誤算

「明日の舞踏会。10時の鐘が鳴る頃に、フレースヴェルグ伯の屋敷の地下倉庫で落ち合おう」


 いつもの通り街の郊外でヴォルフラムと待ち合わせをしたリーゼロッテは、彼から計画の報告に嬉しそうに頷いた。


「ええ、約束の日がついに来たのですね。この日をどんなに待ちわびた事か……それでは、明日の夜にまた会いましょう、ヴォルフラム」


 アンネリーゼを装いながら世間を忍び、ヴォルフラムと逢う日々も明日で終わり。

 ヴォルフラムと二人だけが暮らす事のできる世界へ旅立った後も、アンネリーゼを演じ続けなければならないが、それはただ自分の名前を捨てるだけの事。

 そう思うとリーゼロッテの心は高揚し、ヴォルフラムと別れた後もこぼれ出る笑みを抑える事ができなかった。


 リーゼロッテが氷蒼の塔へ帰る準備の為に呪文の詠唱に入ろうとしたところ、近くの木陰の視線に気付いた。

 ふと詠唱を止め、リーゼロッテは視線の先を追った。

 そこには、ヴォルフラムの友人と紹介された青色の目をした少年が、あまり隠れる様子もなく立っていた。

 

「あなた……名前は聞いて無かったけれど、あなたが駆落ちに協力してくれるんですよね?私からも礼を……ありがとう」


 彼女がお辞儀をすると、青い目の少年は頬をポリポリとかいて目を逸らした。


「いやー、お礼されてもまだ成功するって決まった訳じゃないし。まぁ、無事に二人が向こうの世界へ旅立った時にでも受け取っておくよ」


「あなた……本当に何者なの?そもそも、どこまで知っているの」


 リーゼロッテは、自分の正体が実は少年に知られているのではないかという不安が募り、ついつい探りを入れてしまった。


「いや、あんまり自分の事もよく分かってないんだけど、とりあえずヴォルフラムとは友達だよ。何をどこまで知ってるって話かよく分かんないけど、移送鏡テレポーターの使い方はちゃんと知ってるから安心してよ」


「……分かりました。それでは、頼りにしていますね」


 リーゼロッテは軽く少年に頭を下げてから再び魔法の詠唱に入ると、その姿は白鳥へと変化して氷蒼の塔を目指して羽ばたいていった。

 

 彼女が飛び立った後姿を目の上に手をかざして見送ったミロワは、空飛ぶ魔術も紫の魔女オルタンシアに教えて貰えばよかったなと、羨ましがるのだった。




 ―約束の舞踏会の日。

 いつもの通りフロストロードの魔術師の服装から、アンネリーゼ伯爵夫人の着るドレスに着替えたリーゼロッテは、約束の時刻より少しだけ早く倉庫に辿り着きヴォルフラムが来るのを今か今かと待ち侘びた。


 手元に取り出した懐中時計を確認すると、時刻はもうすぐ夜の10時。

 暫くすると、角の丁字路の廊下からカツンカツンと靴の音が少しずつ大きくなってゆくのが聞こえて来た。

 リーゼロッテはそれをヴォルフラムの足音と確信して、彼の姿が見える前に小走りに通路の方へと近づいていった。


「待っていましたよ。ヴォルフラム!さぁ、私を早く連れて行って!」


 リーゼロッテが丁字路の角から少し姿の見えたヴォルフラムにそう叫ぶと、彼は驚いたように立ち止まり、彼女の方を訝しげな表情で睨んだ。


「……君は、誰だ?」


 予想外の言葉にリーゼロッテは一瞬、言葉を詰まらせたが平静を装い笑顔を作った。


「何を言っているの、ヴォルフラム?私は……」


 ヴォルフラムは少しリーゼロッテを見詰めたが、直ぐに丁字路の向かい側へとその視線を逸らした。

 ヴォルフラムの視線を追うように、リーゼロッテは向かい側の通路の方へ視線を向けると、ここにいる筈の無い人の姿を見て絶句した。


「あら。こんな所でどうしたの、リーゼロッテ?そんなにおめかしして……舞踏会の会場ならなら此処ではありませんよ?」


 無邪気な微笑みを浮かべながら其処に立っていたのは、彼女がずっとヴォルフラムを偽り続けた、リーゼロッテの姉にして、ニフルハイム伯爵夫人。

 舞踏会からヴォルフラムに連れ出された、アンネリーゼ=ニフルハイムだった。

 リーン……ゴーンと夜の10時を告げる鐘が地下の通路に鳴り響く。

 その鐘の音と共に、リーゼロッテの頭の中は一瞬にして真っ白になってしまった。

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