覚悟

 祖母である魔女のオルタンシアが所持していた移送鏡は、偶然立ち寄った骨董屋のような不思議な店に大事に保管されていた。

 それはヴォルフラムが子供の頃に見た、姿を映さないくすんだ鏡とは違い、彼の姿をはっきりと映し出していた。


「ミラ……じゃなくて、ミロワ。さっき君はこの鏡を僕のものだと言ったけど、それはどういう事なんだい?」


 ミロワは笑い転がるのをやめると、姿勢を一旦正してヴォルフラムと向き合った。

 その姿は相変わらず年頃の少女のままだったが、意識をしないようにヴォルフラムは平静になるように深呼吸した。


「その鏡が必要になる日まで、紫の魔女オルタンシアから預かっていただけだからねー」


「そして君は結局何者なんだ?……いや、そんな理由は今はいい。お婆様の大切な鏡をこうして大事に保管していてくれた事にお礼を言う。ありがとう」


「いや、どうも。で、ヴォルフラムは移送鏡テレポーターをどんな理由で使いたいのさ。ちょっと教えてよ」


 ミロワは近くに置いてあった歪なテーブルと椅子を指さし、ヴォルフラムに座るように勧めた。

 嫌々座ってみると、椅子のでこぼこが身体のツボを刺激して、以外に座り心地が良かったことに驚いた。

 ヴォルフラムがテーブルに着くと、ミロワは何処からかお湯を沸かしてきたポットを持って、紅茶をその辺から持って来たカップに注いだ。

 ヴォルフラムが恐る恐るカップを手に取り紅茶を一口啜ると、味は意外と美味しく不思議と気持ちが落ち着いてきた。

 

 ミロワの素性を知らない事に不安はあったものの、ヴォルフラムはフレースヴェルグ伯爵の妻であるアンネリーゼに想いを寄せている事をありのままに打ち明ける事にした。


「よく分からないけどさ、人の嫁さん奪ってもいいの?」


 ミロワは紅茶の香りを楽しんでいるのか、紅茶のカップを手に持って軽く回しながらヴォルフラムに尋ねた。


「んんん!あまり良くは無いんだが、その……アンネリーゼ様も本心ではフレースヴェルグ伯爵に嫌気がさしているようだし、あのお屋敷にいる事が彼女にとっての毒なんだよ。頼む、いいという事にしてくれ」


「よく分からないから、いい事にしておくよ」


 カップを頭の上に掲げながら、流れる紅茶を器用にゴクゴクと飲むミロワ。

 年頃の少女の姿が台無しになっていた。


「ありがとう。しかし正直、この鏡の使い方がよく分かっていないしミロワの協力無くして、無事に二人で逃げ出せるとは思えない。

 ミロワ……僕に手を貸してくれないか?」


「うん。そのつもりだったから安心して。でもね、その計画は多分失敗すると思うんだなー」


 ミロワはカップをテーブルに置くと、ヴォルフラムの前で人差し指を立てて、こう言った。


「悪いけど、その移送鏡は一人用なんだ」


「え!?」


 ミロワの言葉に動揺を隠せないヴォルフラムは、思わず椅子から半立ちになってテーブルを叩いてしまった。


「一人用だなんて聞いていないぞ!あ、いや……すまない。ミロワにそれを言っても仕方のない事だよな。しかし、これは困った事になったな」


 頭を抱えてテーブルに突っ伏するヴォルフラム。


「……ヴォルフラムはさー、この鏡でもう一人連れて行く事ができれば良いんだよね?その、アンネリーゼさんって人を」


 ミロワは突っ伏しているヴォルフラムの隣にしゃがんで顔を覗き込んだ。

 ヴォルフラムは少し身を起こすと、覗き込んでいるミロワの方に向き直った。


「ああ、それが出来るのなら苦労しないんだが……何か良い案がミロワにはあるのかい?教えてくれ……僕にできる事なら全力を以て協力しよう」


「そうだねー、沢山のマナと対価を用意すれば、移送鏡で他に誰も来ないような所に逃げられるかもね。昔似たような事をした人は見た事あるし」


 ミロワは、ヴォルフラムの飲んでいた紅茶を勝手に一口すすった後で、テーブルから飛び降りた。


「……宛てはあるという事か?それなら、そのマナを発生させる物を持ってくればいいのかい?それは何処にあるんだ?今すぐ探してこよう」


「うん?マナを発生させてる物というか人というか。とりあえず、その子の近くに鏡をを持っていくといいと思うよ」


「……まさかそれは、フロストロードの事ではないだろう?しかし、フロストロード以外にそれ程の魔力を持つ者がいるとは初耳だな。その子とは一体誰なんだ?」


 ミロワは額に拳をつけて、誰だったっけ名前、名前とブツブツ呟いてから思い出したようで、ポンと拍手をした。


「アルなんとか……アルテミシアだっけ?いるじゃん、ほらニフルハイムのお屋敷に」


「誰だよそれ!?あ、アルフラウ様の事か!あんなに幼い子にそんな力があるというのか!?というか、子供を巻き込んでいい話じゃないぞ、これはどう考えても」


「そんなこと言われてもなー」


 ミロワは、じゃあ諦める?と言ってきたので、ヴォルフラムは慌ててそれを否定した。

 

「まぁ、いいんじゃない。鏡の向こうの世界に逃げたら、もう会うことは無いんだし。気にしたら負けだよ」


「気にしたら負け……か。なるほど、僕はまだ覚悟が足りないようだ。アンネリーゼを救う為に全てを敵に回してもいいという覚悟が足りなかった。アルフラウ様の力をお借りしよう」


 ミロワはヴォルフラムの言葉に満足そうに頷くと、腕を組み彼の顔を上目遣いで見詰めた。


「そうするといいよ。アルフラウって子とは、俺が話してみるから。同類だから仲良くしてくれるかも知れないし」


「同類?ミロワとアルフラウ様に何の共通点が?」


「あー、こっちの話だから気にしないで。マナの方は確保できるとして、対価の方はどうする?昔どこかの世界に飛ぼうとした金持の貴族の爺ちゃんは、家の財宝を全部引き換えにしてたかな」


「対価か……分かった。僕が命と同じぐらい大事にしているものを捧げるよ」


 ヴォルフラムは頷くと、鞄の中に入った譜面を取り出しテーブルの上に並べた。


「……この紙束は何?」


 ミロワは不思議そうに譜面を覗き込んで、首を傾げた。


「あはは、ただの紙束では無くてね、これは呪歌の譜面だよ。演奏する事で聞くものに魔法の効果を与えるんだ。例えば、眠らせたり、怖がらせたりできる」


「聞いたらみんな踊り出すのもあるのかな。楽しそうだね」


 ミロワの言葉に頷いたヴォルフラムは、さらに鞄の中にある黒い封書に仕舞ってある譜面をテーブルの前に広げた。


「これは僕がまだ公表した事のない譜面なんだけど……人の心を支配したり寿命を奪ったりする効果を持つ呪歌だ。これを含めて、僕の歌をすべて対価に捧げよう」


「よく分からないけど、凄いものなんだね。きっとそれなら上手くいくよ」


 ミロワは立ち上がると、移送鏡トランスポーターの裏に回ってごそごそと何かいじり始めた。暫くすると戻って来て、ヴォルフラムに笑いかけてきた。


「じゃあが住める世界へ、俺が責任をもって協力するよ」


「……ああ、よろしく頼む。頼りにしているよ、ミロワ」


 ヴォルフラムが手をかざすとミロワも頷き、手を差し出して握手をしながら腕をぶんぶんと振り回した。

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