第3話 『彼』のお話

 要するにも何も、ワタナベくんの言うとおり、彼には人の心がわかるらしい。


 それは心の声、言葉ということではなく、聞き取るということではなく、ただ、わかる。


「そのままそっくり、聞こえてくるってわけじゃないんだよね。色というか、音というか。ほら、みんなだって顔色を窺ってその人の機嫌を見たり、何となく、ああ、今あいつ怒ってるな、楽しんでんなあとかわかったりするでしょ。つまりそういうこと」

「ぜんぜんわかんない」


 ワタナベくんは、ふう、やれやれ見たいな顔をした。お手上げだぜっみたいなジェスチャーも交えていたので余計腹立つ。ご立腹だよ。


「感情や人柄って外側に現れるって言うじゃない?偏見かもだけど、卑怯なやつとかってどこか顔が似てたりするじゃん。人は外見じゃない、内面だ。なんて胡散臭い美徳を平気で論じてるやつもいるわけだけど、その方が都合よく聞こえるし、僕もそうであってほしいとは思うけどさ」

 ワタナベくんは少し寂しそうな顔をした。


「……だけど僕から言わせてもらうと、あれは逆なんだよ。内面を映し出すものが外見なんだ。表裏一体なんだよ」


「……ワタナベくん、結構ひん曲がってるんだね」

「えーひどいね、初めての会話なのに手厳しい。ちょちょ切れるぜ」

 言葉とは裏腹に、口角を上げうれしそうな顔。


「失望した?話さないほうがよかった?」

 すると今度は言葉通り、少し、緊張の面持ち。


「うーん、そうかもね」

 そう言うと、ワタナベ君の顔が少し曇った気がした。


「私のささやかな女子脳が、ラブロマンス的なのを求めてたのかもしれない。窓の外を眺める、薄幸少年に恋をする、みたいに」

「薄幸て。ひどい妄想じゃないか」

「でも柄じゃなかったみたい」そう言ってなぜか少し、心が軽くなった気がした。


「ワタナベくんと話すことができたのは、正解だったと思う。人間くさくて、好印象といったところかな」

「お褒めの言葉、どうもありがとう。上からなのが多少解せないけどね」

 ワタナベくんはほっと胸をなでおろしたように見えた。


 高校生になって、どうも私は知らず知らずのうちに変わってしまっていたようだ。

 男の子のような性格も、言動もすべて押し殺し、その結果として、自分を偽ってしまったツケとして、私は私でなくなってしまった。

 人は時とともに変わる生き物だし、今の私ももちろん、私ではあるのだが、この寂しさに対する救いを、ワタナベくんに求めていなかったとも言い切れない。


 だから、期待していたワタナベくん像は綺麗さっぱり、ポイ。


「前にも――高校に入る前のことだけど、何人か仲良くなった人にこの話しをしたんだけどね。……期待はもちろんしてなかったけど。やっぱり受け入れてもらえなかったよ。君は引かないんだね」

「そうね、ちょっと心当たりがあったりもなかったり……」

 ごにょごにょと、視線をそらす。


「深くは聞かないよ」そう言うとワタナベくんはお冷をちょっと口に含ませる。


「お話は終わったかい?」

 ……この突然聞こえた野太い声質は、どなたのものだろう。

 声の主は、店主だった。


「後のお客さんがつかえてるんだ、おふたりさん。食べ終わったら悪いが、席あけてくれねえか?」ぶっきらぼうな口調ではあるが、別段怒った様子ではないようだ。


「すみません、すぐに」

 ワタナベくんはそう言うと、すっと立ち上がり、ごちそうさまと厨房に声をかけ出口へと向かった。

 私も慌ててごちそうさまと言いつつ席をあとにする。好きなものは最後に食べる派の私は、丼に残った煮卵とメンマのことを思い、明日食べなおしに来ようと誓った。


「……じゃあまた来週、学校で」

「……うん。また、学校で」


 今日のワタナベくんとの初会話は唐突で、イレギュラーなものだったから、次は普通に話せるのだろうか。

 だけど……だけど、来週の月曜日、彼と話せることが嬉しくて、私は帰路についた。

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