禊
―わずかに痛む胸の痛みと何かの圧し掛かる息苦しさに、私は目を覚ました。
「……ここは?」
ベッドで眠っていたらしい私は、少し身を起してあたりを見回す。
部屋はそれほど大きくなく、窓一つ無い白い壁と天井。
ずっと圧し掛かっていたモノは、傍で椅子に座りながら健やかな寝息をたてて眠るアルフラウだった。
わずかに痛む胸には包帯が巻かれ、血の滲みがないところをみると傷口はそれなりに塞がっているようだった。
「……アルが手当てをしてくれたのか」
私は傍らで眠るアルにそっと手を伸ばして、その髪を優しく撫でた。
ふと、部屋の扉が開き、誰かが入ってくる足音がした。
扉の方に目をやると、そこに居たのは赤いローブを纏った金髪碧眼の中年ぐらいの男。
私は少し身を起したまま、男を怪しげに見つめながらアルの身体を手元に抱き寄せた。
「気がついたか。まったく……くだらない手間をかけさせる」
赤いローブの男は溜息をついて、近くの壁に寄り掛かりながら私を見定めるように眺めていた。
「手間って……僕はお前なんて知らないし、お前に何かしてもらった覚えも無い」
私の言葉に、男は更に溜息をついて首を振った。
「覚えが無くとも、お前の傷を手当をしたのは私なんだが。
だいたい、アルフラウが発狂しそうなほどに泣いて頼むから仕方なしに……だ。
それでなければ、お前みたいな生意気な小僧など助けるものか」
いろいろ言いたいことはあるが、今は戦う気力も体力ない。
男が味方であるなら、彼の機嫌を損ねるのは好ましくないだろう。
だが、さすがに勘違いされたままでは癪なのでくぎを刺しておく事にした。
「……とりあえず、助けてもらった礼は言っておく。あと、僕は女だからな……一応」
金髪の魔術師は驚いたようにアルフラウと私を見比べると、何かに納得するように頷いて言った。
「姉には似なかったという事か。なるほどな」
「どういう意味だっ!ってか、じろじろ見てから納得するなっ!痛ッ……」
大声で叫んだ所為か、胸の痛みが深くなり言葉に詰まる。
自分でやった怪我とはいえ、どう考えても致命傷だった傷だ。
男がなんらかの治療手段を用いたとしても、直ぐに治るような状態ではなかったということだろう。
改めて包帯の上から傷跡をなぞると、抉られた痕がしっかりと残っているのが分かった。
「殺す気で放った一撃だったのは、自分自身で理解できるな?
生きているだけ幸いと思ったほうがいい。まぁ、フロストロードの対策に反射をアルフラウに事前にかけておいて正解だったが」
赤いローブの男は、自慢げに人差し指を額に当てながら微笑んだ。
彼の言い草からすれば、アルには本当に反射がかかっていたらしい。
自分の行った行動は手を滑らせた失敗に見せかけた自刃だったのだが、万が一に姉に攻撃をしたとしても、結果は変わらなかったという事になる。
「ははは……ほんとうに馬鹿だな。僕は」
自虐気味に笑う私を、シオンは何を今さらという目で見つめていた。
こいつ、口を滑らせて「まったくだな」って、絶対言おうとしていた。
「……で、アルをそこまで支援しているお前は一体何者なんだ?」
私の質問に男は、待ってましたとばかりにローブを翻して答えた。
「フッ、私の名はシオン・シフェル。赤き
フロストロード達の千年の祈りのよって創られた
俺自身はフロストロードでは無いが、高位の魔術師同士が引き寄せられる……なんかそういう感じのアレだ。お前には分かるまい」
そんな曖昧な感覚が分かる筈ないだろう。
もしかして、この男は賢いのかもしれないけど人に物を教えるのが下手なタイプなのでは?
私が何か質問するよりも早く、シオンと名乗る魔術師は矢継ぎ早に喋り続けた。
「とは言っても、アルフラウに蓄積された膨大なマナが破綻せずにここまでやってこれたのは、お前の存在が大きかったことは否めない。
まぁ、よくやったと言っておこう……アルフラウが彼らの儀式を黙って受け入れたのは、お前の勧めがあってこそ」
シオンの言葉にはっとなり、傍らのアルの頬に触れる。
姉の肌の柔らかさはいつもと変わらなかったが、その頬は温もりをまったく持っていなかった。
自分のついてきた嘘が、アルを人ではない何かに変えてしまったという事実。
「お前を老人共から解放するために、アルは自らマナの固定化の道……完全な
何かと口煩いフロストロードの一掃も、多少の誤差はあれど私の計画通りだったのだよ。ふっ、流石だな……私は」
前髪を軽くかき上げ、勝ち誇った様にシオンは言った。
褒めて欲しいような期待の視線を私に向けるが、私の心はそんな言葉を掛けられる余裕など無かった。
「……私の所為で」
言葉にならない衝動と共に、とめどなく涙が溢れ出る。
自らの望みで私は、私を愛してくれる人を喪った。
後悔も、懺悔も、目の前の事象には何の意味をなさない。
「アルフラウがただの人として衰弱して死んで行く方が、フロストロードにとって……いや、私にとっても痛手だったのだ。
お前は良いように役に立ってくれたよ。マナの固定化が為された今でも、アルフラウがお前に依存しないと感情が安定しないのは問題なのだが」
シオンの言葉に私は答えず、温もりをもたずに眠る姉を抱きしめていた。
「……ん、良かった。オリフゥ……生きていてくれたんだね」
いつの間にか目を覚ました姉は、いつもと変わらぬ優しい声で私を見つめ微笑んでいた。
「姉さん、僕はどう償えばいい?どうすれば赦してくれる?僕は……どうしたらいいのか分からないよ」
咽び泣く私の頬に、姉の伸ばした手がそっと触れる。
「泣かないで、オリフゥ。もう、オリフゥをいじめる悪い人達は居ないんだよ……ね。泣かないで?」
バツが悪そうに頭をかきながら天井を見上げるシオン。
泣きやまない私をアルは不安そうな目で見詰めながら、わずかに痛む胸の傷に手をあてた。
「キズ……まだ痛いの?言霊達にお願いして、ちゃんと治してあげるから、もう泣かないで……ね?」
アルが何かの魔法を詠唱しようとするのを、私は手を握って止めさせた。
「ありがとう……でも、いいの。このキズは、僕がアルの為に自分でつけたものだから。僕が……私がアルへの想いを忘れないように、ずっと残しておくよ」
不思議そうな顔でしばらく私を見つめたアルは、やがて眼を瞑り静かに「ウン」と頷いた。
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