先程から喚いているドロシーには、恐らく聞こえていないだろう。

 あの特徴的な、金属を打ち付けるような足音が、確かに耳に届いていた。こびりついた幻聴ではない。確かに空気を振動させて、ミランダの耳朶を打っているのだ。

 終わってなんかいなかった。

「何も感じていないっての!? 隊長が死んだのに! あんたは!!」

 ドロシーに強く揺さぶられ、ようやく我に返る。

「なにか言いなさいって!!」

「居る」

 逆に彼女の肩を掴み直し、ミランダは言った。

「まだ、生きてる」

「誰が!」

「バケモノが」

「は?」

 あんたは何を言ってるんだ。彼女の心の声が、聞こえてくるかのようだった。

 しかし――冷水を被せられて冷静さを取り戻した彼女も、ようやく気づいたのだろう。変わらずに鳴り続ける、あの足音に。

 ジャックの仮説が間違っていたのだろうか。あるいは、逃げ出した幹部社員の中にアイツを目視した者が紛れていたのだろうか。きっと真実は永久に闇の中なのだろう。とにかく、とにかくとにかくとにかく、今この場に留まっていても、きっと何もできないのだろう。独特の掘削音が、鳴り始めた。

 どうしたらいい?

 ドロシーが、その存外に小さな口を開く。

「……逃げよう。この場を」

 走った。叫んだ。神様なんて、居ないから。

 解錠方法がわからない。スカーレットの拳銃で鍵を壊し、隠し扉を蹴り開ける。

 今は考える時間が欲しい。掘削音とは真逆の方向へひた走る。走った先は、確か……作業用ポッドの発着場だ。

「何か思いつく?」

 道中。ドロシーの問いに、ミランダは首を横に振るしかできなかった。

「全然、何も」

「だと思った」

 勝ち誇ったように、彼女は言う。

「アタシは、一つだけ。賭けみたいなもんだけど」

 彼女は……ドロシーは私なんかよりよほど優れた人間だ。周囲に気を配って助けに入ることができるし、機転が利くし積極的に意見する事もできる。それに比べて私はどうだ。相変わらず陰気で、劣等感ばかりを積み重ねて……。このまま彼女を見返してやることなんて、できないかもしれない。

 掘削音が近い。進路を変更したのだろう。ギリギリで、発着場に辿り着いた。

 酷いものだ。

 先客が居たらしく、そこは荒れ果てていた。資材が倒れ、いくつかのポッドが死体と共に転がっている。

「クッ……」

 歯噛みしたドロシーが周囲を見渡す。それから何かに気づいたらしく、一目散に駆け出した。這いつくばって身を縮め、瓦礫の下に潜り込む。

「あんたも手伝って!」

 言われるがまま、ミランダも瓦礫を持ち上げた。二人の力で退かされた瓦礫の下から、大量の爆薬――万が一の際デブリの破砕に使うものだ――が姿を現した。

「こいつで……船外にブチ飛ばす」

 不敵な笑みを浮かべたドロシーは、しかし次の瞬間にはフラフラと膝をついていた。見れば、スーツの背中に赤い染みが広がっている。傷口が開いたのだ。

「その傷――」

 しゃがみこんだミランダを押しのけ、彼女は再び立ち上がる。

「アタシがやる。あんたは合図でハッチを開けて」

「無茶でしょ。すごく痛いんじゃないの?」

「痛いけど……あんたには任せられないから!」

 意地を張ったドロシーが叫ぶと共に、背後の壁が吹き飛んだ。

 バケモノが、いよいよその姿を現す。

 異様な姿だった。

 ぶよぶよとした軟体動物を思わせる表皮。筒のような胴体は完全に貫通していて、覗き込めば向こう側が見渡せるかも知れない。不定形に寄った同じ材質のようなもので、人間の左手のような形をしたものが右に五本、左に八本。大小様々なそれは付け根すらも対称性を欠いているが、それでもなおカーボンの床をしっかりと踏みしめている。目視できる範囲に目や耳、鼻を想起させるものはない。しかし特筆すべきは異形ではなくその質感だろう。

 言い知れない違和感があった。

 どのように形容すればいいのだろうか。その表皮には明らかに光源とズレた影が落ちていて、まるでそこだけ違う写真を貼り付けたかのように見える。ジャックがアレを別次元の物体だと断じた理由が、なんとなく理解できた。

 意図があってのことなのか、そもそもアレに意識はあるのか。ゆっくり、ゆっくりと近づいてくる。全部で十三本の足を不規則に動かし、少しづつ距離が詰まっていく。背後を見る。ドロシーが緩慢な動きで爆薬を並べていた。手伝うか? いいや、間に合わない。時間を、稼がないと――

「……あれだ」

 ポッドに紛れ、資材運搬用のアシストスーツが地面に投げ出されている。あいつはちょっとした重機だ。バケモノに肉弾戦を仕掛けられるかもしれない。

 しかし扱い方は講習会で習ったきりだ。免許があるぐらいなのだから、そう簡単なものでもない。ミランダの持っている免許も、船内での一部活動に限定された簡易的な資格だ。十全に扱えることを保証できるものではないし、なにより必要なのは実際の知識と経験だ。そのどれも、ミランダには欠けていた。

 だが――

「ちょ、何を」

 ドロシーの静止を振り切り、ミランダは走る。スーツの各所に設けられたハードポイントを、アシストスーツに接続。共通規格なので、ここまではスムーズにできた。

 次だ。

 電源は自動で入る。しかし力が入らない。確か、起動直後はセーブモードだった、ような。とにかく出力を上げなければ。

 バケモノはドロシーを狙っているらしい。魔の手が刻一刻と迫っている。

 彼女が叫んだ。

「右手の甲! 共通パス!!」

 右手のタッチパネルに共通パスワードを入力。中空に制御画面が投影された。フルパワー機動。アームがよろめく。

「電力充填! コンデンサ開放!」

「うるさいなあ!」

 言われなくてもわかってる。今思い出した。コマンドを入力。アシストスーツの全身に電力が行き渡る。これで、動く。

「間に合え!!」

 ダッシュ。力強い走りがカーボンを踏みしめる。アシストスーツを合わせた全体重をかけて、タックル!!

 轟音。軟体からは想像もできない鈍い音を立てて、バケモノは吹き飛んだ。

「行ける……これなら!」

 ゴロゴロと転がった化け物は、ひっくり返ったかと思えば手足の向きを逆さにしてそのまま立ち上がる。天地の概念が存在しないらしい。

 もう一回。ミランダは雄叫びをあげる。

「くたばりな!」

 足を踏み鳴らし接敵。保護具の一部を破壊されながらも、その土手っ腹を蹴り上げた。こいつのリーチとパワーがあれば、なんとかギリギリ戦える。

 息も絶え絶えにバケモノを見やると、十三本の足が大地を踏み鳴らしていた。存外に重い体当たりがミランダを襲う。

「左のレバー!!」

 叫ぶドロシー。導かれるように左のレバーを倒すと、アシストスーツの背中からアウトリガーが展開した。刹那、衝撃――ガリガリと床を削り、壁際ギリギリまで後退する。

 タックルを模倣された。それに桁違いの質量だ。たかだか二メートル程度のチクワモドキが、こんな質量を持っているとは思えなかった。

 いや、しかし――

「よしっ、準備完了!」

 叫ぶドロシー。ミランダはアシストスーツのリミッターを解除した。これだけは、覚えていたのだ。

「どこに飛ばす!?」

「バツ印!! 今ハッチを開くから!!」

 ほんの短い言葉を交わし、バケモノを鷲掴みにする。アームの先が崩れていく。構うものか。そのまま爆薬の山に押し込んでいく。

「これを!」

 ドロシーが放り投げたヘルメットをギリギリでキャッチ。後方のシャッターが閉鎖され、減圧が始まる。

 ハッチが開くまでは三十秒ほど。たったそれだけの時間が、まるで永遠のように感じられた。

 遂に開かれた宇宙。ミランダはアシストスーツを脱ぎ捨てた。

 ドロシーがなにか叫ぶと共に、満載された爆薬が弾け飛んだ。

 バケモノがアシストスーツの破片と共に冷たい宇宙に放り出される。ぼんやりと漂うぶよぶよとした物体は、無重力の中を充てもなくさまよう。



 本当にそうだろうか。

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