今、この声が届くまで
抜きあざらし
Ⅰ
航海日誌記録係。
船内委員会の一つで、このコンパクトカメラを用いて、航海中のありとあらゆる記録を残すための係だ。記録した映像は、資料として本星に送るのに加えて、若干の編集を施したうえで忘星会の余興にも用いる。
後者の用途からもわかるように、船員達のありのままの姿を残すことが目的で、三番艦以降から取り入れられた比較的新しい文化なのだという。
引っ込み思案でコミュニケーション能力に欠ける私には、あまりにも不向きな役割だった。
※
宇宙飛行士がエリート中のエリートだったのは過去の話。現代の宇宙開発は、ピンからキリまで様々なものがある。スペースオイルインダストリー所属ステーツ級七番艦キングス・トランプに与えられた役割は、辺境宙域の資源調査だった。
いわゆる中小企業であるSOI社は、隙間産業で生計を立てている。巨大資本が銀河中心部に向けて航海している中、こうしてコースから外れた宙域の資源探索を行う企業は少なくない。しかし広大な宇宙は、乱立する中小企業を包み込んでなお余りある懐の深さを持っていた。
しかし確率というのは恐ろしいもので、これだけ広い宇宙であっても時には不幸なバッティングが発生することもある。同業他社とは基本的に航海情報を共有しているので、相手は……なにかしらの後ろめたい事業を行っている連中に限られてくる。
密輸や密漁なんかはまだまだ可愛い方で、乗り出した先が反政府組織の実験場だった……なんて事もあったらしい。なにしろその宇宙船は藻屑となってしまったので、真相は闇の中だ。
だからだろうか。星々の息吹を見飽きた者達は、こんな噂を口にする。
「この宙域、 "出る" らしいよ」
おしゃべり大好きアンメアリーの軽口に、私――ミランダは適当に相槌を打った。
「へえ、沈没船の怨霊とか?」
「いや~、そんなんじゃなくてもっと恐ろしいもの。なんだと思う?」
「えーわかんない」
彼女は、この船内で唯一私が業務以外の会話をこなすことができる貴重な相手だ。ありがたい存在なのだが、私にも積極的に話しかけてくるような物好きなので、鬱陶しく感じることもしばしば。ぶっちゃけ今日はかなりウザい。
「あ、アタシそろそろ会合あるから。またね」
やっと出ていった。他人との会話は大切だと思うのだが、しつこく迫られると疲れてしまうのもまた事実だ。なぜ必要な行為はこんなにしんどいのだろうか。
先程のやり取りは、船内での他愛ない会話の一例ということで撮影している。今日は非番だし、部屋で少し休もう。
※
どれぐらい寝ていたのだろうか。ミランダが目を覚ますと、外から喧騒が漏れ聞こえてきた。
アラームの時間はまだ先だ。カプセル状の個室で、自らが目を覚ました理由に思いを馳せる。気温も、布団の柔らかさも、ミランダ好みの数値から変わっていない。こんな早くに目を覚ます理由はどこにもなかった。
違和感。
なぜ喧騒が漏れ聞こえてくるのだろうか?
遮音機能をオンにしていたはずだ。
喧騒に耳を傾ける。悲鳴や怒号が入り混じっていた。その様子から、ただごとでないことだけはわかる。
自慢ではないが、これまで船内で起きた厄介事は全てやり過ごしてきた。ほとぼりが冷めるまで、個室で待機しているのだ。最初は、今回もそうしようかと思った。
しかし、気づく。基本的に個室の遮音機能を外部から切ることはできない。それができるのは、副船長補佐以上の権限を持った人間のみだ。この船には八人しか居ない。無闇に権能を振りかざすようなタイプでもなかった。
そこまでするだけの理由が、きっとどこかにある。
ロックを解除し個室の扉に手をかけたところで、それは外から強引にこじ開けられた。
「ミランダ!?」
アンメアリーだ。彼女は血相を変えて叫ぶ。
「早くここから逃げないと!」
「一体何が?」
「説明してる時間は――」
言いかけて、彼女は右方向――個室ブロックの入り口方面を見やる。それから息を殺すように、囁くような声で言った。
「……ここで隠れてて」
「ねえ、ちょっと――」
「追い払ってくる」
言うなり彼女は扉を閉める。事の次第を問い質そうかとも思ったが、しかし何時になく真剣な彼女の表情を思い出し、踏み止まった。
扉をロックし、壁に耳を当てて待つ。きっと、問題が解決したらまたアンメアリーが呼びに来てくれるはずだ。
しかしどうだ。先程から聞こえてくるのは、彼女の悲鳴ばかりではないか。
なにやら叫んでいる。「やめて」だろうか、「来ないで」だろうか、あるいは……「助けて」だろうか。
一際大きな、まさしく絹を裂くような悲鳴の後、それはぷつりと途絶えてしまった。代わりに、なにやら大きな存在の気配が、壁一枚隔てた向こうへと迫ってくる。
息を殺して、待った。
……。
…………。
しばらく、待った。
五感を総動員していたせいで、感覚がおかしくなってしまったらしい。喧騒は、少し前に収まった。気配は……わからない。居るような、居ないような。
もう少し待つ。
わからない。
もう、我慢の限界だ。しびれを切らしたミランダは、コンパクトカメラを片手に部屋を出た。眼の前に広がっていたこれは……なんだ? 小指の先よりも小さい、赤かったり白かったり、あるいは茶色っぽい塊が、山のように積み重なっている。
遅れて、強烈な悪臭がやってきた。宇宙に出て、久しく嗅いだことのないこれは……確か、糞便と、質の悪い金属のような……違う、血液だ。
まるで由来のわからない物体をしばし眺め、あるものに気づく。細切れになった塊の中に、見覚えのある物体を見つけたのだ。
手を触れたくなかったので、しゃがみこんで凝視する。ひどい臭いだ。しかしそれ以上に、目に入ったこれの正体を探りたい。
これは……写真だ。人間の、口元だけがかろうじて写っている。このニヤケ具合はアンメアリーの社員証に使われていたものだろう。
じゃあ、このブヨブヨとした物体の山はなんなんだ。
困惑に包まれる中、ミランダの耳はその足音を敏感に拾っていた。
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