魔導人形

「おかしい……何の連絡もないって、どういう事だ」


 プルシタールの言っていた最後のが行われた日からすでに一日が過ぎた。

 アルフラウが帰って来ない事は勿論承知していたが、フロストロードの使者から何らかの連絡があってもよい頃合だ。


 深夜の寒空の下、薄暗い雲を眺めながらテラスでずっと使者が現われるのを待ったが、日が昇らずとも時は徐々に明け方に近づきつつあった。


「儀式で何かあったのか……妙な胸騒ぎがする」


 私は踵を返し、すぐさま部屋で支度を整えると騎乗海豹アザラシに跨り、フロストロードの住む蒼氷の塔へと向かった。

 相変わらず空は厚い雲に覆われていて視界は良好ではなかったが、雪が吹雪かなかったお陰で、到着予定より早く蒼氷の塔へ着く事ができた。

 私は海豹アザラシのゴマーを入り口の前で待たせ、塔の扉に手をかけよう入り口に向かって歩いた。

 然し、私の手が触れる前に重い音をたてながら扉が静かに開いていった。

 まるで私を誘うかのように。


「僕が此処に来る事を待っていた……のか」


 誰に問う訳でもなく私は呟いた。

 やや警戒しながらも塔の内部に足を踏み入れると、頭の中で誰かの呼んでいる声が聞響くのを感じる。


「プルシタールが僕の心に直接話しかけてきている?

 そんな魔術があるのなら、伝令に使えばいいのに……聞こえる範囲が狭いのかな」


 私は呼ぶ声に誘われるように、塔の奥へと歩みを進める。

 ふと気が付くと、目の前には地下へと続く階段の前に立っていた。

 塔なのに地下に降りる事に違和感を感じたが、儀式が行われた場所が地下なのかもしれない。

 頭に響く声の導きに従って誘われるように、先が全く見えない真っ暗な階段を足元を確かめつつもゆっくりと降りていった。

 塔の中の灯ぐらい、魔術で何とかならないものなのだろうか。

 千人も住んでいる魔術師の一人にすら、ここまでの道のりで出会っていないのも気にかかる。

 それでも、この声に呼ばれなければ何も知ることはできない事だけは、何となく分かっていた。


 どれぐらい歩いてきたのかは分からないが、ようやく階段の終わりまで辿りついた私の前に巨大な空間が広がっているのを感じた。

 視界は相変わらず真っ暗に近く、目が慣れてきたとはいえあまり良好といえる状況ではなかった。


「ここが儀式の間なのか……こんなに暗いならランタンを持ってくれば良かったな。足元が全然見えな……」


 足元で異物を踏んだような感触。

 驚いて違う場所に飛び退いたが、また同じような……弾力のある何かを踏んだような感覚。

 湧き上がる恐怖感に声を出して叫びそうになったが、直ぐに我に返った私は、喉まで出掛かった悲鳴を抑え込んだ。

 もし、凶悪な何かが此処に居たとしたら自分の居場所を知らせるようなものだ。

 心の奥から湧き上がる恐怖が鎮まっていくと同時に、何が起っているかを確かめたい衝動が私を突き動かしはじめた。

 まだあの声は止まない……誰かが私を呼んでいる声がまだ頭の中に響いている。

 私はそれを確かめなければならない……と。


 不快な感触の足場を踏み越えて先へと進むと、淡い光を放つ人影のようなものが祭壇にぽつりと座っているが見えてきた。

 その人影を見た瞬間、再び恐怖が湧き上がってくるのを感じていたが、恐怖を抑えこみながら、私は正体を確かめる為にゆっくりと歩み寄った。


「ああ、オリフゥ……待ってたんだよ。ずっと呼んでも来ないから……すごく寂しかった」


 人影が発した聞き覚えのある声。

 その声は間違いなく姉、アルフラウのものだった。

 何が起ったのか全く理解できない状況だったが、途轍もなく危険な状況であると私の意識が警告を鳴らし始めた。

 然し、湧き上がる恐怖に支配され身体は金縛りにあったように動けない。

 そんな私の事はお構い無しに、微笑みを浮かべながら祭壇から降りて歩み寄るアルフラウ。

 ただ一点、いつもの姉と違う点があった。

 それは、姉の額に刻まれた記号の様なものが放つ淡い光。

 一糸も纏わない白い身体の手首や足首、所々に記号のような文字が刻まれ、それらが全て淡い光を放っていた。

 魔術の知識に疎い私でも、何らかの……恐らく強力な魔術が彼女の身を包んでいるような雰囲気を、あからさまに感じる私の中の違和感から察する事ができる。


 アルフラウの身体から放たれる淡い光に照らされた足元を見ると、今までの嫌な感触をした床の正体が、折り重なるように倒れて動かないフロストロードの達の屍の山だったと理解した。

 およそ千人も居た優秀な魔導士が羽虫の様に折り重なって死んでいるという事実。

 この異常な事態の中で、いつもの様に微笑みながら近づいてくるアルフラウに、一体何を言えば自分の命が助かるのか想像がつかなかった。

 嘘で連ねた偽りの言葉を彼女の為に紡ごうとしても言葉にならない。

 既に私の喉は張り付いた様に乾き、唾を飲み込むことすら出来なくなっていた。


「ね、姉さん……何をしたの?」


 擦れながら辛うじて紡いだ言葉。

 その刹那、自分の発した言葉の迂闊さを呪った。

 では無く……と聞くべきった。

 私はフロストロード達を殺めたのは姉だと言う事を、もう理解してしまっていた。

 しかし、蒼氷の塔達が姉にしてきた酷い行為を私がのだ。


「うん?あのね……プルシタール達が私の事を苛めるから。お返しをしたんだよ」


 いつものような屈託の無い笑顔で笑顔で答えるアルフラウ。

 祭壇に視線を移すと、暗闇ながらプルシタールの死体も無造作に転がっているのが見えた。



「私の事を殺そうとしてたんだよ……だからね、言ったの。


 殺そうとしたから、殺した。

 虫も殺さない様な顔をして、姉は当たり前のようにそう言った。

 そんな簡単な一言だけでこれだけの魔術師を殺める事ができるものなのか?

 確かに、アルフラウからそういう類のを聞いたことは今までに一度もない。

 アルフラウが魔術の中でも特異な言霊師ルーンマスターだとは聞いた事だけはあるが、大いなる言葉パワーワードで己は傷つくことなく、これだけの魔術師を外傷もなく一瞬で屠ることができる力を持つことに呆然とした。


 これは本当に私の知っているアルフラウなのか?

 儀式によって作り変えられたアルフラウとは違うなにかなのか?


 そして、今の言葉は私にも向けられた言葉でもある。

 高位の魔術師ですら成す術もなく確実に訪れる死。

 姉は既に計画のすべてを知ってしまったのかもしれない。

 恐怖なのか魔法なのか、頭の中が痺れるように意識が擦れ、平静を装おうと姉を抱きしめようとしたが、束縛の鎖から解き放たれた魔道人形エキュオスを目の前にして、身体の震えがまったく止らなかった。



「でもね、もう痛い思いはしなくていいんだよ……だって、私に酷いことする人はもう居ないんだもの」


 儀式が成功したのか成功していないのかは知らないが、アルフラウはこうして生きている。

 つまりフロストロードの綿密な計画は、たった一人の少女の手によって終焉を迎えた。

 それは同時に私の野望も潰えた事も意味した。


 終わった……もうすべて終わってしまった。

 突如訪れた絶望に私の頭は真っ白になった。


 ……いやまて。

 さっき姉から紡がれた言葉を私は思い出した。

 酷いことをする人が

 私がここにのに?

 若しかして……まだ理解してないのかこいつは。

 少しだけ震えがおさまり、私の口元に思わず笑みが浮かぶ。


 そうか……ならばこのまま嘘を紡ごう。姉を消すのはいつでもできる……私が生きている限り。


「ねぇ、オリフゥ。もう、我慢しなくたっていいんだよ?オリフゥの事はすべてってるんだから……ね」


 アルフラウは私を見上げて微笑みながらそう言った。

 っているだと?いったい何を?

 一瞬、アルフラウの言葉を理解する事ができなかったが、直ぐ言葉の真意を知った。

 彼女は優れた資質を持つ魔術師なのだ。

 私の心を読むことなんて容易い事にどうして気付かなかったのか。

 上辺の嘘など、最初から彼女には見透かされていたのだ。


 ならば、何故私は!?

 姉はどうして笑顔を向けられるのだ!?

 其れほどまでに私をと言う事か!?


「ふざけるなっ!お前に僕の何が分かるんだ!僕はお前を見離したんだぞ!」


 怒りとも恐怖とも分からない衝動がこみ上げ、堪らず私はアルフラウを突き放して怒鳴りつけた。

 すこし、きょとんとした表情で私を見詰めるアルフラウ。


 然し、直ぐに彼女はいつもの微笑で……場違いなぐらいに優しく私に両手を差し出しながら囁いた。


「見離してなんか無いよ……オリフゥはいつも私のそばに居てくれたもの」


 はぁ、何を言っているんだ……こいつは。

 好きで居たくて一緒に居た訳じゃない。

 それすらも察せないのか愚鈍め。

 さっきまで抱いていた姉への恐怖は急速に萎え、代わりに苛立ちが込み上げてきた。

 もういい、茶番は沢山だ。

 ここでアルフラウをせば結果は同じだ。


 私はいつの間にか動ける様になった身体の変化に気が付きもせずに、腰元の短剣を手に取り彼女の胸元に振りかざす。

 目の前に短剣を振りかざされたアルフラウの表情から流石に笑顔が消えた。

 しかし、その視線はずっと私に向けられたままで、みじろきもせず黙ったまま私の言葉を待っているように見えた。


「さよなら……姉さん」


 本当の私を知らぬまま死に逝きたいなら、躊躇はしない。

 消えてしまえ!

 

 短剣の鋭い刃を抉るように胸元に突き立てた。


 


 ―飛び散る鮮血。

 生温かい真紅の飛沫。

 アルフラウの白い肌が、赤いドレスを纏ったかのように赤く染まる。

 ……と、同時に私の身体は糸の切れた人形に様に崩れ落ちた。


「オリフゥ!?どうしてっ!?死んじゃやだぁぁぁぁ!!!!」


 泣き叫びながら崩れ落ちる私の身体を抱きしめるアルフラウ。

 姉の心臓めがけて突き立てた短剣は、自らの胸に深々と突き刺さり私の命を



 ……いや、解ってる。

 消え去りたいのは自分だった。

 周りから疎まれて生きなければいけない世界。

 何も信じられない愚かな自分。

 自分を愛せない惨めな私。

 アルは綺麗な世界を見たまま生きればいい。

 私はもう、嫌な自分に耐えられない。


「ははっ、最後の最後で……しくじったな。

 まさか殺意が自分に反射するなんてさ……僕らしい終わり方だね」


 優しく髪を撫でながら。


 最後の嘘を最愛の姉、アルフラウについた。

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