第6話 はちみつレモンティー
「今日は楽しかったです」
「うんうん。あたしも楽しかった!」
「また就職決まったら連絡します」
一瞬、思考がストップする。
いくつかのアパレルショップを回り、昼食はエスニック料理を堪能し、映画は好きではないようなのでアロママッサージを受け、アクセサリーと雑貨をそれぞれ買い、力を合わせてジャンボパフェを制圧した。
完璧なデートも夕暮れから夜に変わる頃、ロータリーを歩きながら瑠栞はとてもたんぱくな台詞を放った。
あたしはショップの袋でいっぱいの手のうち、自由になる指先で瑠栞の袖を掴んだ。
「そんなぁ。毎日話そうよ」
瑠栞は仰け反って首をふる。
「いやいや、そんな、悪いです」
「悪くないよ? せっかくお友達になれたのにまたいつかじゃ寂しいよ」
「いつかっていうか、就職が決まったら」
「就職が決まったら忙しくなるでしょ?」
「はぁ、まあ」
他意はないようで、言われてみればそうかというような事を呟いている。
「瑠栞ちゃん。ひとりで過ごしちゃダメだよ。嫌な事があったんだから、人に甘えていいんだよ?」
「今日甘えました」
「うん、だから。今日からあたしに甘えていいの。せっかくご近所なのに」
「お互い忙しいから。沙橙さん、仕事あるし」
瑠栞の澄んだ瞳に見つめられ、悟った。理屈で叶う相手ではない。
そうとなれば感情で訴える他ない。
瑠栞の前に回り込みんで道を塞いだ。
「仕事じゃなくて、瑠栞ちゃんとあたしの話をしてるんだよ。ねえ瑠栞ちゃん、今このタイミングであたしと出会ったのは、神さまのプレゼントだと思うの。楽しく過ごす事も、仕事を探す事も、瑠栞ちゃんは絶対に一人でできるよ。でも、あたしが傍にいた方が楽しいよ。今日、楽しくなかった?」
必死で捲くし立てた。
すると瑠栞が、花火のように笑った。
「沙橙さんみたいな人、初めて」
「一緒にいて楽しいでしょ?」
「はい」
「それは瑠栞ちゃんといると嬉しいからだよ」
「わかりました」
そして凛と囁く。
「また明日。必ず」
こうして瑠栞とあたしは文字通り毎日連絡を取り合う関係になったのだ。
やった!
◇ ◇ ◇
二週間が過ぎた頃、瑠栞を自宅に招いた。
七階立て女性専用マンションの七階角部屋、1LDK。瑠栞は開口一番「広い」とはしゃぐように言った。寝室が八畳、リビングは十畳でゆとりのあるキッチン。本棚とテレビに、真っ白なラグの上に猫足のローテーブル、周りにはマカロン風のクッション、ソファーがある。
「寛いでね」
「うわぁ。お菓子の上に座るのは、初めてです」
駅前で買ってきたケーキとドリンク類を冷蔵庫に収め、エアコンをつける。夏を先取りした暑さに少し汗ばんでいた。瑠栞がクッションやラグの毛並みに気を取られているうちに、デオドラントシートで汗を拭きとる。
「アイスティーあけるね」
「あ、手伝います」
瑠栞が飛んできた。
「いいよ、座ってて」
「そんなわけには。何かさせてください」
「うーんと。じゃあ、お願いしよっかな」
「はい」
食器棚に手をかけ、満面の笑みを向ける。
「敬語やめて沙橙って呼んで」
「──はい?」
意味不明の指示に戸惑う部下のような、ドライな疑問符が返ってきた。しかしここで負けるあたしではない。トレイを渡し、コースターとストローを乗せて、グラスに氷を入れてそれも乗せ、リビングを指さす。
「お願い」
「あ、はい」
今日の瑠栞はやはりパンツスタイルで、白のカプリパンツにチェックのトップスを爽やかに合わせている。シルエットから、あのランジェリーを着けていない事は確かだ。あたしのワンピースはベージュで、色合いは被らなかった。
しばらく寛いでいると、自然と瑠栞が職探しについて話してくれた。失業保険の手続きに行ってきたそうだ。会社都合扱いになったため初月から手当が支給されるという。
「半分親族みたいな扱いだったから、自分がどこで通用するかわからなくて」
腰を据えて臨みたいらしい。
「通用しないなんてあるかな? 瑠栞ちゃん、きちんとしてるから逆にどこ行っても通用すると思うけどな」
「ビジネスマナーからやり直したいです」
自己評価の低さは例の一族から受けた仕打ちのせいだと確信した。こんなときのためにあたしがいるのだ。
瑠栞の細い手首にふれる。
「瑠栞ちゃんの新しいスタートだから、納得いくようにしよう。応援するよ」
「早く採用されればその分祝い金も出るから、探しながらセミナーとかも積極的に受けてみようと思って、ます」
何か余計なものが付け足されたけれど、気づかないふりをしておこう。
「どんなセミナー?」
「スキルを活かして自営とか」
「いいと思うよ。瑠栞ちゃんには手に職あるし、パソコンあればできるもんね」
「ただ正社員としてブランク作りたくないので、迷います。ただ高卒だから同じ給料はまず見込めないかと」
それに、と目を伏せて続ける。
「しばらく男と会いたくない」
「瑠栞ちゃん」
痛々しい。
半狂乱になったり、精神を患ってもおかしくない状況だ。だからあたしができる限り、楽しい時間と安心できる空間を作って、ポジティブになれる土台を保てるように手助けしたかった。
休む事も大切なのだ。
「男なんて滅びればいいのに」
「そうだね」
優しく頭を撫でる。
慰めているはずの静かなひと時が、次第に高揚へ取って変わった。艶やかな髪と、長い睫毛、少し潤む瞳に、奇麗な鼻筋。赤い唇、尖った顎。細い首筋。
抱きしめたくて、指先がピクリと痙攣する。
まだ早い。それだけは確かだった。
「女性用下着メーカーとか、空きないかな」
「偉い人はオジサンだと思うの」
「そう、ですよね」
意気消沈していく瑠栞をそろそろ呼び戻さなければならない。予定より早いけれどケーキを食べようと誘った。瑠栞はバレンシアオレンジのタルト、あたしはイチゴのムース。一口目で瑠栞の表情にパッと花が咲いたので、また他愛のない話を始めた。
瑠栞の住いは三駅違いだけれど他県民で、それはつまり役所の手続きや職業安定所の管轄が家から遠い事を意味している。これまで通勤のついで、定期が切れるまでと贅沢な時間を過ごしてきた。形が変わろうとしていた。
「今度、瑠栞ちゃん家にも行きたい」
瑠栞は狭いですよと苦笑したけれど、拒否はしない。そればかりか俯いて決定打を投げてきた。
「なんだか、落ち着く」
これまでがいかに他人行儀だったかわかる、小さく高い、甘えたような呟き。
「知り合ったばかりなのに変だと思うけど、もう何年も一緒にいるような気がする」
「瑠栞ちゃん」
擦り寄りぴったり体をつけて、艶やかな髪に頬を寄せた。
控えめな甘い香りをいっぱい吸い込み、体を支える手で硬く拳を握りしめる。触りたかった。けれど心を開いてくれた瑠栞の言葉をきちんと全て受けとめたい。
「ちょっと前から、大きくて可愛い人が毎日こっち見てるなーと思ってたんだけど、知り合いじゃないし、勘違いかもしれないって。でも、明らかに目が合うし、いつもニコニコしてて、どうしても目がいくようになって、気づいてたんです」
小さな鼻の頭を見下ろして、ゆれる睫毛に釘付けになる。いつあたしを見あげてくれるだろうかと、そんな事を考えた。
「優しい人だなって」
そしてついに、瑠栞は上目遣いにあたしを見あげた。
「今すごく情けない状態だけど、頑張ります。だから一緒にいさせてください。宜しくお願いします」
つい抱きしめてしまったけれど、瑠栞もたどたどしい手つきで背中に手を回し、そっと背中を包んでくれた。
あたしは必至で祈っていた。
神さま、瑠栞ちゃんをあたしに下さい──と。
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