラっ……」


「えっ……あぁ……あれですか? 」


 彼女の話では昔、重症患者の様子をモニターしていた事もあったそうだが、今は使われていないモノだそうだ。

 よく見ればカメラは所々サビが浮いており、レンズには蓋が被せられている。


「……名残、みたいなものです。今は全く使ってませんから、ご安心くださいね」


「……はぁ……」


 あっけらかんと話しながら、女性看護師さんは完全にブラインドを上げ終える。彼女の背を見ながら、僕は狐につままれたような気分になっていた。


 じゃあ……今朝方のあの出来事は全部……夢? 




「あらっ……? 窓の外に白い布が引っかかってるわ……なぜかしら……? 」

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