選択
―かがみよ かがみ わたしはだあれ?
「リーゼお姉様……ど、どうして、ここに」
リーゼロッテは声を震わせ
「どうして?って……ヴォルフラムが此処で待ち合わせをしましょう、って言うから。待ち合わせなんてしないで行くなら一緒に行きましょう、って誘ったのですよ」
口元に指を当てながら考え込んでいたアンネリーゼだったが、何かを思いついたのかリーゼロッテに笑顔を向けた。
「あ、分かった。リーゼロッテもヴォルフラムにお呼ばれしたのですね」
リーゼロッテが言葉を返す前に、ヴォルフラムはアンネリーゼ伯爵夫人の元に駆け寄ると彼女を庇うように前に立って、リーゼロッテを険しい表情で睨みつけた。
「念のためにアンネリーゼに舞踏会で声を掛けておいて正解だったよ。昨日、郊外で会ったのはお前だったんだな……この偽者め」
「ち、違う!私は偽者なんかじゃない!今まであなたと一緒だったのは私です!ヴォルフラム、お願い!信じて!」
リーゼロッテはヴォルフラムの裾を引こうと手を伸ばした。
だが、ヴォルフラムはその手を撥ね退けるように振り払った。
「……いこう、アンネリーゼ。あまりモタモタしていると、誰かに気付かれてしまう」
アンネリーゼは急かすヴォルフラムに手を引かれると、リーゼロッテの方を心配そうに振り返りながら彼のあとを追った。
「大丈夫、リーゼロッテ……今日のあなた、少し変ですよ?」
「どうして!?何故なの!?訳が分からない!」
リーゼロッテは、絶叫しながらアンネリーゼ伯爵夫人の手を引くヴォルフラムを追い掛けた。
リーゼロッテの叫び声をかき消すかのように後方の天井から轟音が鳴り響いたかと思うと、天井の壁が崩れ落ちて大きな穴を開けた。
その天井から飛び降りる巨大な武器を構えた人影。
瓦礫の埃が舞い散りその姿の正体はすぐには分からなかったが、落下の衝撃に怯むことなく鎧の金属音を響かせながら此方に歩んでくる人影に、ヴォルフラムは思わず息を飲んだ。
「フレースヴェルグ卿……だと。どうして此処に」
「……やってくれたな
怒気を孕んだ低く響く声。
フレースヴェルグの凍るような蒼い目がヴォルフラムとアンネリーゼを睨んだ。
ふと、ヴォルフラムはアンネリーゼ伯爵夫人の指先を見ると、そこには確かに結婚指輪がはめられていた。
「指輪か!どうして見落としていたんだ……アンネリーゼ!それを外すんだ!」
「えっ……どうして外さないといけないの?そして落ち着いてください、フレース。私はヴォルフラムに用事で呼ばれただけですから」
状況が把握できないアンネリーゼは、ヴォルフラムとフレースヴェルグの顔を交互に見ながら怪訝な顔をした。
「アンネリーゼ!何を言っているんだ!早く
戸惑うアンネリーゼの手を強く引きながら、ヴォルフラムは倉庫の扉を開け中へと駆け込んだ。
倉庫の中には美術品と一緒に移送鏡が無造作に置かれていて、そのそばにはアンネリーゼの愛娘であるアルフラウと、灰色の髪に青い目の少年が立っていた。
「えっ。アルフラウ様……どうして此処に?」
アンネリーゼが心配そうにアルフラウに尋ねると、アルフラウは紅い瞳を輝かせながら満面の笑みで答えた。
「私ね、リーゼお母様のお出かけのお手伝いをしに来たの」
「準備は整ってるよ、ヴォルフラム。さぁ、早く鏡に飛び込んで」
青い目をした少年、ミロワの言葉にヴォルフラムは頷いてアンネリーゼの手を引こうとしたが、その手をいつの間にか追いついたリーゼロッテが掴んで遮った。
「くっ、邪魔をするな偽者!」
ヴォルフラムの罵声に対して、さっきの動揺が嘘のようにリーゼロッテは口元をつり上げて彼を見返した。
「ふふふ、本当にあなたが愛していたのは目の前にいるアンネリーゼ?ヴォルフラム……もう一度チャンスをあげる。考え直しなさい」
ヴォルフラムの目の前で、突然アンネリーゼに抱きついたリーゼロッテは、彼女ともつれ合いながら床に倒れ込んだ。
慌てて、ヴォルフラムは倒れ込んだアンネリーゼに手を差し伸べたが、其処に倒れていた二人はまったく同じ衣装でまったく同じ姿のアンネリーゼとなっていた。
「……く、っ。卑怯な真似を……っ!」
ヴォルフラムが、アンネリーゼ達を覆う影に気付いて背後を振り返った時、フレースヴェルグの
「ヴォルフラム!避けろ!」
駆け込んできたミロワに突き飛ばされたヴォルフラムの頭上を、
身代わりとなったミロワは身体に強烈な斬撃を受けると、硝子の割れるような音と共に粉々に砕け散ってしまった。
「ミロワー!」
ヴォルフラムの絶叫も虚しく、ミロワの粉々になった身体は倉庫の中の美術品や当たり一面に舞い散り、キラキラと硝子の破片のように淡い輝きを放っていた。
「……小癪な」
砕け散った破片の一部は、フレースヴェルグの眼にも入り視界が妨げられた。
それでも目を擦りヴォルフラムを捉えようとするが、その一瞬の隙をヴォルフラムは見逃さなかった。
ミロワの死を
「本物かどうかは後で確かめる!二人とも来るんだ!」
思惑通りの展開に、アンネリーゼの姿になったリーゼロッテは思わず笑みを漏らした。
落ち着いて過去にあったヴォルフラムとの出来事を話せば、自分がアンネリーゼであったという事を証明できる。
アンネリーゼ伯爵夫人が一緒になってしまった事は予想外だが、別にこちらの世界がどうなろうとも最早知った事ではない。
「鏡よ!導いてくれ!アンネリーゼと僕の二人だけが住める世界へ!
僕の歌をその為にすべて捧げよう!」
ヴォルフラム後に続いた二人のアンネリーゼは、そのまま鏡の中に溶け込むかのように消えると思われたが、何かの衝撃と共に片方のアンネリーゼは鏡より弾き出されてしまい尻餅をついた。
「え、どうして……」
鏡の前で倒れたまま、呆然とする残された方のアンネリーゼ。
あまりのショックに術は解け、元の姿に戻ったリーゼロッテは輝きを失ってくすんだ鏡に触れた。
くすんだ鏡は何者も映すことは無く、ただ静かにそこに佇むだけだった。
『ヴォルフラムとアンネリーゼの二人だけが住める世界』
名を偽ったリーゼロッテは、最初から鏡に認められる資格が無かったのだとようやく理解した。
「なにそれ、嫌……彼の居ない世界なんて考えられない……」
ヴォルフラムとの思い出が蘇り、リーゼロッテの頬を涙が伝った。
甘い歌声、紫の優しい瞳、彼を形成するすべての要素が彼女にとって愛しかった。
しかし、思い出している最中にも彼の顔がすこしずつぼやけていく事にリーゼロッテは気が付いた。
そして、それは頭の中を白く染め上げるように次々と記憶を塗りつぶしていく……彼と交わした言葉も……声も……分からなくなってゆく恐怖にリーゼロッテは震えた。
「なにそれ……嫌!そんなの嫌ぁあああああああ!」
リーゼロッテは
しばらく泣き叫ぶうちに、失われたものが何だったのか。
彼女はすでに、泣いている理由さえも分からなくなってしまっていた。
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