第3話 縁(ふち)の国の未来形


 私の暮らすつくばの街の隣に牛久という街があります。

 この街、今、アジアの仏教国からの観光客で大いに賑わっています。

 昨年、私も、コアラの国からやってきたGOKUを連れて、その場所に行ってきました。


 牛久大仏という仏様です。


 コアラの国に暮らすGOKUにしてみれば、それは異国情緒あふれる摩訶不思議な代物に違いないのです。


 彼が住むゴールドコーストで、これは立派だと思われるキリスト教会の建物を、私は見た事がありません。


 ロンドンでも、フランクフルトでも、私が出かけたヨーロッパの街には、尖塔がそびえ立ち、絢爛豪華な教会がそこにはありました。

 また、バンコクやシェムリアップといったアジアの街では、黄金の仏教寺院があり、木の根っこが絡まった歴史ある寺院がそこにあって、人々を宗教的荘厳さの環境に導いてくれますが、コアラの国の、サーファーの集まるあそこにはそれが見当たらないのです。


 だから、日本に来た時くらい、牛久大仏や浅草のお寺を、観光することは大切なことではないかって、そう思って連れて行っているのです。


 この仏像、釈迦が亡くなって、数百年経って、その教えが伝わりにくくなり、僧たちの苦肉の策として、ありがたい仏の教えを「見える化」したことから始まったと、聞いたことがあります。


 つまり、仏像は布教のための道具であったのです。


 その仏像を初めて作ったのは、ガンダーラであったと言います。

 インドのガンダーラ地方には、ヘレニズムからの文化が入ってきて、ギリシャではかようにまで人に似せて像を作るのかと感動し、それならば、仏も、それに似せて像にしたらどうだろうと、きっと、どこぞの誰かが思ったに違いないと想像しているのです。


 そして、作られた像が、眉間に白毫(びゃくごう)を持ち、背後に丸い形の光背をつけたものでした。


 白毫とは、奈良の大仏さまの眉間あたりにもあるあの黒子(ほくろ)のようなものです。

 実際は、仏の眉間に生えている白い毛で、右巻きに丸まって、伸ばすと5メートル近くになるというものです。

 ガンダーラでは、そうして出来た立派な像を安置する建物も作りました。


 この形が、その後、アジア各地に広がっていくのです。


 作られた像は、仏教の爆発的な信仰を促しました。

 きっと、人々は、その神々しいお姿を見て、畏敬の念を抱き、現実の生々しい苦痛から、何もかもを拭いとった理想の世界をそこに見出しのではないかと推測するのです。


 そして、その行き着いた縁(ふち)が、日本であったというわけです。


 その日本では、どこよりも大きく、しかも銅で精巧な仏を作り、さらに、その仏様を安置する巨大な建築物が作られるのですから興味はつきません。


 東南アジアのおおらかな仏の像に比べれば、一目瞭然、その違いがわかります。

 だから、きっと、奈良や京都、そして、牛久の大仏のところに、物珍しげに、彼らはやってくると思っているのです。


 ガンダーラで仏像が作られるようになったのは、紀元一世紀前後のことだと言います。

 それから二千年あまり、牛久にあのような巨大な仏を誕生させるのですから、実に偉大なものです。


 現代では、欧米の著名人が、坐禅瞑想をすることを好むなど仏教は勢力をキリスト教圏にも伸ばしています。

 また、千年ほど前の日本では、源平争乱の中で、念仏を唱えることが流行ったりと、その都度、宗教は手を替え品を替えて、その威力を見せつけてきたのです。


 でも、思うのです。

 英語の冊子が出来たり、お経をCDに吹き込んで売りに出したり、数珠を土産に売っていたり、御朱印ブームであったり、手を替え品を替えて、興味を与えてきた仏教が、あの像だけは今風にしていないと。


 二十一世紀風に、仏像をしたらどうなるのだろうかと、想像をしてみるのです。


 アフロヘアーでもいい、モヒカンでも、あるいは、スキンヘッドでもいい、着ているものも、宇宙服のようなものでもいいのではないかなんて、罰当たりにも考えるのです。


 そんなことを考えていたら、あの秀吉の妻寧々の高台寺がとんでもない像を作ったというニュースを耳にしました。


 お顔と胸元、それに、両手には、人間らしい施しがされているのですが、あとは、ロボット丸出しの風体だというのです。

 しかも、そのメカニックな像が、組み込まれたソフトに従って、説教をするというのです。


 ついに、二千年の伝統を打ち破り、新たな仏の像が、仏教の普及した東の果ての縁の地で、歴史的な展開を見たのだと、私など考えるのです。


 ターミネーターよろしく、人間の皮膚とむき出しのメカを持つ仏さまが、高僧と同じように人間に説教をするのです。


 だとするなら、きっと、近い将来、あの牛久の大仏さまをすっぽりと覆う高層ビルが建てられるのではないか、なんて想像も沸き起こってくるのです。

 そこにホテルがあり、信仰心厚いアジアの人々は、我先にとそこに宿泊するなんてことも起こるのではないかと、そんな愚かなることも想像したのです。


 だって、ここは、これ以上先はない、縁(ふち)の国なのですから、何があろうとも驚きはしません。


 奈良や鎌倉、それに牛久と、あのような像を作る国なんですから。

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