流れゆく風

 ニフルハイム伯爵領は、グランツ王国の北限に位置する極寒の地。

 数々の戦場で功績を重ね「霜の巨人」と恐れられた父、フレースヴェルグ=ニフルハイム。

 彼を筆頭に、武勇に優れたニフルハイムの親族達は各荘園を治めている。

 なかでも従弟にあたるマクダフ子爵は、先のムスペルヘイム帝国との大戦においても功績を上げた実力者だった。

 マクダフは白子アルビノで病弱な姉を武家に相応しくないと罵り、ニフルハイム家に存在しない紫の目を持って生まれた私を不義の子と蔑んだ。

 子爵は、私たち姉妹を後継ぎとして相応しくないとニフルハイムの諸侯に呼び掛け、自らが伯爵を継ぐべきだと主張していた。

 事実、武勲で名を馳せたニフルハイム家を継ぐには姉、アルフラウはあまりにも病弱であったし、私は父に瞳の色が理由で不義の疑いをかけられていた。

 親族達の風評もマクダフを後継ぎにするべきではと囁かれ始め、そろそろ十五歳になる姉のアルフラウはマクダフの息子に嫁ぐべきだという声も上がっていると聞く。

 マクダフの露骨な態度は日に日に顕著になっていったが、まだまだ頑健で世継ぎを暫く考える必要が無かった父上は、マクダフの野心をそれほど気に留めてはいなかった。


 そんな時期の私の十三歳の誕生日。

 父に生まれてきたことを望まれた訳でもなく、親族達にも疎まれ続けた私にとって誕生日はそれほど嬉しいものでは無い。

 それでも紛いなりにも誕生日は祝ってくれるらしく、今回は客人を呼んで盛大にパーティが行われることになった。

 もっとも私の誕生日を祝うのは建前で、今回はグランツの王女と王子がニフルハイム領に訪れる事となり、彼らの歓迎会を開くついでに私の誕生日も祝おうというのが本音だった。

 夕刻が迫ると、私は誕生日をお祝いに来た物好きな王族を迎えるために動き辛い豪華なドレスに着替えさせられ、誕生パーティの会場であるホールへと向かう事となった。

 付き添いが居なければ満足に歩けない長いスカートのお陰で、普段は長い距離では無いホールまでの道も今宵限りはとても遠く感じられた。


「オリフラム様、裾を踏み付けて、転倒なさらないようにお気を付けください」


 付き人が後ろでスカートの裾を持ち上げながら、注意を呼び掛ける。

 飾り立てられることに不慣れな私は、憂鬱な気分になり溜息をついた。

 

「気を付けろって言ったって、こんなに足元にスカートが纏わりついたら……マトモに歩ける方がどうかしてる」


 顔だけ振り返り、付き人にそう愚痴を呟く。

 付き人はスカートを持ったまま苦笑しながら黙って頷いていたが、不意にその表情が険しくなった。


「お嬢様!前、危ない!避けてーっ!」


 何が起こったのか把握した訳ではないが、背後に殺気を感じたので咄嗟に身を伏せる。

 しゃがみ込んで振り返る私の頭上を、黒尽くめの男が突き出す短剣の刃が掠めた。


「誰かぁ!誰かぁ!オリフラムお嬢様が……」


 大声で叫びながら逃げ出す付き人の背中に、男の投げた短剣が突き刺さる。

 あっ、という悲鳴とともに付き人は倒れこむとピクリとも動かなくなった。


 ―暗殺者アサシン

 要人を歴史の表舞台から消し去るため、殺人技術を専門的に磨け上げた刺客。

 噂に聞いた事があるが、それなりの地位に居ないと送られることのない刺客が私の元に現れるとは思ってもみなかった。


「くそっ!今日はまったく最悪の日だっ!」


 通路を逃げまどい必死に叫ぶ私を、短剣を持った黒尽くめの男は獲物を追い詰める狩人のように歩み寄る。

 剣技なら騎士道流を嗜んではいるが、このような行事での武器の携帯が許されるのは宮廷護身流の細身の剣ぐらいなものだ。

 今日に至っては王族との社交場に出向く途中であったため、護身の短剣ですら身に帯びていない。

 対して男の短剣の刃は何かの液体に濡れ、不気味な紫色の光を放っていた。

 恐らくは毒。傷つけられるだけで、私は刃に塗られた毒で死に至るのだろう。

 そんな予測のせいで注意が散漫になったのか、スカートの裾を自分の足で踏みつけて躓き、転がるように床に倒れ込んだ。

 膝を擦りむいたり、肩を打ったりしたが転倒の痛みより、後ろから迫る刺客の恐怖の方が先だった。

 必死に立ち上ろうと片膝をついた私の頭上には、既に男の構えた短剣の刃先があった。


「貴様っ!マクダフの手先か!」


 そう叫ぶ間もなく私の頭は壁に叩きつけられる。

 わずかに意識が遠のき、気がついた時。

 喉元には、男の構えた短剣が突き付けられていた。


「……恨むなら生まれてきた己を呪え」


 絶体絶命。走馬灯のように今までの記憶が蘇える。

 なんだか悲惨な人生だったが、このような形で終りを迎えるとはつくづく運が無い。

 誕生日に死ぬとか皮肉すぎる人生だった……今度生まれ変わる時は、かわいい猫になりたい。


「時間だ……お前の信じる何かに祈れ。一撃で楽に死なせ……」


 男はそう言い掛け、口から血を吐き短剣を落とした。

 呆然とした私は事のなりを暫く見詰めていると、男の胸元から剣が生えてきた。

 私の白いドレスが刺客の血潮で染った。


「いぁ、すまん。せっかくおめかししたのに、ドレスを汚してしまったな」


 倒れこむ刺客の後ろには、青白い光を放つ剣を携えた茶髪の男が立っていた。

 男は刺客の胸元から剣を引き抜いて鞘におさめた後、しゃがんだままの私に手を差し伸べてきた。

 刺客は一撃で絶命したらしく、床に倒れたまま全く動かない。

 私が男の差し出した手を握ると、男はいとも簡単に私の身体を持ち上げて抱き上げた。


「なっ!?触るな馬鹿……あっ!」


 慌てて叫んだ言葉が命の恩人にあまりに失礼だったので、慌てて口をつぐむ。


「じゃ……なくて、ありがとう。って、歩けるからっ!大丈夫っ!」


 お姫様抱っこなど生まれて初めての経験で、腰とか足に見知らぬ男の手が触れているだけでも恥ずかしい。

 こんな事態の後だというのに、気持ちが舞い上がっている自分が情けない。

 そんな私の抵抗に構う事なく、男は片手で抱き上げたまま私の膝に手を伸ばしてきた。


「何が大丈夫なんだ。膝、擦りむいてるじゃないか。怪我人は素直に抱かれてろってな」


 私が暴れるのを無視し、男はニヤリと不敵に笑って一言付け加えた。


「それに、今日はお前の特別な日なんだろ?」


 男が私の誕生日を知っていたことに驚いた。

 これほどの腕前なのに、私はこの男を屋敷で見かけたことが無い。

 肌の色からしても、言葉のイントネーションからしてもニフルハイム人では無いようだった。

 彼の着込んでいる鎧はニフルハイムで使われているものと違っていたし、さっきの剣も仄かに青い光を放つ不思議な剣だった。

 何より、私をこんな気安く触ってくる輩が領内にいるとは思えない。


「馬鹿、は訂正する。助けてくれて、ありがとう。僕の名前はオリフラム。お前は一体……何者なんだ?」


 男は私の頭を軽くポンと叩いて、爽やかな笑顔で私に言った。


「なに、礼には及ばない。俺が通りかかったのも偶然、お前が助かったのも偶然ってな。すべては風のただの気紛れさ」


 その言葉で、私は「四つの風」と呼ばれる剣士達の名が浮かんだ。

霜の巨人フロストジャイアント」こと父、フレースヴェルグ。

巨人の鉄槌ティターンハンマー」南のカイゼル=ペールギュント伯

黒壁フォートレス」西のヴァイン=ロングソード伯

 そして、グランツ王国親衛隊「白羽根騎士団」隊長、「聖剣せいけん」サウス=ウインド。


「あなた、若しかして……白羽根騎士団の隊長?」


 私の質問に男は「さぁ?」と軽く流して答えなかった。

 私を抱きかかえたまま、男は治療所に向かって通路を歩き始めた。


「さっきお前が襲われた時、マクダフって言ってただろう?何か身に覚えがあるのか?」


 私は確信はないが、今までに起った領内の出来事を彼に説明した。

 自分が狙われる可能性のある理由として、マクダフの名が真っ先に浮かんだという事も話した。

 彼は歩きながら相槌をうち、私の話を真剣に聞きいてくれた。

 やがて治療所に到着すると、彼は治療師達に事情を説明した。

 治療師達に私を託すと、男は私に言い聞かせるように耳元で囁いた。


「ここまで来れば大丈夫だろ?まぁ、気に已むな。あとの事は俺に任せておけ」


 親指を立て笑顔で立ち去ろうとする男に、私は治癒士達に連れられながら叫んだ。


「無茶だ!マクダフは子爵だぞ!?お前が如何に地位が高いって言っても、ニフルハイム領では……っうあ」


 そういい掛けた私に男はつかつかと歩み寄り、軽くおでこを指先で弾いた。


「だから言ったろ、だって。俺の好き勝手にやることだ。何の問題も無い」


「気まぐれって……無茶な。いや、信じてはいるけど……でも」


 そう言いながらも、彼なら何とかしてくれるような気がする自分の気持ちに驚いていた。

 仮に何とかなったとして、私は彼にどうお礼を言えばいいのだろう。


「お前……いや、あなたに逢いたくなったら、どうすればいい?」


 私の問いに男は苦笑したあと、踵を返して振り返らずに言った。


「さぁて……な。俺は気紛れだからなぁ。如何すればいいのかは風にでも聞いてくれ」


「ならば私は風を追う!あなたにまた逢えるように!」


 私は精一杯の声で、後姿が小さくなる命の恩人に叫んだ。

 男は振り返ることは無く、手の平だけを軽く振りながら治療室を出ていくのだった。



 治療室で転んだ怪我を癒し、汚れたドレスを着替え直した私は、今度は護衛付きでホールに向かった。

 第一王子クロークス=グランツは待ちくたびれた顔を隠すことなく、不機嫌な態度で私に挨拶をした。


「オリフラム、誕生日おめでとう。随分おめかしに時間が掛ったようだが」


 王子の皮肉を込めた言葉は少し角がたったが、待たせた私にも非があるのは仕方ない。

 事情は詳しく説明しなかったが、待たせてしまった事を素直に謝った。

 クロークス王子は美形で剣の腕も立つとの噂だが、高飛車な態度が私にとってはどうしても鼻につく。

 あまりこの人とは仲良くはなれそうにないなと、心の中で呟いた。

 少しクロークス王子と離れた場所にエレア王女が他の貴族達と話していたので、私はそちらの方へと足を進めた。

 第一王女のエレア=グランツは私に気づくと周りに軽く声を掛けた後、すぐに此方に駆け寄ってきた。

 王女は、心底私の誕生日を喜び、私の両手を握って笑顔で賛辞の言葉を並べ立てた。


「オリフラムさん、お誕生日おめでとう!今度は私の誕生日にも是非いらしてくださいね」


 あまりの彼女の笑顔に、誕生日が彼女の為に行われたのではないかと錯覚するほどだった。

 彼女のはしゃぎようは、久々の旅行できっと陽気になっているのだと私の中で納得した。

 エレア王女は私の不穏な噂を耳にしていないのか、一緒の席で食事をしながらニフルハイム領の様子について親しげに訪ねてきた。

 そんな話の中、時折彼女は周囲を見回し誰かを探しているように見えた。

 少し私は気になって、エレア王女に尋ねる事にした。


「あの、誰かお探しですか?姉は体調が芳しくないので、残念ですけど今日のパーティには出られないと申しておりましたが」


 私の言葉に、エレア王女は困ったように眼を伏せ、首を振って言った。


「ううん、違うの。アルフラウさんに会えないのも残念だけど、一緒に着いて居てくれるって言ってた人がね……居ないから。面白いひとだから、オリフラムさんにも紹介しようって思っていたのに」


「面白いひと……誰ですかね。気になりますが」


「ええとね、親衛隊の隊長さんなんです。面白いんですよ!色んなところで冒険した話とか……人柄も良くて!」


 それからエレア王女は、彼から聞いた冒険談を私にずっと話して聞かせたが、彼はパーティが終わるまで姿を現さなかった。

 私に出会ったばかりで気さくに、親しげに話をしてくれるこの王女様は、きっと挫折なんて知らない幸せな世界だけを見て暮らしているのだろうなと、羨ましく思うのだった。


「もう……サウスったら、何処に行ってしまったのでしょうね。気まぐれにも程があります。後でしっかり、お説教いたしませんと」

 

 頬を膨らませるエレア王女を、事情を察している私は愛想笑いをしながら「まぁまぁ」と宥めるのだった。



 ―後日、マクダフ=ニフルハイムが何者かに討たれ、父フレースヴェルグの差し金では無いかと周囲に噂されたが、まだ幼い姉や私に疑いが向けられることは無かった。

 には感謝しつつ、真実は私の心の闇にずっと仕舞って置くことにした。

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