7 忘れないで

 その少女は、喫茶店の隅のテーブルに座っていた。

 素気無い恋人を前にして。


「私に飽きたのね」


 男は少女のすがるような目から視線を逸らした。


「どうして? 私はいつも、あなたを……」


「重い重い、俺、そういうのイヤなんだよな」


 遮るように男は言った。

 少女は、しばらく耐えるようにうつむき、


「私はあなたのことを忘れないわ。覚えていてね……」


 そして自分の髪を一本、そっと引き抜いて、男の白いオーヴァーのボタンに結びつけた。


「これを見たら思い出して。私は、あなたのことを、いつも……」


「時間無いから」


 男は少女を残し、後ろも見ずに店を出た。

 歩きながらボタンに絡み付いている髪を引っ張ってみたが、固く結びついていて解けなかった。

 舌打ちをして、男は足を速めた。


ーーその夜少女は、海に身を投げた。


「ふーっ」


 酔って帰った男は、そのままベッドに倒れ込んだ。

 そして横になったまま脱ごうとして、オーヴァーの染みに気がついた。


「ちぇ、どこでこんな……」


 そこまで言って、男は凍り付いた。

 髪の毛の絡んだボタンから、その赤い染みはゆっくりと広がり続けていたのだ。

 男の目の前で、涙のように血を滴らせた髪の毛の結び目が、するりと解けた。


「忘れないで」


 そう言うように、艶を帯びた黒髪が、ぬめりと動いた。 

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