確執

 日が沈む少し前。

 侍女としての仕事を一通り済ませた藍色の髪の女性は、薄暗くなった空を見上げながら照灯ランタンを持って庭先へと出かけた。

 門番には断りをいれて屋敷の門から外へ出ようとすると、門の前には男装をした黒髪の女性が壁に寄りかかりながら立っていた。


「最近さ。外出が多いんだけど、何かしてる訳?」

 

 黒髪の女性に尋ねられて、藍色の髪の女性のオルタンシアはコクリと頷いた。


「お父様とお母様の行方について、私なりに調べています。通っていいですか?」


「駄目だ。とは言わないけどね……舞踏会の時も噂では殆ど会場に居なかったんだって?自分がどういう立場なのか分かってるの?」


 黒髪の男装麗人のオリフラムは背中を預けていた壁から離れると、オルタンシアの方へと歩み寄って来た。


「不思議な事をいいますね。私は自分自身が誰なのか分からないから、こうして調べものをしているのに」


「いや、そうじゃなくて。もしかして、オルタンシアって天然なの?まぁ、自分も小姑みたいな事は言いたくないけどさ。進捗はどうなってるの?」


 額に手をあてながらヤレヤレという表情のオリフラムは、紺色の髪の少女に質問した。


「進捗ですか。分かりました……私の調べた限りの情報でよければ」


 オルタンシアは、自分がかつて暮らしていた鏡の向こうの世界について話すことにした。

 両親が自分達の住んでいる場所を、ヘルヘイムと呼んでいたこと。

 そしてその世界に閉じ込められた訳ではなく、自ら望んでその世界に住むことを望んでいたこと。

 ニフルハイムの伝承ではヘルヘイムは、幽冥かくりよと呼ばれ死者の住む国であること。

 ニフルハイムの屋敷に住んでみて分かった事だが、幽冥ヘルヘイムに住んでいた時の建物は、部屋の中もまったくこの屋敷と同じ構造だったこと。

 違うところと言えば、そこに住んでいたのがオルタンシアとその両親だけだった事。

 

「それ以外には、お父様に屋敷からあまり離れた所へは行かないようにと教えられていた事です」

 

「はぁ?幽冥ヘルヘイムに暮らしていただって?という事はオルタンシアは死者アンデットって事じゃないか。もしかして心臓止まってたりする訳?」


 オリフラムは心音を確かめようと突然、オルタンシアの左胸に手を当てた。

 そこには心臓の鼓動がまったく感じられなかった。


「え、ほんとに死者アンデットなの!?」


 慌てふためくオリフラムに、オルタンシアは首を横に振ってその手を右胸に持って行った。

 ドクンドクンと右の胸からは心臓の鼓動が感じられたので、オリフラムは落ち着きを取り戻すが、心臓が逆の位置にあるというオルタンシアの奇妙な身体に改めて驚いた。


「いや、びっくりした。心臓って左にあるもんだとばっかり……オルタンシアは本当に何者なんだ?」


「同じ質問をしないでください。私は自身が分からないから調べていると言ってるじゃないですか」 


「あっ、うん。なんかごめん。とりあえず移送鏡テレポーターの中に住んでいたのなら、鏡を再稼働させてみる手もあるよね。何か分かるかもしれない」

 

「それはそうなんですが。私もあの鏡を調べてみましたけど、力を失ってしまっているみたいで鏡面がくすんだまま姿見の役割も果たしていません。

 あの鏡が再び使えるようになるには、時間が掛かるかと思います」


 オルタンシアが俯いていると、オリフラムは何か企みがあるのかニヤリと笑っていた。


移送鏡テレポーターの事なら、アルが何とかしてくれるかも知れない。使った事もあるみたいだから。今度調べる時には姉さんにも同行してもらうといいよ」


「えっ、そうなんですか。アルフラウお姉様って、不思議なかただと思っていましたが魔術の事にも詳しいんですね」


 そういえば、アルフラウがニフルハイムの女伯爵だという事は彼女に教えていたものの、言霊師であるに事にはまったく触れていなかったと思い出した。


「そうだった……こっちの世界の常識は全然知らないのか。それで街の外に出てみようとするんだから命知らずだなあ」


「そうですね、どのぐらいで人が死ぬのか分からないので、手加減というものもよく分かりません。手加減ってどこで覚えればいいのでしょう」


「そう言う話でもないんだけど、さらっと怖い事いうね君は」


 オルタンシアと話していると熱が出そうだと、オリフラムは額に手を当てて大きな溜息をついた。


「そういえば、オルタンシアの両親の事も詳しく聞いていなかったね。それも教えて?ニフルハイム家の人って事でしょ」

 

 オルタンシアはこくりと頷き、覚えている範囲の事を話した。


「私のお父さまは、ヴォルフラム=ニフルハイムといいます。ニフルハイム家の貴族だったとお父様から聞いてます」


「……ヴォルフラム?親戚でも聞いた事が無いな。家系図の方にも多分載って無いと思うよ。ま、いいや。後で調べるとして、母親の方は?」


「お母様の名はアンネリーゼ=ニフルハイムです。元々は魔術師で、ニフルハイム家に嫁いできたとお母様からは聞いてます」


「は?ちょっと待った。アンネリーゼ=ニフルハイムって、僕と姉さんの母親の名前なんだけど。それはおかしいんじゃないか?」

 

 オリフラムはまた頭の痛いような問題が発生したと、両手で額に手を当てて嘆いた。


「本当です……お母様の名前を間違えたりしません。私はお母様の事をリーゼお母様って呼んでいました」


「んんん……でも、それって全部消えちゃったんだよね


 オリフラムの言葉にオルタンシアの肩がピクリと震えた。


「幻か偽者だったんじゃないの?お母様はもう亡くなってるけど、本物が二人いる事は正直あり得ない」


 オルタンシアはオリフラムの元に歩み寄って、無表情のままじっと見詰めた。

 瞳孔から光が失われ、まるで死者アンデットを目の前にしているような感覚に、オリフラムは背中に寒いものを感じてしまった。


「……どうして幻や偽者だって言えるんですか?私はそこで生まれたし、今もここに存在します」


 オルタンシアの瞳に見詰められていると、得体の知れない恐怖に駆られ逃げ出したくなる程だったが、妹に睨まれて尻尾をまいて逃げ出したら、それこそ負け犬になってしまう。

 未知なる恐怖に耐えながらも、オリフラムは自論を展開した。


「そもそも、オルタンシアの記憶が間違っているかもしれない。だって誰もそんな世界の事を知らないんだから。どこかで長い夢を見ていたのかもしれないよ?」


 今いる世界の方が夢見心地ではあるのだが、確かにオリフラムの言う通りオルタンシアの記憶は他の誰も知らない事で、妄想や夢だと思われても言い返すことができない。

 返す言葉も見つからずに、ただ見つめ続けるオルタンシアに溜息をつきながらオリフラムは言った。


「だいたいさ、君の事だって信じてないよ。本当にニフルハイムの血を引いてるのかだって……ね」


 オルタンシアはその言葉に少し眉をひそめたが、声は荒げずに少し低い声で淡々と話し始めた。


「世界もお父様もお母様も幻で、何がいけないんですか?私は何の偽者なんですか?オリフラムお姉様の言う偽りの世界は、私にとっての真実だったんですよ」


「あ、うん……別に優劣を付けたい訳じゃないんだ。だけど、オルタンシアが言っていた事も真実なら、お母様が二人いる事になるよね?それってどういう事なのか分かる?」


 オルタンシアは首を横に振り、黙ったままオリフラムの次の言葉を待った。


「これは証明はされてはいないけれど、同じ世界がいくつか存在するって魔術師達の中では考える人もいるんだって。

 並列世界パラレルって言うらしいけどね。

 オルタンシアの言ってる事が正しいとすれば、君は並列世界パラレルから来た住民である可能性もある訳だ」


「……そうだとすると、私は誰なんですか?」


「ん。結局ね……この世界には居る筈の無い子って事になるね。うん」

 

 オリフラムの言葉に、オルタンシアは返す言葉も無く立ち竦んだ。


「本音はさ。オルタンシアが来てから、姉さんの僕に対する態度もおかしくなったし、家臣達も隠し子だなんだって混乱してるし。僕も素直に認められないんだよね、急に妹が現れても」


 オリフラムは苦笑いしながら、黙っているオルタンシアの肩を軽く掴んだ。


「でも、君自身には価値は無いとは言わないよ。オルタンシアが誰か……そうだね。例えば王族に嫁いでくれれば、ニフルハイム家としては鼻が高いから」


「そんなの……自分で行けばいいでしょう」


「は?今なんて言ったの」


「私はあなたにとって都合のいい道具じゃないって事です」


 怒気を孕まず、無表情で語りかけてくるオルタンシアが、かえって怖くて仕方がない。

 この少女、実は人の皮を被った人ならざる者なのでは無いのだろうか。

 オリフラムは、これ以上彼女を刺激しない方が良いと、本能的に悟った。


「……あ、うん。何というかアレだよ、可愛いからついからかいたくなっちゃうやつ。オルタンシアが真面目だから」


「かわいいからですか……それなら、仕方ありませんね」


 自覚があるのかよ、とツッコミを入れたくなったオリフラムだったが、これ以上話がこじれると厄介なので、余計な事は言わない事にした。


「ははは。少し話すだけのつもりが、引き止めちゃって悪かったね」


 そう言い残すと、オリフラムはニフルハイムの屋敷の方へそそくさと帰って行った。

 門の前に残されたオルタンシアは、ニフルハイム家のお屋敷をしばらく見つめてた後、またこの屋敷に戻らないといけないのかと思うと溜息が出た。


「うん。今日は甘いものでも食べて、乗り切ろう」


 オルタンシアは、両手に握りこぶしを作るとそれを胸元へと上げ、探索する気合を入れ直すのだった。

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