合縁
「人がいっぱいいる場所って……なんだか、落ち着かない」
今日は定期的に開催されている近隣の領主達を集めた舞踏会の日。
ニフルハイムの名を冠すオルタンシアも、顔を出しなさいというオリフラムの命令で予めドレスを仕立てて貰い舞踏会に臨むこととなった。
「いい殿方を見つけたら、誘いを断らないようにね。ニフルハイム領は実は貧乏だから……正直、食い扶持は自分で稼いで欲しい」
オリフラムの言葉の意味はよく分からなかったが、あまりお姉様には好感を持たれていないのだろうなという事だけは何となく分かった。
赤い薔薇のコサージュを髪と胸元に一輪、白いドレスを纏った彼女の姿は周りの視線を集めるのに十分な華やかさであったが、それがかえってオルタンシアを気後れさせる結果となった。
周りの視線を避けるように、壮厳な管弦楽の調べに合わせて踊る人々の輪を離れ、オルタンシアは知らず知らずのうちに壁の隅へと背中を預けていた。
幼少の頃から父親に踊りの稽古を受けてきたが、実際に舞踏会に臨むのは今夜が初めて。
両親以外は誰も居ない静寂の中で一生を暮らしてきたオルタンシアにとって、舞踏会の喧騒は未知の恐怖であった。
「はぁ、もうすべてから逃げ出したい……ダメだね、これじゃ。少し気分を切り替えてこないと」
オルタンシアは宴の輪から完全に遠ざかり、少し風の肌寒いテラスへと一人で歩きだした。
藍色の長い髪が風を受けてサラサラと流れる。
空は相変わらず曇っていて月の光が僅かに注ぐ程度ではあったが、夜風に当たってオルタンシアの気持ちは細やかではあるが晴れるのだった。
「ねぇ、君。気分が悪いの……大丈夫?」
ふと、声を掛けられたオルタンシアが振り向くと、近くに灰色の長髪の若い男が立っている事に気付いた。
父親以外の男に会うのは初めてなので、何となく身構えてしまう。
「あ、いえ。大丈夫です。外の空気が吸いたかっただけなので……お気遣いありがとうございます」
話し掛けられたら会話が続きそうにない。
社交会未経験のオルタンシアは、頭を下げるとテラスから小走りに逃げ出そうとした。
その瞬間、スカートの裾を踏んでしまい大きく態勢を崩してしまう。
こんな所でドレスを汚したら、オリフラムお姉様に殺される!
絶望のせいか自らが倒れてゆく時間がとてもゆっくりに見えた。
無意識に伸ばした手は、先ほど会話を交わした男の前に出していたようで、灰色の髪の男はその腕を掴み引き上げるとオルタンシアを抱き寄せた。
「そんな綺麗なドレスを着て走ったら、危ないよ?大丈夫?」
抱き寄せられたため顔がかなり至近距離に近い位置にあり、オルタンシアはその男の顔を覗き込んでいた。
青い目をした男は、オルタンシアと目が合うと真剣な眼差しになった。
「……オルタンシア?」
知らない男に突然名前を呼ばれて、オルタンシアは驚いた顔で目を見開いた。
「えっ、名乗ってないんですけど……どうして私の名前を?」
「えっ、本当にオルタンシアなの君?ねえ俺の事、覚えてる?」
これが殿方の口説きというものなのだろうかと、オルタンシアは思案した。
確かに心臓は高鳴ってはいるが、これは慣れない異性と近接している事による緊張感ではないかとオルタンシアは自分なりに状況を解析してみた。
「いえ、恐らく初めてだと思います……それに、私は記憶がちょっと飛んでいるみたいで……もし会ったとしても覚えていなかったらごめんなさい。あ、もう立てますので大丈夫です」
オルタンシアは姿勢を立て直して、長髪の男から少し離れた。
「そうかー。約束を守りに来てくれたのかと思っちゃった。勘違いしてごめんね。あ、そうそう俺の名前はミロワって言うんだ。よろしくね」
ミロワと名乗った灰色の髪の男は、頭をかきながら笑った。
心なしか、その男の目が哀しそうにオルタンシアには見えた。
「ミロワ様……ですね。私は地理にも疎いもので、どの土地の領主様なのかはご存じないのですが、よろしくお願いいたします」
少し馴れ馴れしい感はあるが、さっきは転ぶところを支えてくれたし悪い人ではなさそうだ。
オルタンシアは親に学んだ通りに膝を軽く折って、スカートの裾を摘みながら深く頭を下げた。
「ミロワ様……ねぇ。うーん、なんだかなぁ。あっ、それでさ。俺は別に領主でも何でもないし、中でやってるパーティにも呼ばれた訳じゃ無いんだよね」
「はい?それは……侵入者という事ですか?」
オルタンシアは若干ミロワに対して身構えた。
「あ、うん。何か楽しそうだなーって覗きに来たんだけど、それでも侵入者になるよね。でもさ、何も盗んだりしないから信じて。って、信じて貰える証拠も何も無いな……」
ミロワのしどろもどろな答えに、オルタンシアは逆にニフルハイムのお屋敷への侵入は計画的なものではないと判断して警戒を解いた。
「分かりました。それでは助けて頂いた貸しで、私はミロワ様を見なかった事にします」
「えっ、無視するって事?それはそれで哀しいような……オルタンシアに折角逢えたのに」
あからさまに肩を落とすミロワに、何となく親近感を感じたオルタンシアは一歩前に出ると上目遣いで彼を見詰めた。
「ミロワ様は今、お屋敷の中で何をしているのか興味がありますか?」
「あ、うん。興味があったから来てみたんだよね。オルタンシアが教えてくれるの?」
「はい。勿論」
オルタンシアの微笑みに、ミロワは何故か硬直して立ち尽くしてしまった。
「……ミロワ様?どうかしました?」
「あっ、うん。ありがとう。とても嬉しいよ……オルタンシア」
青色の目が少しだけ潤んでしまって、ミロワは鼻を啜って誤魔化すとオルタンシアに微笑みを返すのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます