駆引
ニフルハイムの街からさらに北には、フロストロードと呼ばれる魔術師たちの住む氷蒼の塔がある。
その氷蒼の塔の冷たい冷気と石壁に囲まれた一室で、灰色の髪に立派な白髭をたくわえた老人が険しい目つきで一人静かに誰かを待っていた。
老人の名はプルシタール。フロストロードの長にして、ニフルハイムにおいて……いや、辺境においても恐らく最強の魔術師である。
暫くすると部屋の一角にある魔法陣が淡い光を発し、一人の女性の影を映しだした。
フロストロードの上位の術師に座するリーゼロッテは、魔法陣から一歩踏み出すと、静かに高級な椅子に腰かける老人に深々と頭を垂れた。
「報告いたします……ヴォルフラム=ニフルハイムはアンネリーゼ様との
「ふむ……それは真か。かねがね噂には聞いておったが、事実だとすれば厄介な事になったな」
「左様でございますね」
「しかし……事前に止めるのが最善ではあるが、証拠も無しにフレースヴェルグ殿の従弟に手を出す訳にもいかん」
プルシタールの言葉に、リーゼロッテはただ黙って頭を垂れたまま、次の言葉を待った。
「計画の現場を押さえるのが一番ではあるが、万に一も気が動転したヴォルフラムが、アンネリーゼを傷付ける事になってしまっては一大事だ」
プルシタールの言葉尻に、姉であるアンネリーゼも彼の中では都合の良い道具でしかない傲慢さが垣間見えて、リーゼロッテは少しだけ眉をひそめた。
「左様でございますね」
「……何かいい案はないか、リーゼロッテ」
初老の魔導師の言葉に、アンネローゼは姿勢を正すと静かに言った。
「私に良い考えがございます……アンネリーゼ様の身代わりになって、私がヴォルフラムと接触しましょう」
「……ほう?」
プルシタールは片眉を上げると、リーゼロッテの顔を銀色の眼光でじっと見据えた。
「フレースヴェルグ伯やアンネリーゼ様に危害が無きよう、ヴォルフラム卿は私が責任をもって始末いたします」
「なるほど……確かにお前が替え玉となれば、アンネリーゼの身には危害は及ばんな」
プルシタールはリーゼロッテの意志が断固たるかを見定めようと、暫く彼女と視線を合わせていたが、その揺るがぬ表情に満足そうに頷いた。
「よし、ではお前の護衛に上位のフロストロードを何人か付けよう」
プルシタールの言葉に、アンネローゼは首を横に振った。
「いえ。どうせ私は、アンネリーゼ様の御為にある命。いつ散ろうとも惜しくはありません。裏では手練れの者が彼の手引きをしていると噂もありますので、下手にヴォルフラム卿を刺激するのも危険でしょう」
「むう。しかし、それではなおさらお前だけに任す訳には……」
プルシタールの言葉を制すように、リーゼロッテは歩み寄ると、紅の瞳でじっと老人の目を見詰めた。
「……私を信じて、ここはお任せ願えますか?」
リーゼロッテの強い言葉にプルシタールは暫く黙っていたが、やがて頷くと彼女に低い声で囁いた。
「何か考えがあるようじゃの。まぁ、良かろう。ただし、失敗は許されぬぞ。分かっておるな」
「……はい、必ずやヴォルフラムを仕留めて参ります」
リーゼロッテがアンネリーゼ伯爵夫人と偽って、ヴォルフラムと接触していた事についてプルシタールはまったく触れなかったが、恐らく彼の耳には噂話ぐらいは届いているだろう。
だが、ヴォルフラムを自らの手で始末すると公言すれば、フロストロードの体裁を傷つけずにリーゼロッテもヴォルフラムも始末できる。
さすが、プルシタール様は賢い選択をなされる。
捨て石程度の扱いにリーゼロッテは、心の中で自虐的に
フロストロードの長であるプルシタールにまで嘘をつく事になるとは、あの舞踏会での出来事の時には思いもよらなかっただろう。
積み重なった嘘の連鎖は、もう引き返せない場所まで来てしまっていた。
ならば、往き尽くところまで嘘をつき続けるしかないだろう。
そう……自分自身を偽れるほどの嘘をつけば、なにも苦しくはない。
あとは、ヴォルフラムとこの世界から消えればいいだけの話。
リーゼロッテの心はヴォルフラムと共に
「ここではない世界へ逃げる……ヴォルフラムと?」
―数日前
ニフルハイムの街の郊外でいつもの通りヴォルフラムと待ち合わせたリーゼロッテは、彼が不思議な計画を口にする事について首を傾げた。
「ああ、その世界はたとえフロストロードといえど、追う事の出来ない世界なんだ。そこなら二人だけで暮らす事ができる」
「ヴォルフラム……そんな、お
リーゼロッテの言葉にヴォルフラムは頷き、静かに彼女を見詰めた。
「ああ、だから……二人だけが住む事のできる世界を創り出すんだ。それには膨大な魔力とちょっとした準備が必要だけど」
ヴォルフラムの真剣な眼差しに、アンネローゼは思わず息を飲んだ。
「ただの絵空事ではない……ようですね。分かりました。もし、貴方と二人だけで住める世界があるのならば、私は喜んで貴方と共に参りましょう」
「あは……信じてくれてよかった。大丈夫、僕の祖母の友人が手を貸してくれるんだ。心配しないで、きっと上手くいく」
ヴォルフラムが向けた視線の先をリーゼロッテが追うと、青色の目をした少年が微笑みながら、やや大袈裟に頭を下げた。
「え、あなたのお婆さん……の友人?それにしては彼、若すぎる気がするのだけど……」
何か言い終える前に、リーゼロッテの言葉は止まり驚くようにヴォルフラムの方に向き直った。
「ヴォルフラム!あなた、まさか……人ならざる者と手を組もうとしているの?」
リーゼロッテが身構えて呪文の詠唱に入ろうとすると、ヴォルフラムは苦笑しながらその手振りを押さえて制した。
「大丈夫、心配しないで……彼は意外といい奴だから。確かに僕の大事なものは旅立ちの対価として捧げる予定だけど、それはこの世界から去ればすべて必要ないものになる」
「……あなたを信じていいのね。ヴォルフラム」
呪文の詠唱を止めて手を降ろしたリーゼロッテに、ヴォルフラムは黙って頷いた。
「時と場所が決まったら、また連絡するからそれまでの我慢だよ。必ずあなたを……アンネリーゼをこの世界の束縛から解放してみせる」
ヴォルフラムの言葉に、リーゼロッテも静かに頷いて微笑んだ。
青色の目をした少年の目を憚らず、二人はじっと見つめ合うと熱き抱擁を交わした。
嘘をつき続けているリーゼロッテが、ヴォルフラムには真実を求める。
そんな滑稽な駆け引きも、近いうちに終焉を迎えるかも知れない。
この世界では価値を認める者のいないリーゼロッテは、すべての希望をヴォルフラムともに旅立つ見知らぬ世界に託すのだった。
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