Ⅱ
「だ、誰!?」
咄嗟に足音の方向へと振り向く。人間だ。血の気が引いて青白くなった男が、おぼつかない足取りでこちらへと向かってきていた。右へ左へ、不規則に歩みを進めながら、こちらに視線を向ける。
「い、生きてる? 大丈夫な、人?」
ついに壁にもたれかかった彼は、ミランダの顔を見て少しだけ態度を軟化させた。震える声で、絞り出すように言う。
「よかった、僕以外、みんな死んじゃったのかと思った……」
「死んじゃった? って? 一体、どういう……」
彼がその疑問に答えるよりも先に、もう一人の影が飛び込んできた。
「下がれ! 奴が来るぞ!」
プラチナブロンドを短くまとめた女性が、鬼のような形相で両手にコイルガンを構えて叫ぶ。
「早く!」
「は、はい!」
ミランダは無我夢中で駆け出した。コイルガンの女性――彼女のことは知っている。機動隊長のスカーレットだ――に追い立てられるように、走る。
背後から、男の悲鳴が聞こえてきた。先程の彼が逃げ遅れていたのだ。思わず立ち止まってしまいそうなところで、強く背中を叩かれる。
「振り向くな! 走れ!」
スカーレットに促されるまま、ミランダはとにかく走り続けた。ミーティングルームに飛び込むと、何もしていないのにシャッターが下りた。息も絶え絶えに辺りを見回すと、白衣を着た女性がコンソールに触れている。一心地ついたところで、彼女はこう言った。
「いや間に合って良かったですよ。生き残りは一人でも多い方がいい」
特徴的なしゃがれ声でそう言った彼女は、確か……研究部のジャック・イクリプスだ。どこか能天気な調子で、ジャックは言う。
「しかもあなたはスカーレット隊長。本当、心強い限りですよ」
「買い被るな。俺だってあいつには手も足も出なかった。逃げるのだけで精一杯だ」
スカーレットがそこまで言うのだ。直面している危機というものは、それほどまでのものなのだろう。多分、もう知らないでは済まされないのだ。意を決して、ミランダは手を挙げた。
「その……すいません。一体、何があったんですか……?」
何者かが宇宙船内に現れて、阿鼻叫喚の大騒ぎになった……そこまでは、なんとなくわかる。しかしその何者かが、一体なんなのか。人間なのかどうかすら、ミランダにはわからなかった。
軽口を叩くように、スカーレットは言う。
「見てのとおりだ。バケモノが現れて、阿鼻叫喚の地獄絵図。俺が居ながらこのザマだよ」
「バケモノ……っていうのは……」
ミランダの疑問に、ジャックが説明を引き継ぐ。
「それが私にもわからんのですよ。あんなバケモノ……見たことも聞いたこともない。生体反応がないからレーダーに引っかからないし、サーモに映らないから熱量もない。外皮の質感からして、金属ってわけでもなさそうですし」
研究部のジャックと言えば、生物学のスペシャリストだ。その彼女がわからないと言っているのだから、少なくとも既知の生命体ではないのだろう。
ますます混乱していると、机の影からムクリと誰かが起き上がった。
「まだ、生き残りが……?」
短く切り揃えた白髪を揺らし、ハスキーなボイスで彼女は言う。立ち上がろうとする彼女を、慌ててジャックが止めに入る。
「ああ、ドロシーさん。まだ無理しちゃ駄目ですって」
「もう大丈夫だから。それに生存者が居るなら把握しておきたいし」
ドロシーと呼ばれた女性は、まずスカーレットに目をやった。
「スカーレット隊長、ご無事でしたか」
「俺だけはな」
自嘲気味に吐き捨てる。口ぶりからして、二人は知り合いなのだろう。
……いや、こんな狭い船の中だ。私のように交友関係の狭い人間の方が、むしろ少数派になるのだろう。ミランダは内心で自嘲する。それを裏付けるように、ドロシーはミランダの存在を認知していた。
「それと、あんたは……航海日誌の人だっけ?」
「え、ああ、はい」
彼女はぐいと身を乗り出してミランダに迫る。期待を込めた眼差しを向けられて、思わずたじろいでしまった。コンパクトカメラを指差し、彼女は言う。
「それでなにか撮った?」
記録映像としての価値を期待しているのだろうか。しかし残念なことに、持ち出したときから電源を落としたままだった。
「いいや、何も……」
すると彼女は露骨に肩を下ろす。
「なんだ、なにか手がかりになると思ったのに……」
ミランダへの興味を失ったらしい。彼女はスカーレットへ振り向いて、なにやら真面目な話を始めてしまう。それがどうにも気に食わなかった。
「ねえ、それだけ!?」
ほとんど勢いだけで食って掛かる。ミランダの豹変を受けて、ドロシーは少しばかり困惑したようだが……すぐに軽蔑の視線を向けた。
「あんた、普段のままの人だよね」
意味がよくわからない。しかし、蔑まれていることだけはわかる。ほとんど初対面のようなものなのに、これは礼を逸しているのではないだろうか?
「それがどうしたって」
なおも食い下がるミランダに、ドロシーは溜息を吐いた。
「態度も悪い、職責も果たせないで、あんたがなんの役に立つっていうの? 役に立てないなら、せめて邪魔だけはしないで」
沸騰した頭に冷水を浴びせかけられ、破裂しそうになったところをギリギリのところで踏み留まる。彼女の言い分は……誠に遺憾ながら、全面的に正しい。自分がなんの役にも立たない人間だとは思わないが、少なくともこの場では何もできないのだ。
黙り込んだミランダを無視して、ドロシーは話を再開した。真剣に話し合う二人を見ていると、ジャックがこっそりと耳打ちしてくる。
「恨まないであげてください。ドロシーさんは今、気が立ってるだけなんです。怪我までしたのに私だけしか助けられなかったのを、気にしてるっていうか……」
見ると、ドロシーのスーツには血痕が付着していた。大きな怪我ではないようだが、この状況ではなにが命取りになるかわからない。たとえばあのバケモノが血の匂いを辿ってくる可能性だってある。
不意に、肩を叩かれた。
「うひっ!?」
ドロシーの怪我に注目していたため、接近するスカーレットに気づかなかったのだ。彼女は部屋の外を指差して言う。
「ここにはダクトの開口部がある。
彼女が言い終わったのと同時に、ミランダの背後――ダクトの開口部から、水気の多い音が降り注ぐ。途端に広がる悪臭。身の覚えのある……あの時の臭いだ。糞便と鉄分の入り混じった、あの――
「ッ、来るぞ、逃げろ!!」
スカーレットが叫んだ。
開口部を塞ぐ溝蓋がガタガタと揺れる。
「逃げろ! 走れ走れ!!」
無我夢中で走る。
何かが背後に下りてきた。
構わず走る。走る。走った。
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