思慕

「ねぇ、オリフゥ……少し雰囲気が変わった?」


「いいえ、私はオリフラム様ではありません。オルタンシアです」


 いまだに私の事を、オリフラムお姉様と勘違いするアルフラウ様に自己紹介を繰り返す朝のお食事のご用意。

 カリカリに焼いたベーコンとジャムやラードを塗ったライ麦のパン。そしてゆで卵とサラダの乗ったお皿を三段の配膳台車から取り出し、アルフラウ様のベッドの隣にあるテーブルの上に置いていく。

 その量は私のとる朝食の量の四倍から五倍の量で、この小さな身体にどうやって収まっているのか首を傾げたくなる。


「ご馳走様でした」


「お粗末様でした」


 すべてを平らげて、満足顔のアルフラウ様。

 配膳台車に食器を片付けて、私がアルフラウ様の部屋を出ようとすると執事のミリィ様が私を呼び止めた。


「オルタンシア様。朝食のお片付けが終わりましたら、食堂でお話がありますので待機していてください」


「あっ、はい。分かりました」


 配膳台車を厨房に戻すと、私は食堂のテーブルに座ってミリィ様を待った。

 しばらくするとミリィ様がやってきて、私の席の前に座った。

 真面目な表情なので、あまり良いお話では無いのだろうかと内心不安になりつつミリィ様の言葉を待った。


「この前のお話なのですが……オルタンシア様に文字の読み書きの勉強のお時間を設けようかと考えております。お仕事の方もですが、私生活にも支障をきたす可能性も考えられるので」


「あっ、お気遣いありがとうございます。その、文字が全然読めない訳では無くて……意識しないで文字を見ると何となく読めるのですが、読もうとして意識すると文字が分からなくなる……みたいな、何だか歯痒い感じでして」


 私の説明が伝わっただろうかとミリィ様の表情を窺うと、いかんともしがたいような感じで顎に手を当てていた。


「オルタンシア様、試しに私が言った単語を書いてみてください」


 ミリィ様はテーブルの上に羊皮紙を広げると、ペンとインクも用意して私に手渡してくれた。


「では、今日用意した食事から、パンとベーコン、ゆでたまご」


 私は言われた通りに、羊皮紙にその文字を書いた。

 ミリィ様は私の書いた文字を見詰めると、うなったり首を傾げたりした。


「これは……確かに普通の文字とは違うのですが、何となくは読めてしまいますね。長い文章であったら、読むのに疲れてしまいそうですが」


 ミリィ様はしばらく私の文字を眺めた後、何か思いついたのかハッとした表情になった。


「これは、もしかして……」


 ミリィ様はそう言うと、私の書いた文字を懐から出した小さな手鏡に映して眺め始めた。


「あの、何か分かりましたか?」


 私の質問にミリィ様は頷くと、今度はミリィ様が私の書いた単語の下に文字を書いて、それを鏡に映して私に見せた。


「あれ?鏡に映すとミリィ様の書いた文字が読めますね……でも私の文字が逆さまに」


「これは、鏡文字ですね」


「鏡文字……ですか?」


「はい。オルタンシア様は原因は分かりませんが、文字を逆さまに認識しているようです。鏡に映した文字であれば、普通に読むことができるようですね。意識しないと読めるのに、意識すると読めなくなるという意味がやっと分かりました」


 そう言うと、ミリィ様は持っていた小さな手鏡を私に手渡した。


「それはオルタンシア様に差し上げます。持っていると何かと便利でしょう」


「あっ、ありがとうございます。手鏡までいただいてしまって……あの、ミリィ様。ご相談が一つあるのですけど、聞いていただいても良いですか?」


「はい。構いませんよ。どんなご相談でしょう?」


「実は、アルフラウ様がいつになっても私の事を覚えて下さらなくて、どうしたらよいと思いますか?」


 ミリィ様は私の質問にこくこくと頷くと、微笑みながら答えた。


「それは、気にしたら負けです」


「やはり……気にしたら負けですか」


 釈然としない感情が表に出てしまったのか、ミリィ様は私の方を見て苦笑いしていた。


「オルタンシア様……例えば知らない人が突然馴れ馴れしく接してきて、君は知らないだろうけど友達や恋人だったと言われたらどう思いますか?」


「えっ、それはその……戸惑うと思います」


 現に私の過去の記憶は曖昧なので、同じような条件が発生する事もあるのだと思うと、どう対処して良いのか悩んでしまいそうだった。


「では、そのお友達や恋人が本当に過去にオルタンシア様の事を知っていて、話しかけてみたら拒絶された時、どういう気持ちになるのか想像できますか?」


「それは……でも、その言葉が本当か嘘かを術もありませんからどうしようもない事です……お相手の気持ちに応える事は難しいと思います」


 ミリィ様は私の言葉に静かに頷き、哀しそうな瞳で微笑んだ。


「はい。ですから、です。アルフラウ様は記憶が曖昧になられてしまっていますので、あまり刺激しないであげてください。お気持ちを伝える事がお互いの心を傷つけあう結果に繋がるかもしれません」


「あっ。はい……心に留めておきます。ご相談に乗って下さって、ありがとうございました」


 ミリィ様とアルフラウ様の間にも、過去に何かあったのだろうか。

 私が普段見ているお二人の様子はとても和やかで、不穏な影の片りんなど微塵も感じさせていなかった。

 しかし、それがお互いの絶妙なバランスで成り立っているものなのだと知ると、ミリィ様とアルフラウ様の事もまた違った目で見えるように感じるのだった。

 一つだけ私にも理解できたこと。

 

 それは、ミリィ様が普段はあまり表面には出していなくとも、アルフラウ様の事を深くお慕いしているという揺るぎない忠誠心。

 ミリィ様はオリフラム様とアルフラウ様の関係に対して、どのように感じているのだろうか……お気持ちを考えれば考えるほど、何となく辛くなってきたのでそのうち私は考える事を止めた。


「なるほど、気にしたら負け」


 強い言葉だなと思った。








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