Ⅴ
受け止めはしたが、そこまでの因果関係がまるで理解できなかった。
ドスドスと金属を踏みしめる音が響く。スカーレットが小さく悲鳴を上げた。ヤバイヤバイヤバイヤバイ。
競うようにコントトールルームを飛び出し、スカーレットと合流する。戦いの中で右の肘から先とコイルガンを失った彼女は、押さえた傷口から赤々とした血液を垂れ流していた。
「隊長! その傷は――」
取り乱すドロシーに、スカーレットはあくまで冷静に告げる。
「なんてことはないさ。それよりどこに逃げる」
「それなら私のラボがあります!」
言うなりジャックは立ち止まり、おもむろに壁を殴った。するとどうだ、壁の一部が動き出し、新たな道が生まれたではないか。四人が飛び込むと、再び壁が動いて入り口を塞いだ。その直後に、重苦しい足音が通過する。ギリギリで助かったらしい。
……今まで、足音なんてしていたか?
※
ジャックのラボでは、様々な生物の標本が飾られていた。ホルマリン漬け……というのだろうか。赤い照明に彩られた前時代的な生体標本は、生気を失っていながらも、今にも動き出しそうな独特の存在感を纏っている。
「まずは照明を復旧させましょう」
ジャックがコンソールを操作すると、赤い非常灯から通常の白い照明に切り替わった。電源ラインを切り替えたのだろうか?
明るさを取り戻した部屋で、彼女は言う。
「結論から申し上げましょう。恐らくあのバケモノは、我々の法則に存在する生物ではありません」
ドロシーに応急処置を施されながら、スカーレットが異を唱える。
「宇宙生物の類ではないのか?」
宇宙は広い。まだまだ未知のナニカがいくらでも存在するだろう。人類はこの宇宙でも古参の部類ではあるが……それを凌駕する生物が存在しても、なんら不思議な事ではない。ただただ、今まで遭遇しなかっただけで。
しかしジャックは首を横に振る。
「ありえない。確かに宇宙生物の中には、我々地球の生命体とは組成の異なるものも居ます。中にはあのような特異な形態を持つ生命体も居ます。しかし、あのバケモノは……ありえない」
強い語調で彼女は言う。
「あのプレス機は正常に動作し、内包した物体を完全に破壊しました。映像には映っていませんでしたが……。でも、スカーレットさんは見ていますよね?」
スカーレットは力強く頷いた。
「ああ。間違いなく放り込んだ」
「しかし結果は無傷。既存の生命体では……いえ、この宇宙に存在するどのような物体でもありえません」
いや、しかし。
「プレス盤を壊してた可能性は?」
ミランダが口を挟むと、それをドロシーが否定した。
「少しでも破損があればエラーになる。でも、そうはならなかった」
ジャックが続ける。
「それに……あのバケモノには熱量が存在していません」
そこで一度言葉を切った彼女に、スカーレットが続きを促す。
「それで……何者なんだ」
彼女は必死だった。相手の正体を知らなければ、対処もできない。場当たり的な行動では、何も改善しなかったように。
「ここからは私の仮説になります」
ミランダは固唾を飲み込んだ。彼女の言葉を、ただただ待つ。
「あれは恐らく……他の次元からこちらに干渉しているのでしょう」
「異次元存在ってこと?」
ドロシーの言葉に、ジャックは頷いた。
「はい。短い時間ですが、私の集めたデータと……艦内の計器が指し示したもの。その全てが、あれがこの次元に存在する物体ではないことを示唆しています」
スカーレットは結論を急いだ。
「それで、どうすればいいんだ」
軽快な語り口を維持していたジャックだが、ここにきて初めて言い難そうに口ごもった。その様子を見て、ミランダは背筋を蝕む悪寒を覚えた。
「なにもできない……ってこと?」
しかし彼女はおずおずと否定する。
「いえ、そういうわけでは……ありません。ですが……」
「なんでもいい。早く教えてくれ」
促され、観念したように口を開く。
「……あのバケモノは、こちらの認識を糧にこの次元に存在しています。私が正体を確信した途端に、足音を鳴らし始めたように……こちらの認識に依存して、存在を確立しているのです。つまり」
ほんの小さな呼吸を挟み、彼女は言った。
「あれの存在を深く認知している――姿かたちを認識している人間が消えれば、その認識と共に消滅します」
それはつまり。
「俺と……お前か」
「はい。私達が死ねば、この次元での存在を確立できずに消滅するでしょう」
確かにミランダはあのバケモノを目視していない。姿形を認識していないということは、存在を確信できていないということだ。この目で見ていない以上、実はこれまでの出来事がドッキリだったと言われれば納得してしまう。話の流れからすると、ドロシーも同様に目視していないのだろう。
当の本人であるドロシーが叫んだ。
「待って! 二人が死んでも、アタシ達以外に目撃者が居たら――」
「もうこの船に生存者は居ない。シグナルが全部途絶えた」
「それじゃあ脱出ポッド! もうアイツ倒すの諦めて、逃げ出しちゃえば――」
「駄目だ。もう、全部使われている。いの一番に幹部社員が逃げ出したんだ」
諦念の篭った瞳で左腕のブレスレットを眺め、スカーレットは言う。
「この悪夢を終わらせるんだ。お前達は……現実に帰れ」
彼女はホルスターから拳銃を引き抜いた。するとジャックが震える手を挙げる。
「お先……いいですか?」
「構わない」
拳銃を手に取り、ジャックは瞑目した。セーフティを解除し、引き金に指をかける。……その指先が、にわかに震え出した。
「……やっぱり、嫌。死にたくないです」
力なく拳銃を取り落とし、震える肩を両手で押さえる。
「嫌です。やだ。言わなきゃ良かった。こんなの死ぬしかないじゃないですか。嫌なのに。まだやりたいこといっぱいあったのに。嫌です。嫌。絶対に嫌。私は死にたくなんかない。まだやりたいこともいっぱいあったのに。どうして私が死ななきゃならないんですか!? どうして!!」
泣きわめくジャックに、スカーレットが銃口を突きつけた。
遠く、壁の外側から、足音が響く。
「すまない。この船の暫定最高権力者として……生存者は一人でも多く確保しないといけないんだ」
旧時代の遺物である火薬が、この場に似つかわしくないほど美しい火花を散らす。
それは、消えゆく命の輝きのようでもあった。
目を見開いたまま、ジャックが倒れた。頭から鮮血を垂れ流し、ピクリとも動かない。銃口から漂う煙を吹き飛ばしたスカーレットは、今度こそとばかりに瞼を下ろした。
「少し無責任かもしれないが……後は任せた」
「隊長!」
「じゃあな」
撃鉄が落ちる。
火薬の弾ける音。弾丸が骨や肉を貫く音。約八十キログラムの肉の塊が、地面に崩れ落ちる音。
それを最後に、船内はたんと静かになった。
誰も、何も言わなかった。
やり遂げた達成感も、生き残った安心感も、かけがえのない仲間を喪った喪失感もない。ただただ虚無感だけが、ミランダの胸中に渦巻いていた。
「何か……言ってみなさいよ」
最初に口を開いたのはドロシーだ。
「何か、言いなさいって言ってんの!!」
煩いな。耳障りだ。落ち着けよ。言葉にするのは簡単だったが、ミランダは何も言わなかった。
耳をすませば、あの足音が聞こえてくるようで。
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