月下の密約

 北の極寒の地であるニフルハイムの空は太陽が顔を見せる事が滅多になく、一年の殆どを薄暗い雲の下で過ごした。


 特に、雲一つ無い星空を見る機会に恵まれる事は稀で、姉と私は星空の見える日には必ずテラスから星を眺めるのが習慣になっていた。

 姉は星空の点を繋ぎ合わせて線を作り、本で読んだ妖精や動物にそれを当てはめて名前を付けた。

 様々な色や大きさで夜空に光る星の輝きは、私にとっても興味の対象にはなったが、法則性の無い夜空の星を勝手に繋ぎ合わせて名前を付ける姉の行為には何の興味も無かった。

 名前を付けた星々達に物語を作って楽しそうに話す姉の言葉に、私は表面上では頷き話を合わせていたが、心の中では幼稚な姉の無意味な所行を嘲笑っていた。




 ―空が薄暗い雲に覆われたある日の夜。

 姉や家臣達が寝静まったの待つと、私はベットを静かに抜け出して傍らにあったランタンに光を灯し、真っ暗なテラスへと向かった。

 テラスに着いた私は、今朝に伝令から貰った手紙の通りランタンを消し、約束の相手が現われるのをじっと待った。

 ふと、目の前の暗闇が収束するのが見えたかと思うと闇はやがて人の形を成し、ローブに身を包んだ初老の魔術師の姿となった。


「こんな場所に呼び出して、僕に話したい事とは何だ。プルシタール」


 私の言葉にフロストロードの長、プルシタールは仰々しく礼をすると落ち着いた低い声で私に語りかけた。


「はい。あなたの姉、アルフラウ様の事でお話が……少々」


 暗闇の中で彼の表情を窺い知ることは出来なかったが、時折吹く冷たい風の中に微かに彼の喉から漏れる邪悪な笑い声が聞こえたような気がした。


「―マナ異性体エキュオス?」


 まったく聞きなれない言葉。

 元々魔術に疎い私は、魔術師の専門用語等を知る筈がない。

 私はオウム返しに彼の言葉を返し、黙ってこの老人の説明を待つしかなかった。

 そういった駆け引きが楽しいのかプルシタールの声は少し高くなり、小さい子供に言い聞かせるようにゆっくりと話し始めた。


「……はい。マナ異性体エキュオスと申しまして、アルフラウ様は人間というより、マナの結晶体に近い存在なのです。それが偶然、人の形を持っただけの事。

 ニフルハイム家の女性は魔術に長けると云われますのは、この地に集う魔術の根源であるマナによって人の形を成したエキュオスが、ニフルハイム家の系譜にいらっしゃった……という証明なのです」


 人の形をしただけの、マナで作られたもの。そう云われてすんなり理解できる訳がない。

 混乱する頭を冷静に整理しようとするが、あまりの唐突な話に私の心は空に浮いたように不安定になっていた。

 ただ、彼の言った言葉が真実だとすると、姉は人間ではないと言う事になる。

 私はできる限りの思考を巡らせて、確かめるようにプルシタールに尋ねた。


「え、姉さんは人間じゃないって事?お母様の子……でもないという事なのか?」


 ようやく暗闇になれた私の目は、初老の老人の表情を微かに伺う事ができるようになった。

 喉の奥から搾り出すような含みのある引き笑いで、長い白髭をしごくプルシタール。

 不思議な力を用いる魔術師には元々陰険な印象を持っていたが、この男と話すとその思いがさらに募るのを感じてしまう。


「いえ。隔世遺伝ゆえ母胎は貴女の母上に間違いはありません。ただ、あなたの御父上……フレースヴェルグ伯の血を継いでいるかどうかは保証いたしかねますが」


 代々、ニフルハイム家の女系は証として赤い目を持って生まれる。

 その瞳には魔力を宿すと噂され、それを証明するかのようにニフルハイム家の女性は魔術師としての才を持つ。

 アルフラウの目はまるで赤い宝石ルビーのようだと、皆に言われる由縁が分かったような気がした。

 私の左目も確かに赤いが、もう片方の目は紫色だった。

 産まれた私の紫の目を見た母は狼狽し、そのまま衰弱して亡くなられたと聞く。

 父親から直接は云われたことは無いものの、私が不義の子なのではないかという噂は家臣はおろか街中にさえも広まっている事ぐらい知っていた。


「……僕がお父様の血を引いていないと親族から噂されているのは、プルシタールも承知のはずだろう。姉がもしマナ異性体エキュオスというものだったとしても僕の立場は変わらない。今までと同じように接するまでだ」


 そう答えた私に、プルシタールは溜息をつき苦笑いをする。

 何が可笑しいのか。

 そう叫びそうになったが、今にも私に語り始める初老の魔術師の言葉を遮る訳にはいかないと冷静に心を落ち着かせた。


「単刀直入に申し上げます。オリフラム様、をしましょう」


 魔術師の言葉に背筋が凍るのを感じる。

 言葉だけでも人の心を操ることができる魔術があるのだろうか。

 魔術だとしたら惑わされぬよう、私は浮つく意識を落ち着かせるように集中した。


「アルフラウ様が進んで検体になってくれるようにあなたは仕向けてください。

 それならあなたの御父上も我々の研究を不審に思いますまい。

 彼女は我々が求めていた貴重な高級魔術品アーティファクトです。

 我々にアルフラウ様を任せて頂けませんでしょうか。そうすれば、あなたは黙って次の領主の地位が手に入事ができるでしょう。その為の支援もお任せください……如何ですか、悪い話ではありますまい?」


 プルシタールは私の答を確信するかように、陰気な笑顔で手を差し出して握手を求めた。


「何を馬鹿な……いくら僕だって―」


 そういいかけふと、彼の笑みの意味を察した。

 どのような手段を用いたのかは知らないが、私の心にずっと燻っているアルフラウに対する暗闇をこの男は知っているようだ。

 私は自嘲気味に笑いながら俯き、利き手を差し出した。


「……何もかもお見通しって事か」


「ええ、さすが私の見込んだお方ですな。理解が早くて助かります」


 白髭の魔術師は握手をした手に力を込め、言葉を続けた。


「私も事を荒立てて、ニフルハイム家の支援を失いたいとまでは思ってませぬゆえ。オリフラム様、ニフルハイムの繁栄と我々フロストロードの計画の為に共に手を取り合いましょう」


 悪魔の囁き。

 魔術には長けるものの脆弱で疎ましい姉が消えて、傀儡とはいえ確実な地位の保証とフロストロードという後ろ盾パトロンも得ることができる。

 悪くない話だとおもった。そもそもプルシタールに私がノーと言う事の危険性だって理解していた。

 もし断れば、消される事になるのはだと。

 これは私が生き残る為の必要悪だ。姉はどうせ治療師達の治癒の甲斐も無く死ぬだけの存在。

 勝手に死んでゆくものを憂う必要など何もない。

 そう心に言い聞かせて、私は頷いて言った。

 ―ひとつだけ皮肉を込めて。


「分かった。取引を飲もう。どうせ嫌だといった所でお前達の事だ、実力行使で姉さまを手に入れるだろう。僕にとっても条件は悪くない。

 僕の事を良く思わない連中を片付けられるのなら利が無い訳ではないしな……僕の地位など、お前達にとっては


「そう、ご自分を卑下する事はありませんぞ。私は貴女だからこの取引を持ち出したのです。それでは、アルフラウ様の件……よろしく頼みますぞ。

おっと、この事はもちろんご内密にお願いいたします。もっとも、こんな事が知れ渡れば寧ろオリフラム様の命の方が危ういでしょうが」


 そういうと、予定調和の交渉に満足したプルシタールは邪悪な笑みを浮かべたまま暗闇と共に消え去った。


 既に誰も居ないテラス。

 厚い雲に覆われた空を見上げ、卑しい自分を自嘲しつつ私は呟いた。


「―分かってる。使えるものであれば悪魔でも使うさ」



 


 






 …ねぇ…て…る?




「ねぇ、聞いてるのオリフゥ?風が強くなってきたから、戻ろうよ。もう、お星様も暗闇の雲に呑まれちゃったよ?」


 私の袖を引き、凍えながら何度も呼ぶアルフラウの言葉にはっと、我にかえる。


「あぁ、ごめんね。姉さん……少し考え事してたみたい」


 心配そうに見上げる姉の髪を優しく撫でながら、私はいつもの笑みを返した。


「うん、いいよ。その代わり今日はオリフゥと一緒に寝てもいいよね?」


 そう言って私の胸に飛び込む姉のあまりにも無警戒な仕草。


 お前は神にでも護られているのか。


 人形の分際で人の様に振舞うな。


 湧き上がる悪意の衝動に駆られて叫びそうになる心を抑え、口を紡ぐ。


 ―落ち着け、何を恐れる。

 もう少しだけ嘘をつけば、彼女はこの世界から消える。

 いつも通りでいい、アルフラウへの執念を彼女に覚られるな。


 私は一つ深呼吸をして笑顔で頷くと、壊れそうなほど華奢な人形をできるだけ優しく抱き寄せた。

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