石壁に囲まれた薄暗い部屋。

 赤いローブを身に纏った男は書物を書き終え一息つくと、部屋の真ん中にある水槽に視線を移した。

 水槽の周りでは煩雑に置かれた器具を気にする様子もなく、二人の少女が緑色の培養液に満たされた水槽を物珍しそうに眺めていた。


「二人とも水槽を眺めるのはいいが、周りの器具に触れて怪我をしないようにな。器具は簡単に直るが怪我はすぐには治らん」


 男が少し注意を促すと、二人とも素直に頷いた。

 少女の一人は水槽の中に人影を見つけると、食い入るように覗き込んだ。


「ねぇ、シオン。この子は誰?水槽で眠っているけど、寒くないの?」


 白い髪に白い肌の女の子は、ガーネットのように紅い瞳を耀かせながら、赤いローブの男に尋ねた。


「アルフラウ……その水槽にあまり刺激を与えてはいけない。その娘はまだ調教が終わっていないから、目を醒ましたら何を仕出かすかわからない。」


 男の不用心な言葉は白い髪の少女、アルフラウの気分を害するのに十分だった。

 真紅の瞳は真っ直ぐに赤いローブの男に向けられ、その頬は感情の昂りを現わすように仄かに紅潮していった。


「調教?この子は獣じゃないよね?どうしてそんなひどいこと言うの?」


 男はバツが悪そうに机を立つと、少女たちの眺める水槽に向かった。

 水槽のそばで興奮するアルの髪を優しく撫でると、なだめるように静かな口調でシオンは言った。


「ああ、言葉が足りなかった。調教というのは調律と教育の略なんだが。

 この子はまだ環境に耐えうる免疫力を持っていない。昔のアルフラウと同じように。そして、まだ何も知らないし、何も覚えていない全くの白紙。つまりは赤ん坊と同じだ」


 シオンの言葉に納得したのかアルフラウは黙ってうなずき、また水槽の中の少女に視線を戻した。

 もう一人の少女もアルフラウに倣うように水槽の中に映る人影を見つめていたが、やがて何かに気がついたのか、シオンの袖を軽く引っ張り注意を向けた。


「この子さ……なんか僕に似てる気がするんだけど、どうして?」


 黒髪の少女、オリフラムの言葉にシオンは淡々とした口調で答えた。


「この娘の素体は、身体能力に優れた個体を選んだからな。オリフラムに似ているのは仕方ない」


 男の言葉に驚いて、オリフラムは水槽の中の少女を確かめるように見つめた。

 確かに鏡に映る自分のように似ている身体がそこにはあった。

 ただ、水槽の中の培養液の所為で髪や肌の色までは詳しく見ることはできなかったが、自分と明らかに異なる点。

 オリフラムは一瞬それを言うのを躊躇ったが、やはり聞いておかないと納得ができないのでシオンに問うことにした。


「確かに、色々な技術を教えて貰う代わりに、僕の身体を検体に使うことは承諾したけど。なんで、この子さ……僕より胸があるのさ?」


「そりゃ、胸が大きい方がいいだろう」


 シオンはあくびれた様子もなく、さらりとオリフラムに言った。

 男の言葉に不機嫌になっオリフラムは、水槽の中の少女を睨みながら吐き捨てるように呟いた。


「……その言い方が気持ち悪い」


 機嫌を損ねたオリフラムに気付いたアルフラウは、彼女の背中から覆いかぶさるように抱きついた。


「オリフゥと同じなの?それなら、この子ともお友達になれる?」


 無邪気な笑顔で尋ねるアルフラウに、男は苦笑しながら首を振って答えた。


「まぁ、無理だろう。この娘の病気が感染したらアルは身体が弱いから、耐えられないかもしれないしな。」


 アルフラウはオリフラムの背中にぶら下がったまま、水槽の少女を見つめて首を傾げた。


「生まれたばかりなのに病気なの?早く良くなるといいね。お友達になりたいのに」


 シオンは水槽の少女が戦闘用に作られた魔導兵器だとアルフラウに説明しようと思ったが、その答えはまたアルフラウの機嫌を損ねそうなので思いとどまった。


「良くなるか、良くならないかはこの娘次第だな……それに、この娘はもうすぐ此処を発つ。友達になることは出来ないだろう」


 アルフラウは場違いなほどに屈託の無い微笑を浮かべ、何かの確信があるかのようにシオンに言った。


「でも、また逢えるって信じてる」


「そうだな……遭えるかもしれないな」


 水槽の中の少女がそれまで生きていればの話だが……とシオンは心の中で付加えた。


「アルがお友達になんかなる必要ない!こんな得体のしれないやつ!」


 オリフラムは、アルフラウの気を惹く水槽の中の少女を忌々しく睨みつけた。

 アルフラウは抱きついたまま、オリフラムの顔に頬を寄せて優しく囁いた。


「うん?オリフゥは私とずっと一緒だよ。怒っちゃだめ……ね」


 水槽の少女への嫉妬を見透かされたオリフラムは、少し照れながら水槽から視線を逸らした。


「怒ってなんか……ないよ、別に」


 仲が悪いんじゃなかったのか、この姉妹。

 シオンが首を傾げながら二人を見つめていると、大人しくなったオリフラムからようやく離れたアルフラウがシオンの元へやってきた。


「ねぇ、シオン。この娘の名前は何ていうの?」


 上目遣いで首を傾げるアルフラウを、シオンは無意識に髪を撫でていた。


「名前か……考えてもいなかったな。コードネームはあるのだが。イナーティア……」


 シオンの言葉を遮るように、シオンの口元にアルフラウの人差し指が触れた。


「コードネームなんてかわいそう。じゃあ、私が付けてあげる!」


 アルフラウは深呼吸をすると、中空に指をなぞりながら、見えない何かに語りかけた。


「……言霊達よ、真名と共に彼女に祝福を与えよ」


 アルフラウの身体に刻まれた秘文ルーンが刺青のように浮かび上がる。

 場に強力なマナが収束されていくのが目に見えてしまうシオンは、少女の安易な行動に動揺してしまう。

 彼女の言葉に呼応するかのように、何処からかともなく光が集い、水槽の中の少女を包み込んだ。


「アルフラウ。さっき迂闊にこの子に干渉するなって言ったはずだが……まぁ、起こさないようには注意してくれ」


 言霊ルーンの詠唱中に集中を乱すことは、魔力の暴走を伴う。

 もはや、詠唱に入ったアルフラウを止める手段はシオンにはなく、その行為を大人しく見守るしかなかった。


「Ther……分かった。ねぇ、シオン。この子の名前はティア。光の言霊達が、この子の事を護ってくれるって約束してくれたよ!」


 嬉しそうにはしゃぐアルフラウの健気さを、シオンは少し羨ましく思えた。

 自分自身がマナの媒体になっているアルフラウが万が一にでも詠唱をしくじると、暴走した魔力はそのまま己に返ってくる。

 それが強い言霊であればあるほど、危険度は跳ね上がる。

 もしも詠唱に失敗したなら、身体の一部が吹き飛ぶか……それこそ、この一帯を巻き込んでの暴発すら可能性としては考えられる。

 アルフラウには、言霊ルーンを操れる絶対の自信があるのだろう。

 このマナの枯れた土地で、息をするように魔術を使う。

 同じ人間としてこれが出来たなら、恐らく嫉妬でしか彼女を見ることができなかったが、幸い彼女は人では無い。


「そうか……良かったな」


 特に気の利いた言葉が見つからなかったので、シオンはアルフラウの髪を優しく撫でて誤魔化した。

 オリフラムは小さな光の粒に包まれた水槽の中の少女を黙って見つめていたが、その少女が少し微笑んでいるように見えた。


「ティア、ね……この子とは絶対に仲良くなれる気がしないんだけど」


「大丈夫だ、仲良くなる必要もない。因みに言っておくが、これからもオリフの細胞を使って少女達を作る予定だから、いちいち気にする事もないぞ」


 シオンにいつの間にかあだ名で呼ばれたオリフラムは、それだけでも腹が立ったが自分の分身をこれからも作ると宣言するシオンの感性を疑った。


「大体、なんでそんな事するのさ……悪趣味すぎてついていけない」


「それは至極単純な理由だな。研究費を稼ぐために商品を売らなければ始まらない。それとも何か?ニフルハイムの資産で研究の支援でもしてくれるのか?」


 シオンとオリフラムはしばらく見つめ合って、オリフラムが目を逸らした。


「……いや、それは非常に良くない。シオンの趣味はシオンの出来る範囲でやってくれ。あと、方舟アルカ探しとか夢見物語すぎて、僕にはそこはついていけないから」


「賢明な判断だな。将来いい領主になれるぞオリフ」


 シオンはまた余計な一言を言った。


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