第2話 犬と踊る私
面白い記事に目がいきました。
猫の話です。
猫は「我輩を聞き分ける」という見出しでした。
しかも、ロンドン発時事通信の記事です。
まるで、頭から尻尾の先まで、漱石先生ゆかりの記事のようであるかの錯覚を持って、自然と目が行ってしまったのです。
要は、イギリスの科学雑誌に日本の研究者のレポートが載ったという話なのですが、私にはどうもそれが画期的なものとは思えなかったのです。
研究をなされた先生は、きっと、凡人の私にはわからない動物学上の極めて重要な発見につながるものであるという思いがあったのではないかと推測はしていますが。
ところで、我が宅に、猫はいませんが、最後のワンちゃんが一匹います。
最後のワンちゃんとは、随分、意味ありげではありますが、もう、これ以上飼うことはできないという、ただそれだけの意味なのです。
下手をすると、こちらが飼われる番になりそうだと、冗談を言って笑っているのです。
猫と違って、ワンちゃんは散歩をしなくてはなりません。
好き勝手に、なんでも自分ですることが出来ないのがワンちゃんなんです。
トイレの世話から、太りすぎないように気を配り、時には、ふてくされて主人の私を上目づかいに見たり、吠えたりもするのですから、嫌になってしまいます。
我が宅のワンちゃん、二階の六畳間にしつらえられた山のてっぺんにいつもいて、そこから南と西の窓から、あたりを睥睨(へいげい)しているのです。
西の方角にある道に、郵便屋さんのバイクの音がすると、吠えまくります。そして、耳をすまします。郵便屋さんは、道路を南に移動して、東に回り、わが宅の玄関前の道路にやってくるのを常としているからです。
そして、南の窓から郵便屋さんが隣のアパートの駐車場に止まりますと、目の色を変えて、山をおり、また登り、それを繰り返し、ついにはガラス窓に体をぶつけて、怒るのです。
でも、こちらがそばにいればそうでもないのです。
安心をしているのだと思います。
あのバイクのエンジンがダメなのです。それに、もう一つダメなのが宅急便のトラックのあのスライドするドアの音です。
怖くはないよと言うのですが、ワンちゃんにとっては、怖くないと学習する能力はありません。耳の奥底に響き渡るそれは最悪の音にきっと違いないのです。
だから、言ってやったんです。
君の先祖は、オオカミって言って、森の中の山のてっぺんで、遠吠えをして、あたりを威圧していたんだって、だから、あのくらいの音で、右往左往することは恥ずべきことだと。
そんなことを言いながら、そういえば、「狼狽」なんて言葉があったなって、思い出したんです。
確か、「狼狽」という字、「狼」はもちろん、「狽」も共にオオカミであったなって。
とすると、狼っていうのは、山のてっぺんにあって、あたりを威圧する生き物ではなく、何かを恐れてあたふたと狼狽している生き物なのかなんて、さて、どっちなのだろうって、そんなことに考えが至ったのです。
さらに、狼は、いつも悪者であったと、赤ずきんちゃんの話や、三匹の子豚の話を思い出しました。口は裂け、ずる賢い目つきで、悪さをする超一流の動物というイメージがあります。
ケビン・コスナーが主演した映画があります。「狼と踊る男」と題した映画です。
騎兵隊に入隊した男が、西部のとある砦に派遣を命ぜられてたった一人で出かけて行きます。
辿り着いたそこはすでにインデイアンに襲われて廃墟になっています。
男は、しかし、派遣を命ぜられたがために、そこに一人で暮らすことになります。
そして、一匹の狼が男の前に現れるのです。
きっと、群れから離れた、いわゆる「一匹狼」です。
自分と同じだと男は思うのです。
やがて、男は、近くに暮らす穏やかな心持ちの部族と交流を持ちます。白人と先住民の交流が一匹狼を中に挟んで形成されるのです。
先住民は、男のことを「狼と踊る男」と名付けました。
男が、一匹狼と戯れているのを垣間見たからです。
しかし、好戦的な部族が、バッファローを求めてやって来ました。さらに、その部族を支配下に置こうとする戦闘的な騎兵隊もやって来ました。
好戦的は部族からは、自分たちと同じ先住民に取り入るよこしまな白人、騎兵隊からは、先住民と誼を通じる脱走兵として、男はつけ狙われます。
そして、男は騎兵隊に捕まり、護送されている途中、呑んだくれた兵士が、男を追いかけてきたあの一匹狼を射殺するのです。
男は、気が狂ったように、同じ白人の騎兵隊員を殺害し、自分を仲間に入れてくれた部族の元に行くのです。
そんな映画でした。
その映画での狼は、赤ずきんちゃんの狼とはまったく異なります。
きっと、狼の本質は、ケビン・コスナーの描くそれが正しいのだと思います。だって、人間に最初に心を許した動物が狼で、それがゆえに、人間は、狼を自分たちの仲間として、犬に仕上げていったのですから。
だから、私、我が宅のワンちゃんに言い直したのです。
君が吠えるのは、私に、異様な音を立てて、襲ってくる赤いバイクが来るぞって教えてくれているんだね、ありがとうって。
それに、何かを引き裂くあのスライドするドアー。
あれも、私に、危険な物体が来るって教えてくれているんだ、ありがとうって。
我が宅のワンちゃん、私が耳を撫でて、そう言うものですから、目をパチクリさせています。
その時です。
ワンちゃん、私の手を振り切って、耳をピンとそばだてたのです。
そして、山に登り、西の窓を注視します。
近くにある幼稚園の子どもたちが、園庭に出てきたのです。お遊びの時間のようです。
キャッキャという声が次第に大きくなります。
ワンちゃん、それをじっと見つめています。
きっと、そこに赤いバイクが来れば、吠えて、あの子供たちに危険を知らせようとするはずです。
だから、私、ケビンの映画のように、六畳の部屋にしつらえた山の周りを、映画のインデイアンよろしく踊ってやったのです。
ワンちゃん、何をバカしているのかと、ちらっと私を見て、目を子どもたちの方に向けました。
きっと、我が宅のワンちゃん、このバカな踊りをする主人と幼稚園の子どもたちを守ることを自分の役目としているに違いないと、それだから、あのように吠えまくるのだと、そう思うようになったのです。
だから、私、ワンちゃんを、ムギュッと抱き寄せてやったのです。
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