忘却2

 アルフラウ様のお世話は、ベッドメイキングや部屋の掃除。

 食事の準備は他の侍女たちが用意したものを毒見する程度で、私が予測していたよりは困難なものでは無く、むしろ庭先の手入れの労力に比べたら易しいものだった。

 運ばれてくる食事の量は、普通の大人の男が食べる三人前ほどあったが、それを軽く平らげる胃袋と、まったく太る様子の無い華奢な身体はどうやって保たれているのか、今でも解明できていない私の中の謎である。


 働いているうちに仕事の内容より気になった点は、アルフラウ様が唯一の肉親であるオリフラム様以外の人間に、

 アルフラウ様の侍女たちへの反応は誰に対してもまったく同じで、食事担当の侍女が風邪で寝込んで休んだ時も代理の者が来た事にすら気づきもしなかった。

 それは、日々身の周りの世話をしている私に対しても同じことであり、表面上は快く接してはくれるものの、朝に部屋を訪れる時にはまるで初めて出会った時のように名前を聞くところから始めなければいけなかった。

 私の実家に住む祖母も記憶が曖昧になって、晩のご飯を食べた事を覚えていない事があったが、その症状にアルフラウ様はよく似ていた。

 ただし、部屋にある物への執着は異常なほどで、置き場所がわずかに違っていても彼女はすぐに気が付いた。

 特に書物に対しての管理に関しては驚くほどで、すべての本が本棚の何処にあるのか完全に把握しているようだった。

 そのため、アルフラウ様の部屋の掃除には細心の注意を払わねばならず、他の侍女達の手伝いも躊躇ためらわれる程だった。

 ただ、壁に掛けられた時計の針がずっと動いていないので、螺子を回そうと外した時に動かさなくても良いと命じられた時には流石に首を傾げざるをえなかった。

 賢者サヴァンとは偏った部分にその才能を発揮すると聞く。

 アルフラウ様もそのような人種であると私は認識し、理解する事に努めた。


 

 アルフラウ様が他人に興味を示さない理由は、彼女の性格のせいではないという真実を知ったのは、彼女が熱を出して寝込んだ時の事だった。

 その日は、グランツ王国の南部を治める四伯、ペールギュント領のカイゼル様が行方不明であるフレースヴェルグ伯の詳細について伺うために急遽ニフルハイム荘園を訪れ、オリフラム様は突然の来客の対応に大忙しだった。


「来るなら来るって前もって言ってくれ!こっちだって準備があるんだからな!」


 屋敷にやって来たカイゼル伯爵の側近、若布わかめ騎士団副隊長レビーとは面識があるようでオリフラム様は彼に強く抗議した。


「おや、連絡したつもりでしたが。いやぁ、うっかりしていました」


 悪びれた様子もなく、頭をかきながらヘラヘラと答える彼に、私も少なからず苛立ちを覚えた。

 アルフラウ様とカイゼル伯爵との会談は、謁見の間において昼よリ始まり、アルフラウ様は昼食を満足にとる事もできずに会談へと臨んだ。

 私は万が一に備えて、アルフラウ様の側に控えるようオリフラム様に命じられたため、彼らの会談を傍聴する形となった。

 カイゼル伯爵とフレースヴェルグ伯爵は、幾度となく同じ戦場を駆け抜けた戦友であったらしく、彼はフレースヴェルグ伯の生存を信じて疑わなかった。

 オリフラム様が捜索隊の結果を報告しても、その報告は虚偽で自らが捜索隊を再結成して北へ向かうと言って聞かなかった。

 それを宥めて分かり易いように説明するアルフラウ様に対しても、カイゼル伯爵は懐疑的だった。


「ふん!フレースヴェルグを殺したのは、実はお前達ではないのか?」


 仕舞にはアルフラウ様とオリフラム様を責め始める始末で、その怒りは暫らく冷めやらなかった。


「カイゼル殿、そう怒らないでください。フレースヴェルグ殿が居なくなって、むしろニフルハイムは繁栄しているようじゃないですか」


 カイゼル伯爵の側近や、彼の長女であるアーシア嬢も宥める事に尽力したが、若布わかめ騎士団のレビーの迂闊な一言は、カイゼル伯爵の怒りに火を注ぐ結果となった。

 お陰でカイゼル伯爵の怒りが収まる頃には既に日が傾き、夕刻を過ぎていた。

 カイゼル伯爵との対談の後、晩餐会が開かれる予定であったが、アルフラウ様は軽い目眩を起こして倒れそうになっていたため、オリフラム様と私で慌ててその身を支えた。


「アル、大丈夫?カイゼル殿との晩餐は、僕の方から出席できないって断っておくからあとは部屋でゆっくり休んで」


 オリフラム様はそう言うと、私にアルフラウ様の看病を命じて謁見の間を後にした。


「ごめんなさいね、ミリィ。すこし目眩がしてしまって、少し横になれば良くなると思うから」


「やはり昼食を抜いたのがいけませんでしたか。カイゼル殿もアルフラウ様が昼食を終えてから来てくれれば良かったですね」


 アルフラウ様は私の返事に弱々しく微笑んだが、その顔色はいつもの白を通り越して蒼白に近くなっていた。


「アルフラウ様、無礼をお許しください」


 私はそう言うと、アルフラウ様を抱き上げて速やかに彼女の部屋へと向かった。

 アルフラウ様の身体は子供のように軽く、魂が抜けた身体は軽くなるというニフルハイムの伝承をふと思いだし、脳裏に死神の影が過ったが不穏な気持ちを私は必死に振り払った。

 彼女をベッドに寝かせた後、部屋に向かう途中で仲間の侍女に頼んでおいた氷水で氷嚢を用意し、額に乗せた冷えたタオルを頻繁に交換した。

 幸い、あまり汗はあまりかいていない様だったので、寝間着だけを用意して着替えを手伝った。

 アルフラウ様は私の看病する様子をじっと見詰めていたので、精一杯の笑顔で励ましの言葉をかけた。


「晩餐会が終わりましたら、オリフラム様もいらっしゃるでしょう。あまりご心配なさらず、ゆっくりお休みください」


 彼女は小さく頷くと、私に手を差し出してきたので、その手を両手で優しく握り返した。


「ありがとう、ミリィ。今日は私のそばに居てくれますか?少し心細くて」


 アルフラウ様の言葉に私は頷き、彼女が眠りにつくまでその手をずっと握り続けていた。


「アルは疲れて眠ってしまったんだね。でも、大丈夫そうで安心したよ。ありがとう、ミリィ」


 カイゼル伯爵との晩餐が終わり、部屋に駆けつけたオリフラム様はアルフラウ様の健やかな寝顔を見詰め、ほっと胸をなでおろした様子だった。


「僕はカイゼル殿達の就寝の準備に戻るけど、ミリィはここに居てくれるかな?姉さんに何かあったらやっぱり心配だから」


「分かりました。元よりアルフラウ様の看病をするつもりでしたので、問題ありません。後はお任せください」


 オリフラム様は笑顔で応え、眠っているアルフラウ様の頬を優しく撫でると、部屋を後にした。

 私はアルフラウ様の大事に備え、結局一睡もすることなく朝まで看病に努めるのだった。







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